「先輩、ご飯できましたよー」
「今行く」
あれから僕は、イルマーニさんと共に連れてきた父の抜け殻と、最後に残した結晶板の解析に勤しんでいた。
あれから世界は多少のダンジョンイレギュラーでは騒がなくなっていた。
スペアボディの配布。そしてバトルウェーブと提携したダンジョンアタック事業のおかげで、世の探索者がどれほど冷遇されていたかをみにしみて理解できただろう。
僕は確かに遊びとして紹介したけれど、国がそれを遊びのまま放っておくわけがない。
税金こそかけないが、そこに義務を設けたのだ。
それが緊急時による出動。
15歳以上の学生から60歳未満の働き盛りの人は男女問わず強制的にダンジョンにアタックする義務。
本体の体にガタが来ても、スペアボディは若々しい。
なので本来は40歳までとされた制限が60まで上げられた。
特にこの世代ともなれば、もともと探索者で体を痛めて引退したものが多いのだとか。
実際に矢面に立たずとも、知識を若者に伝えてくれるだけでも良しとした。
政府は自国の戦力を余らせるつもりはないと断言し、世はまさに実力行使社会になっていた。
もう僕に文句を言ってくる『暇』を持つものはおらず、なんだったらバトルウェーブの要望ばかり送りつけてくる。
そんなの僕に言われたって困るんだが。
要望を出すんなら直接トールに言えよな。
プンプン。
「先輩、何か不機嫌ですね」
「わかるー? ちょっと最近行き詰まっててさ」
「マッサージしようか?」
なぜか食卓にいるアメリアさん。
待って、アメリアさんの力でマッサージなんてしたら僕の繊細なスペアボディが壊れちゃう!
「ギブ! ギブ!」
「センパイ、からだカチコチだぞ? もっと屈伸した方がいいんじゃないか?」
「やめれー、僕の体はそっちに曲らな──アッ」
ごりゅ!
今すごい音鳴らなかった?
けど不思議と、突っ張っていた肩の感覚が軽くなった気がする。
今思いっきり首をあらぬ方向に曲げたのに?
「尊い」
「後輩。君もそこで見守ってないで、アメリアさん解いて」
「はーい、アメリアさん。先輩が困ってるのでそれくらいにしましょうねー」
「えー、もっと触ってたいぞ! マミーからの公認だもん!」
「マミーって母さんか」
僕には遠慮なく来るくせに、母さんのアメリアさん贔屓はちょっとおかしいくらいである。
偉さで言ったら僕だって十分偉いんだぞ?
もう少し認めてほしいものだ。
「あらー、お母さんを呼んだかしら?」
「呼んでない、帰れ」
「ヒカリちゃん、うちの息子がいじめるわー。慰めてー」
「よしよし、先輩もお母様をいじめちゃダメですよー?」
「あれ、これ僕が悪いのか?」
そこへ、父と一緒に預かったイルマーニさんが余計なひと言を添えて割って入る。
「姫、うちの駄姉が本当に申し訳ない。ほらミズ。お前は姫に命令できる立場じゃないだろう。こっち来て反省するんだ」
「えー」
だから姫じゃないってば!
そもそも僕の方がイルマーニさんからしたら甥っ子だからそう畏まられても困るんだが?
「どうどう、その件は今はいいから。後輩、ご飯出して」
「はーい。今ご準備しますね」
そう言って、どこにセットしてあったのか先ほどの映像を録画していたカメラを回収してあった。
もうすっかり隠し撮りのプロフェッショナルだよこの子。
アメリアさんは後輩の後についてって、一緒に視聴する気だ。
「ヒー君たらモテモテで羨ましいわね」
「この血の争えない感じ。やはり姫は……我々の」
「僕は男だからな? 姫とか、にゃん族の同性愛思考を僕に押し付けるのはやめていただきたい!」
確かに今のボディは女の子だが、骨格がそうなだけで無性なのだ。
男のシンボルがついてないだけで、随分と居心地が悪いんだが。
まぁそれを女子に言ったところで理解はしてもらえない。
「そういえば、預けたにゃん族たちは元気ですか?」
「ああ、元気すぎて器物破損が絶えない」
「どこか発散場所を作った方がいいかな?」
「一部はダンジョンに潜って武者修行をしているぞ」
「おや」
これは勘違いが加速しそう。
と、言うのも。
父に会いに行くだけが目的だったのが、急遽にゃん族を連れ帰る都合上、予備のスペアボディが僕のしかなくて、彼女たちにはそれに入ってもらっているのだ。
つまり、僕と同じ顔をした人間がアラレもない格好でダンジョンで暴れ回っているのである。
風評被害待ったなしとはこのことか。
くそ、こんなことならもっと早く彼女たちのボディを作ってやるんだった。
流石に本体を解放するのは要らぬやっ神を産みそうだしな。
「わかった。そちらはこちらで対処する」
「さすが姫だ。ミズ、少しは見習ったらどうだ?」
「あたしの子供なんだけどー?」
血の繋がりはないけどな。
そりゃ、育ててもらった恩くらいは返すけどさ。
あとはもう少しそのよく回る口を閉じてくれたら言うことはない。
しばらくして後輩とアメリアさんが昼ごはんを配膳してくれる。
「はーい、今日は先輩の大好きなカレーですよー」
「わーい、カレー大好きー」
どうだい、このちょろさ。
自分でも少し恥ずかしくなってくるが、抗いようのない旨みが鼻腔を伝って流れ込んでくる。
男の時の僕はカレーはそこまででもなかったのだが、どうもスペアボディの影響が味覚に伝達しているような気がするんだ。
この体は生まれてまもないのに、付与された精神が感じる味覚が変化するなんてあるんだろうか?
