「ミミ先生は先輩のお母様だったんですか?」
「ええ、今まで隠しててごめんなさい。ずっとこの子が心配だったの」
嘘をつけ、と思う。
今まで連絡の一つも寄越さず、僕の名前が売れてから再び接触をしてきた。
確かに14年前に別れたきり、姿形が変わってないのは不思議ではあったが、それを差し引いても余罪が減ることはない。
「一体なんの用事で僕のところに来たのさ」
「それはね、あなたに重大な真実を告げに来たのよ」
とても真剣な顔つきで、勝手に席に座る。
母は昔から猫みたいに奔放で。
父もそれに手を焼いていた。
世の女性は皆こんな感じなんだろうと勝手な解釈をしていたのは母の影響だ。
「今、お茶をご用意しますね」
後輩が気をきかせてキッチンに引っ込んだ。
僕は不機嫌なまま、母に顔を向ける。
「いい子じゃない。あんたには勿体無い子ね」
「本当にね」
会話を短くまとめる。
そうしないと向こうにペースを握られてしまう気がして。
「で、真実って何さ」
「お母さんここまでくるのに疲れてるの。お茶をいただいてから語るわ」
「後輩にも聞いてもらいたい話?」
「あんた、女性に対してその呼び方、少しどうかと思うわよ?」
「いいんだよ、お互いに納得してる。それに僕をこんな格好にさせる相手が、今更呼ばれ方一つで機嫌を損ねると思う?」
母さんは真顔になり「思わないわね」とぼやいた。
そして繁々と舐めるように全身をくまなく見つめられる。
なんだよ。
「ヒー君」
「何さ」
「あんたお父さんそっくりに育ったわねぇ、いやぁ遺伝子ってすごいわ」
生まれてきた時は猿みたいだと思っていたが、成長して自分達に顔が似ていく過程を見守ってたとかなんとか。
それで久しぶりに見た僕の顔があんまり父さんに似てたから会いに来たとか。
本人に会いに行けよって思ったのは心の内に留めておく。
「僕、お父さんの姿をあまり見たことないんだよね。母さんばかり僕に構ってくれたじゃない?」
「お父さんは常に閉じこもって研究三昧だったしねー。三者面談くらい出ない? って誘っても忘れて研究に没頭しちゃうのが日常でね」
あー、そういうところ含めて遺伝かな?
しかし顔が似てるってなんだよ。
僕の顔は言っちゃなんだが女子寄りで、男らしさのかけらもない。
それに似てると言うことは父は女顔だって意味だ。
あまり顔をつき合わせたことのない父の話をされて、なんかモヤモヤする。
母は楽しそうに僕が生まれる前の話をしてくれた。
僕が生まれて、そこから何か変わると思ったが、父が僕に興味を示すことはなかったという。
何かの研究に取り憑かれたように着手していて、僕の相手をするどころじゃなかったらしい。
まぁ今の僕もそう言うところあるしな。
現に研究に取りかかりきりで約束をぶっちぎった。
その後何食わぬ顔で会いに行ったし。
もしこれが子を持つ親の処遇だったらペナルティ待ったなしだ。
そう思うとあまり父さんを責められないんだよな、僕。
「お茶をお持ちしましたー。お紅茶で大丈夫ですか?」
「ごめんなさいねー? 猫舌で。ミルクとかあれば欲しいわ」
「今お持ちしますねー」
後輩が紅茶とお茶菓子を持ってテーブルに置いた。
そこで再三注文を後付けして取りに行かせる母。
「あんたは猫舌治った?」
「僕は今も猫舌だが?」
後輩は僕が猫舌であることは理解してるので、持ってくるドリンクは温くしてくれているのだ。
「お待たせしましたー」
「待ってないわ。この子と昔の話をしてたの」
「へー、どんな話です?」
聞きたい、聞きたいと話に乗ってくる後輩。
僕とは大学で出会ったが、その前の僕を知りたいと乗り気だ。
後輩との馴れ初めを聞き、数度頷いた後に核心に迫る話を投げかけてきた。
「ヒー君」
「何さ」
「披露宴はいつ? 母さん今連載一本抱えちゃってるからあんまり時間開けられないけど、式を上げるんなら時間空けるから」
「は?」
特大級の爆弾を落とす。
「あんたまさか、こんなに尽くしてくれる子に結婚もしないでヒモの如く寄生するつもりとか言うんじゃないでしょうね?」
「働いてますしー、お金だって稼いでる。僕は高校時代の僕とはもう違うんだぞ?」
「嘘おっしゃい。なんなら昔より酷くなってるじゃないの。ヒカリさん、うちの子が不甲斐なくて申し訳ないわねぇ」
「いえいえ、いいんです。先輩とはビジネスライクなお付き合いなんです。その、私は男性恐怖症で。先輩は可愛いので、一緒にそばにいてくれるだけで良くて、って何言ってんだろ私、お母様の前で」
ほーん。後輩ってそうなんだ。
そういえばお兄さんをやたらと目の敵にしてたな。
大塚君も嫌ってたし。
でも僕は大丈夫と。
なんでだろ、全然嬉しくないんだが?
