美奈に教えてもらった住所を頼りに辿り着いた場所。
要は一人、呆然と立ち尽くし、その場所を見つめていた。
彼の目線の先には、古びた物置小屋のような建物があった。
どうみても現在使われていない、今にも倒壊しそうな古めかしい建物だ。
壁の木材には隙間ができており、腐っている個所もある。
屋根も風が吹けば、飛んでいってしまいそうな板が一枚覆っているだけ。
家の周りは、手入れされていない草が伸び放題に生え、行く手を阻んでくる。
周りには住宅があまりなく、その建物は小さな空き地の真ん中にぽつんと存在していた。
この物置小屋だけが取り残されているようで、なんだか物悲しさを感じてしまう。
本当に、こんな所に楓がいるっていうのか?
そうであってほしくないと思いながら、要は歩みを進める。
入口は一つだけ。
引き戸になっていて、引いてみると建付けが悪くうまく開かない。
ガタガタと大きな音を立て扉を開ける。
中は暗く、窓が一つもない。
空気も
床は埃と砂で汚く、掃除されている様子もなかった。
要は持っていたスマホをライト代わりに辺りを照らす。
部屋の奥の方を照らすと、隅っこで毛布に包まっている人物を発見する。
ゆっくりと近づき顔を照らすと、
それが何を意味するのか、瞬時に要は理解した。
衝動的に楓を抱きしめる。
「ごめん……ごめんなっ」
もっと早く気づいていたら、傍にいたら。
俺が守れたのに……。
悔しくてたまらなかった。
要の瞳から涙が零れ落ちる。
「……ん……っ」
楓がゆっくりと目を開けた。
「井上? 大丈夫か?」
要は心配そうに楓を支えながら覗き込む。
楓の体は痛々しく、今にも消えてしまいそうなほど弱々しかった。
「藤原くん? ……どうして?」
「おまえ学校来ないから心配でさ……ここは妹に教えてもらった」
ここは楓の隠れ家で、亜澄にいじめられて何処にも行き場がないとき、いつもここに逃げ込んでいた。
誰も使っていない、忘れられた空き家。
悪いこととわかりつつ、なんだかこの建物が私のことのように思え、楓はここを選んだ。
誰からも必要とされず、世界の片隅でひっそりと佇むその姿は、楓と重なって見えた。
美奈は、知っていたんだ……。
驚きと共に、ほんのりと嬉しさも溢れてきて、楓は少しだけ微笑んだ。
美奈が楓のことを気に留めてくれていた。そのことが、嬉しかった。
見てくれている人がいる、その事実に心が救われる。
要は楓を抱きしめる腕に力を込める。
「ごめんな……」
「ふ、藤原くんっ」
突然のことに驚き、楓は目をクルクルと泳がす。
「ごめん……ごめん、俺、おまえのこと、守れなくて」
要の声は震えていた。
「な、何言ってんの? 藤原くんには関係ないでしょ」
楓は要を押し返し、拒絶するように視線を外した。
「帰って……もう私と関わらないで」
必死に絞り出す楓の声は、わずかに震えているように要には聞こえた。
「……もう私のことは放っておいて、お願い」
全身で拒絶しようとしている楓を前に、要の胸は締め付けられ、切なさが込み上げてくる。
誰のことも受け入れようとしない、誰の事も必要としない、誰にも助けを求めない。
それは、誰にも迷惑をかけたくないから、自分一人を犠牲にすればいいと思っているから。
そして……誰のことも期待していないから……。
「それで、いいのか?」
「え?」
要の真剣な眼差しと、楓の揺れる瞳が交差する。
「おまえは一生そうやって生きていくのか?
何もかもあきらめ、絶望し、自分を苦しめ。
……本当は助けて欲しいくせに、誰にも助けを求めようとしない」
要の言葉が、視線が、痛い。
彼の想いが楓の心の中に染みわたっていく。
その気持ちは大きすぎて。
楓は、今まで受け取ったことのないその感情に戸惑い、どうしていいのかわからなくて苦しかった。
やめて、そんなこと言わないで。私の中をかき乱さないで!
