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第9話 真意

 俊介は追い詰められていた。


 次は何だ、次は俺から何を奪う。

 空良、おまえは俺をどうするつもりなんだ。


 どんどん追い詰められていく恐怖から、俊介は夜も眠れなくなっていた。


 今も、リビングには家族の笑い声が響いている。

 その中に奴の声も混じっていた。


 それが俊介の神経を逆撫でる。


 あれから、空良は父への往診という名目めいもくで、家に頻繁ひんぱんに出入りするようになっていた。


 家族は空良のことを気に入り、よく食事に招待した。


 困ったことや悩みがあると、家族は俊介よりも空良に相談し、奴を中心に家族はうまく調和を保つようになっていく。


 空良と家族は、日に日に仲良くなり、信頼関係を築いていった。

 本当の家族の俊介より、空良は家族に馴染んでいた。



 ……そうか、今度は家族を奪うっていうんだな。


 恋人、親友、家族。そうだろうな、そうくると思ったよ。


 俊介の目は瞬きせず、どこか虚空を見つめる。

 その口だけが笑っていた。


「もうそろそろ、本気であいつをどうにかしないと……」


 ブツブツつぶやく俊介の表情は、もう正常ではなかった。





 そんな俊介に追い打ちをかけるように、今度は俊介の不正がネットニュースに上がった。


「なんだと?」


 俊介が大臣に賄賂わいろを渡していたというのだ。


 確かに政治家になる時に少し世話になったが、賄賂など渡したことはなかった。

 まさか、俺の知らないところで親父が勝手に渡していたのか。


 いや、それにしても今さらこんな話題がネットニュースになるなんておかしい、誰かが流したんだ。


 空良、あいつしかいない。


 世間は人を叩くのが楽しくてしかたない生き物だ。

 俺みたいな小物でも、日々報道は面白おかしく叩く。そのせいで表も堂々と歩けなくなった。

 世間の目も冷たく、ネットの中で俺はもうゴミや虫けらのような扱いだった。

 次の選挙では生き残れないだろう。


 なぜ、俺がこんな目に遭う?


 俊介は発狂し、周りにある物すべてを壊していく。

 怒りと憎しみがないまぜになり、感情が爆発する。

 気が変になりそうだ。


 どうしてくれる? どうしてこうなった? 誰のせいだ?


 あいつだ、全部あいつのせいだ!


 俊介は虚ろな目で虚空こくうを見つめる。


 もう駄目だ、あいつを放置しておくと、俺の平穏な人生がめちゃくちゃになる。

 あいつを消さないと……俺に平穏な日々は訪れない。


 あいつが悪い、あいつが俺からすべて奪ったから。


 俊介は気味の悪い笑みを浮かべていた。





 ネットニュースで俊介の記事を目にした雅人は焦った。


 空良だ、空良が仕掛けたんだ。


 今度は由紀に、いつ何時なんどき、何を仕掛けてくるかわからない。

 彼女に本当のことを話し、なんとしてでも空良から遠ざけなければ。


 雅人は病院へと急いだ。


 息を切らし由紀の病室へ駆け込む。


「雅人……」


 大きな音を立て病室の扉が開いたことに、驚いた由紀が呆然と雅人を見つめた。


 そこに空の姿はなかった。


 雅人はほっと胸を撫でおろす。

 息を整えてから、雅人は由紀に真剣な眼差しを向けた。



 雅人は恐かった。


 これを話すことで、由紀の気持ちが自分から離れていってしまうのではないかと。

 しかし、今は一刻を争う。迷っている暇などなかった。


「由紀……これから話すことは驚くと思うけど、最後まで聞いてくれ。

 ……僕は君を愛してる。それだけはどうか忘れないで」


 雅人は祈るような気持ちで、由紀を愛おしそうに見つめる。


 そして、ゆっくりと話し出した。



 空良と俊介との幼き日の出来事、そして放火のこと。

 それから、今俊介に起きていることと、由紀も危ないかもしれないということ。


 話している間、喉は乾き、体は震え、動悸がし、体は汗ばんでいく。


 今さらながら、自分のした罪の重さを思い知ることとなった。




「今まで黙っててごめん。……恐かったんだ。

 こんな僕のことなんて、嫌いになってしまうんじゃないかって。本当の僕を知ったら、君は離れていってしまうんじゃないかって。

 事件のことも、ずっと誰にも言えなかった。

 臭いものに蓋をして、見ないようにしてた。ずっとそうしていれば、いつか消えて無くなるんじゃないかって、都合のいいこと考えて。

 ……最低、だよね」


 雅人の体は震えていた。

 黙って聞いていた由紀は、優しく雅人に語りかける。


「私、全部知ってたよ」


 由紀の発言に、雅人は驚き目を見開いた。

 そして、穴が開くほどじっと由紀のことを見つめ続ける。


「空良さんから、全て聞いてたの。

 あなたとの関係も、あなたが過去にしたことも。

 そして……空良さんの想いも」


 雅人は驚き過ぎて、言葉が出なかった。


 空良はあの事件の真相を知っていたのか。

 僕が火を放ったことも……。


 だったら、なぜ、僕には何もしてこない?