「だからって僕から物理的に奪わなくても良くない?」
「だって不釣り合いなんですもの。先輩はもっと可愛い衣装を着せてあげたいんです!」
「良く言ったわ! さすがうちのヒー君を気にいるだけあるわね! 合格よ」
「えっと?」
母さんは膝を強く打ち、後輩に向かって吠えた。
合格ってなにさ。
僕とお付き合いできるかどうかの話なら、ポッと出の母さんにあれこれ言われたくないんだけど。
「あの、それはどう言う……」
「ごめんなさい、今から打ち明ける真実を語る上で、あなたがヒー君と共にこの試練に打ち勝てるかのチェックをさせていただいたの」
「えっと、今までの対応は全て?」
「騙すような真似をしてごめんなさいね。それだけ秘密裏にしておきたいことで。でも、あなたの姿勢を見て打ち明ける決心がついたわ」
母さんはそれだけ言うと、真剣な顔つきで僕たちに切り出した。
「実は母さんね、にゃん族なの」
「!」
僕と後輩の表情は凍りつく。
母がにゃん族、つまりは僕もその遺伝子を注いでいることを意味した。
だからか。
うさ族のサルバさんがやたらと僕の顔を誰かと重ねて見ていたのは。
ならば母さんの正体は、探していたあの人なのかもしれない。
「あの、もしかしてお母様のお名前は」
「槍込美沙よ。でも真名はミザリー・ニャンケット。私はね、にゃん族の使命を受けて地上にやってきた先遣隊の一人だった」
「父さんは? もしかしたら父さんも?」
母がにゃん族なら、父はどこの誰だろう。
僕の質問に母さんは首を振る。
「いいえ、真栗さんは人間よ。悪しき研究機関ラビットエルフの地下に匿われていたのを母さんが救ったの。お母さん、弱いものいじめが大嫌いだからね」
母さんは過去に起きた冒険譚をノリノリで話す。
そこで母さんとうさ族で藩士に齟齬があることに気がついた。
槍込真栗。それが僕の父親の名前。
ここで繋がってきたか。
知らないどころか思いっきり身内じゃんね。
なんで僕は今の今まで親の名前を忘れていたんだ?
そして父さんはうさ族の共同研究者でさらわれた人物と同姓同名。
間違いなく、母さんが下手人だと思われる。
だと言うのにどうして話がうさ族と母さんでこうも食い違う?
誰かが僕を陥れるために嘘をついていた。
それが誰かは今の僕に判別できない。
後輩と顔を見合わせ頷く。
ここでサルバさんの名前を出して、どんな反応をするか。
それを確かめるべく話題を振った。
「そっか。母さんは父さんを悪しき研究機関から救ったんだ」
「ええ、危険な賭けだったわ。でもお父さんはそんな私にすっかり惚れ込んでね」
うっとりとしながら話す母。
それ、吊り橋効果って言うんじゃない?
