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52通目 義理の母に宛てて

お母さんへ


お母さん。今ならば心からそう呼べます。


お母さんは、父の再婚相手。

私にとっては義理の母というものになります。

私が学生の頃に父は再婚をして、

お母さんがやってきました。

父は、新しいお母さんだよと言いましたが、

当時は私も難しい年頃でしたので、

母を捨てた父への嫌悪感と、

新しいお母さんを認められない気持ちでいっぱいでした。

新しいお母さんというものを認められないほど、

私は幼かったのかもしれません。

父としては、私には母親がいた方がいいと思っての、

再婚だったのかもしれません。

お母さんも、それをわかっていて、父と結婚したものと思います。

当時の私は、それがわからないほど未熟でありました。


私はお母さんに反発し続けました。

こうじゃないああじゃないと言い続けました。

お母さんは大体聞いてくれましたが、

筋の通らないことに関しては、しっかり私を叱ってくれました。

私は叱られると、やっぱり愛されていないと思いました。

私の過ぎたわがままで叱られているというのに、

私の考えも甚だ見当違いでした。


私が風邪をひいてぐったりしていたら、

お母さんはしっかり看病をしてくれました。

それは母の愛そのものです。

私は当たり前のようにそれを享受して、

元気になったらすっかり忘れてしまうのです。

あまりにも自然に母という存在になっていたので、

私はすんなりとお母さんの愛を受け入れてしまっていました。

そのくせ、元気になりましたら反発します。

面倒な娘であったと思います。

それでもお母さんは、母として私に接してくれていました。

義理の母ではなく、本当の母として接してくれました。

その深い愛情に気が付くのは、しばらく後になってからです。


学生時代はお母さんに反発し続け、

私は就職を機に一人暮らしを始めました。

お母さんはあれこれ世話を焼いてくれました。

一人暮らしの心得も教えてくれました。

私は話半分で聞いていましたが、

いざ一人暮らしを始めますと、

お母さんのアドバイスが面白いように役に立ちます。

一人暮らしをしながら、お母さんも同じことで苦労したのだなと感じられましたし、

お母さんにアドバイスをしてくれた人はいたのだろうかと思いをはせましたし、

お母さんは愛を持ってアドバイスをしてくれたのだと感じられました。

私の一人暮らしをがんばれと後押ししてくれたのです。

それが母の愛でなくて何でしょうか。

今まで反発していたのがあまりにも幼稚であると、

そのときようやく思い至りました。

お母さんからは一人暮らしの私の部屋に、

時々差し入れの荷物が届きます。

どれも私にとって役立つものでありがたかったです。

同じ食材で同じように料理を作るのですが、

お母さんの味にはならなくて、

お母さんの味が美味しかったのだなと気が付くのです。


就職して数年して、私は結婚することになり、

父と、お母さんに彼氏を紹介しました。

結婚を前提としてお付き合いをしていると紹介をしたところ、

父は喜び、お母さんは涙しました。

お母さんは、心から嬉しいと思うあまり、

感動して泣いたのだと言いました。

そして、彼氏に向けて私のことを話します。

それは、お母さんが見てきた私のお話です。

私が幼い頃こんな子であったこと、

こんなことにこだわりがあるということ、

何が好きで何が苦手か、

お母さんはすべて把握していました。

そのうえで、義理の母だからわからないことも多かったかもしれないけれど、

これからはこの子をよろしくお願いしますと、

彼氏に向けて深々と頭を下げました。

私はそのやり取りを見ながら涙が溢れました。

こんなにも私は愛されていた。

こんなにもお母さんは母であった。

母であろうとあらゆる努力をしてくれていた。

その愛情の深さに私は涙しました。


お母さんは、母になる覚悟ができていた人です。

学生の頃の私はそのことがわかりませんでした。

今ならばよくわかります。

生半可な覚悟では義理の母になろうなどと思えません。

母になろう。この娘を愛そう。

強い覚悟がなければそれを貫くことなどできません。

それが母の愛でなくて何でしょうか。

その深い愛に私は感動し、

その深さにはまだ及ばないと思うのです。


私は結婚をして、やがて子宝に恵まれました。

子どもを育てながら、お母さんの愛の深さを思います。

お母さんは偉大であったと感じます。

実家に子どもを連れて行きますと、

お母さんはよきおばあちゃんになります。

笑顔のお母さんを見ていますと、

私も嬉しくなります。

その頃の私は子育てでてんやわんやしていましたが、

お母さんが的確なサポートをしてくれて、

かなり助かったことを覚えています。

私という面倒な娘を育て上げたお母さんです。

子育てについては経験が違います。

子育ての最中、頭が上がらないと思うことは何度もありました。


今は、子どもも学生になって、

生意気盛りになりました。

私は時々実家に行って、

お母さんとお話をします。

今ならば、心からお母さんと呼べます。

この人が私のお母さんであると。

胸を張って私を育てた人であると言えます。

お母さんと思い出話に花を咲かせて、

生意気盛りだった私の話にもなります。

お母さんなりに努力したことも聞けます。

母になるためにどうしていたかも聞けます。

今、こうしてお母さんの話を聞くことで、

私はお母さんは、本当の母と娘になれているのだと感じます。

義理の、と、ついた関係が始まりでしたが、

今は本当の母と娘になれたと感じています。

それは、血のつながりだけではありません。

心も通じ合って、初めて本当の母と娘になれるのだと思います。

お母さん、父と再婚してくれてありがとう。

私のお母さんになってくれてありがとう。

面倒な私を育て上げてくれてありがとう。

私は今とても幸せです。


お母さんがこれからも健康で長生きをして、

学生の子供がもっと成長する姿も見て欲しいと思います。

また、私が母であることに困ったら、

母の先輩であるお母さんからのアドバイスをもらいたいと思います。

どうか、これからも大病することなく健やかに生きてください。

そして、お母さんなりの幸せを感じてください。

私は学生時代反発するばかりでしたが、

今でしたら、お母さんにちょっとしたことでしたらできると思います。

して欲しいことがありましたら、何でも言ってください。

お母さんへの恩返しをしたいとも思っていますし、

お母さんに幸せな時間を過ごしてほしいとも思っています。

私もかなりお母さんに苦労をかけました。

今、お母さんには、もっと幸せになって欲しいです。

お母さんはいつも私のことを優先させてきました。

今ならば、お母さんのことを最優先にできます。

お母さんは何でも望んでいいのです。

今度は私がかなえてあげます。


お母さんをお母さんと呼べることが、

こんなにも誇らしく素晴らしいことであると、

日々かみしめています。

私のお母さんになってくれてありがとうございます。

たくさんの、愛と感謝をこめて、この手紙を締めさせていただきます。


お母さんの面倒な娘より

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