「空良さんはあなたのことが好きなのよ。

 嫌いになりたかったけどなれなかったって。いつもあなたのこと、心配してた」


 由紀から発せられる言葉が信じられなくて、ただ雅人は呆然と話しを聞いていた。


 由紀は雅人に優しく触れ、そっと顔を覗き込む。


「あなたのその優しいところはとても素晴らしいけれど、もっと自分を強く持って欲しいって。本当はもっと自分らしく強く生きれるのに、もったいないって。

 空良さん、いつもあなたのこと話すの。だから私も嬉しくて、雅人の話たくさんしちゃった。

 空良さん、よくここに来てたでしょ? ほとんど雅人のことよ」


 由紀は優しい目をして笑った。


「ねえ雅人、今からでもやり直すことはできないの?

 空良さん待ってるんじゃないかな、雅人が本当のことを話してくれるの」


 今度は由紀が真剣な表情で雅人を見つめた。


 雅人は予想もしなかった空良の思いに困惑し、ただ混乱していた。


「そ、そんな、今さらできないよ。

 空良だって、由紀には嘘言ってるかもしれないだろ。

 僕を騙して、罪を告白させるつもりかも」


 由紀は悲しそうに眉を寄せ、首を振った。


「空良さんはそんな人じゃない、彼を信じて」


 由紀は雅人の手を握る。


 大丈夫というように手に力を込めた。


「そんな、だってあれは僕のせいじゃない!

 俊介に脅されて仕方なく。……僕は被害者なんだ!」

「いつまでそうやって現実から目を逸らし、逃げる気だ」


 急に声がして、驚いた雅人は振り返る。

 いつの間にか病室の入口付近に佇む空良。彼は真剣な眼差しを雅人に向けていた。


 急に現れた空良におののきつつ、雅人は初めて空良に食ってかかった。


「お、おまえに何がわかる!

 僕は家族を守ったんだ。

 自分の家族を守るのは当たり前だ、空良だって僕の立場だったら同じことしてたさ!」


 雅人は震えながら空良を睨む。


「そうだな、その立場にならなければ決してその人の気持ちはわからない。

 雅人だって中学生だった、判断を誤ることもあるだろう。

 ……でもな」


 空良の瞳の色が変わる。

 それは深い深い闇の色をしていた。


 その瞳に射抜かれた雅人は、背筋が凍るような感覚におちいった。


「犯罪は駄目だ。……それに命を、奪うことも」


 空良の声は低く、深い感情を伴っていた。

 彼の深い痛みや悲しみが心に流れ込み、雅人の心臓に突き刺さっていく。


 雅人は心の呵責かしゃくから逃れたくて、空良から視線を逸らした。


「本当は火を付けた直後に、ガラスを割って空良の家族に知らせようとしたんだ。

 なのに俊介が邪魔をしたから」

「言い訳するな!

 人のせいにするな!

 雅人はずっとそうやって生きていくのか?

 何かうまくいかないことがあれば言い訳して、人のせいにして。

 そうやって生きていきたいのか?

 一人で強くなろうとはせず、誰かの後ろで守られていたいのか?」


 その言葉の強さに、雅人は衝撃を受けた。


 彼の目、口調、声、態度。全身全霊をかけて、雅人に向かってくる。

 空良は本気だ。心から、本心から雅人に訴えかけている。


 なぜだろう、すごく心が痛い。


 雅人の目から涙が溢れてくる。


「……雅人の優しいところ、俺は大好きだよ。

 でも、それが弱さになるときもあるよな。弱さのせいにして逃げるのなんか簡単だ。

 雅人には、そんな風になって欲しくない。強くなってほしい。

 一人でも立ち向かえる強い人間になれ。

 ……由紀さんのためにも」


 空良はすべてを優しく包み込むような微笑みを見せた。


 この顔を、雅人はよく知っている。

 昔、たくさん見てきたから。


 その人が何も心配しないように、安心できるように、という気持ちが込められた笑顔。

 彼の精一杯の、優しさ。


 なんで君がそんな表情をするんだ? 


 その顔は、とても復讐をするような人間の顔には到底思えなかった。

 昔のまま、お人好しで優しい、彼の表情だ。


 ガタンッ。


 突然、病室のドアが音を立てた。


 振り返ると、そこには俊介が立っていた。



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