「俺は嫌だ……俺はおまえがそんな風に生きていくのは嫌なんだっ」
要は苦しそうに声を詰まらせながら、顔を歪める。
楓はそんな要のことを目を丸くして凝視していた。
なんで、なんであなたがそんな表情をするの?
「関係ないでしょ、何なの……私のことは放っておいてよ。
どうして、そんなに私に構うの?」
楓にここまで関心をよせ、関わろうとする人間は初めてだった。
要の言動の意味がわからなくて、楓の頭は混乱していた。
激しく戸惑い動揺する楓を見つめ、要は照れくさそうな表情をし、小さく笑う。
「おまえが心配だから……それじゃあ理由にならない?」
「……わかんない、わかんないよ。もう……わかんない」
楓は小さく頭を振る。
疲れていて、もう何も考えたくなかった。
「俺がいる」
「え?」
お互いの視線がぶつかる。
要の瞳は、すごく綺麗で澄んでいた。
「俺がいるよ、井上の傍に。
俺はおまえの味方だ、絶対裏切らない。信じてくれ」
要の身体にすっぽりと楓は包まれる。
とても温かかくて、気持ち良くて安心する……。
こんな風に誰かに抱きしめてもらったこと、あっただろうか。
遠い昔の記憶を辿ろうとするが、思い出せなかった。
「おまえ……今まで本当によく頑張ったな。
今まで生きていてくれて、ありがとう。俺に出逢ってくれて、ありがとう。
もう一人で頑張るな、これからは俺がついてる。
弱くたっていいんだ、強くなくたっていい。おまえはおまえのままで……」
「なっ…………んでっ……っっ」
楓の頬を涙が伝っていく。
押し殺していた感情が一気に溢れ出すように、ポロポロと涙は次々と落ちていった。
なんで要はいつも欲しい言葉をくれるんだろう。
傍にいて欲しいときに、いてくれるんだろう。
なんで、こんなに暖かいんだろう。
要は楓の涙を宝物に触れるようにそっと優しく
「なんで、あなたが……そんなことっ」
泣きじゃくる楓はなんとか要の体を押し返そうとする。が、要はさらにきつく楓を抱きしめてきた。
「おまえが好きだからだよ! わかれよっ」
楓が驚いて要を見つめると、要の顔は赤く染まっているように見えた。
「え? なんで……そんな、だって、好きになる理由ないし。
そんな素振りなかった!」
予想しなかった言葉に頭は混乱し、もうどうしていいかわからない楓はあたふたするしかない。
激しく動揺する楓を見つめ、要は短くため息をついた。
「あのなあ……気づいたら好きになってた、そういうもんだろ。
それに……そんなすぐにアピールできねえよ。
好きなら、なおさら」
少し恥ずかしそうに下を向く要が可愛く見えてしまったことに驚きつつ、不思議と楓の心はふわふわしていた。
「……返事はどうでもいいからさ。
とにかく俺がついてるから、もう一人で抱え込むなよ」
要の告白に、楓は世界がひっくり返るかと思うほど驚いた。
しかしそれ以上に、安堵からか涙が次から次へとまた溢れてくる。
すべてを受け入れ、受け止めてくれる存在。
その存在がどれだけ安心感を生むことか……。
暗闇の中に、暖かな光が差し込んだような気がした。
楓は要の胸に顔を
大きな声で、腹の底から、心の底から泣いた。
それに伴い、涙は滝のように溢れていった。
しばらくして、楓は泣き疲れたのか要の膝の上で眠り、すやすやと寝息を立てていた。
その顔は、母親の胸で安心して眠っている赤ん坊のような、安らいだ顔だった。
要はそんな楓を優しく見つめながら、何かを真剣に考え込んでいる。
「……俺が必ず守る」
その瞳には、何か強い意志を宿したかのような淡い光を放っていた。