喉元まで出かけた言葉を飲み込み、更に話を促した。
本題に踏み込む。
「でもそれ、うさ族のサルバさんが聞いたら顔を真っ赤にして怒り出すんじゃないの?」
「え、なんでヒー君サーちゃんのことを知ってるの?」
やはり知り合いか。
僕はいまの今まですっかり忘れていたよ。
母さんはNYAOの原作者。つまりは誇大妄想の達人であることを。
僕は無言でうさ族の管轄で取り扱っている素材をテーブルの上に置いた。
「あ、これ。サーちゃんのところで取り扱ってる素材じゃないの。なつかしー」
「母さん僕ね、うさ族と業務提携してるんだ」
「へー、すごいじゃない。あの堅物をどうやって騙くらかしたの?」
言い方。
「そういえば、先輩。悪のラビットエルフってNYAOの敵組織の名前ですよ」
「さすがヒカリちゃんね、良く思い出せたわね。花丸あげちゃう」
冗談めいた口調で、先ほどまでの真剣みを霧散させ。
母はお茶請けをもぐもぐ食べ始めて話を逸らした。
くそ、完全に話を信じ込むところだった。
じゃあにゃん族の話も嘘か?
いや、サルバさんの話を信じるなら張本人くさいんだよな。
曰く、口が達者なのだという。
「で、本題は?」
「ヒー君、あなたにゃん族を率いてみない?」
「なんでさ」
「純粋に、後継者不足よ。にゃん族は年々数を減らす一方。アメリカで捕まったあの子たちも練度はずいぶん抑えられてたじゃない?」
その言い方だと、本来はもっと強いみたいな言い方じゃん。
嘘でしょ、今でこそ技術の進歩で抑えきれてるけど本来はこれの比じゃない?
もしそれが本当なら大変だ。
でも母さん嘘つきだしなぁ。
どこまで信じていいのやら。
「嫌だ、といったら?」
「別に諦めるわ。でも今のにゃん族を野放しにしておくのはまずいわね」
「母さんが率いてるんじゃないの?」
父を攫い、うさ族と仲違いした。
だからそれを率いてるのは母さんだと思い込んでいた。
でも指揮者は別にいると聞いて頭がこんがらがる。
「違うわよ、そもそも私が指揮者に向くと思う? いまの私はただの漫画家。古巣の状況を憂うだけの女戦士でしかないわ」
この人、ちゃっかり自分を戦士の枠に入れてるぞ。漫画家のくせに。
「で、僕ならそのにゃん族を率いることができるって確証はなんなのさ」
「ヒー君の科学力なら寝たきりの父さんを起こすことができるかもしれないと思ってね、順を追って話すわ」
母さんはまだ受けるとも言ってない僕に父の救出作戦の概要を述べる。
曰く、父はダンジョンの瘴気に当てられて床に伏している。
ダンジョンの瘴気の原因はりゅう族。
りゅう族はあらゆる種族を嫁にもらい、その嫁の種族に加護をもたらす。
しかし一度嫁にもらった種族だからと油断はできない。
当代の嫁以外は等しく加護は切れるのだ。
加護のない種族は瘴気にめっぽう弱く、弱体化される。
母さんはその影響でうさ族やにゃん族はダンジョン内で生きていくのが難しく、地上への進出を考えていると話した。
僕は話半分で聞いて「大変だね」と他人事のように相槌を打った。
いや、だって全部嘘くさいんだもん。
そもそもダンジョン内にいる種族の総数を把握してないから真実はわからないけど、そんな規模の災害が起きてるならもっと多くの種族が地上に上がってきてもいいはずだ。
もしかしたら知らない間に上がってきてる可能性もあるが、僕がにゃん族を贔屓して助けるメリットがどこにもない。
たとえ僕がにゃん族と血の繋がりがあったとしてもだ。
そもそもサルバさんたちがそこまで切羽詰まってないのも踏まえて嘘だと思う。
「で、本当は?」
「お母さん、家出してお父さんに合わせる顔ないの。だからあとはヒー君にお任せしたいなって」
「お引き取りください」
僕は真顔で母さんを部屋から締め出した。
時間を無駄に使わされた気分だ。
今ならサルバさんの気持ちが良くわかる。
なるべくなら相手したくないタイプ。
そう言われて、僕も頷いた。
今度お土産を持って会いに行こう。
うちの母がご迷惑をおかけしましたって。