「可愛い」
「可愛いわね」
「これで男アピールは無理でしょ」
「これは、ミズが夢中になるのもわかる可愛さだな。少しムラムラしてきた」
「でしょ。母性が刺激されるわよね」
「うむ。真栗も相当だったが、これはこれで」
「ちょっと、ヒー君で勝手に妊娠しちゃいやよ?」
「にゃん族も呪いですっかり産卵体質になっているからな。どこかの誰かが逃げたせいで」
イルマーニさんがジッと母を見つめている。
母は都合が悪くなったのかそっぽを向いた。
待て待て待て。
え、にゃん族って産卵体質なの?
番になったらそう言う体質になるのではなくて?
「言ってなかったかしら。ダンジョン種族のほとんどがオスを介さず卵を産むわ。縄張りの中で生まれたら、その種族の特徴を持つ子が生まれやすい。もちろん、中身のない無精卵の時もある」
「それってつまり……」
後輩が息を呑む。
母はわかっているわ、みたいな顔で頷いた。
「にゃん族やうさ族が同性愛者なのはその産卵体質であるが故ね。にゃん族のナワバリの中でなら確定でにゃん族が生まれるし、メスだけでも恋愛感情が高まった子が産卵しやすいの。イルは特にその傾向が強くてね。ずっと長として振る舞って無理してきたけれど、緊張の糸がほぐれたのね。もう自分が矢面に立たなくていいと知ったら、油断しちゃったみたい」
「いや、待て。スペアボディにそんな機能はないが?」
「だから精神が昂ってムラムラしちゃってるのよ」
「すごい迷惑な話だな!」
僕の顔で、僕に欲情しないでほしい。
これはさっさと代理のボディを作ってやらなければ大変だ。
特に僕のメンタルが。
「と、言うわけで元のボディに似通ったボディを作ろうと思うのだが?」
「姫、わざわざ私のためにそこまで……キュン」
「そう言うのいいから。ここに手を置いて」
さっきから叔母さんがときめくのをやめてくれない。母さんといい、調子狂うな。
「わ、私のボディだ」
今の僕とそう大差ない、ちんちくりんボディである。
顔つきは随分と猫っぽく、耳と尻尾が生えている。
「ここから体の構造を弄るよ。でも顔は僕と変えるから。この調子だと鏡で自分の顔を見る度に大変なことになりそうだし」
「む、かたじけない」
どこの武士なのだろう?
イルマーニさんは遠隔で体を動かすたびに画面に張り付いて一喜一憂した。
こうやって見ると子供っぽくて可愛いのになぁ。
側は僕なんだけど。
「あ、そうだ。尻尾つける? 今ならアクセサリーとして連動可能だよ」
「アタシもつけたいぞ!」
「はいはい、アメリアさんは後でね」
「センパイは未来の奥さんをもっと構うべき!」
「はーい、今先輩はお仕事中ですからねー。良き妻としては向こうで先輩のおめかしビデオでも見てましょうか」
後輩が上手いこと誘い出してアメリアさんを連れてった。
待て。そんなの僕は許可出した覚えはないんだが?
妙に気になる誘い文句で意識が飛び飛びになりつつも、なんとかボディを完成させる。
尻尾もつけたんなら耳もつけてあげてもいいかな?
「姫! 感動しました。力は弱くなっていますが、やはり耳と尻尾は我々にはなくてはならないものです」
「近い近い近い」
早速スペアボディを着替えてもらうと、おでこがくっつきそうな距離で、鼻息を荒くした。
耳はぴこぴこ、尻尾はぴーんと。表情豊かである。
「母さんはどう? 運動用が本体だけだとちょっと困らない?」
「あらー? お母さんにも気を遣ってくれるの?」
「イルマーニさんだけってわけにもいかないでしょ。ついでだよ、ついで」
どっちにしろ、こうして息抜きすることで詰まっている研究のアイディアが出たりするのも事実だ。
今の父は精神が剥離されてしまっている状態。
どのようにボディを保存して、どこに精神を保管しているのかがわからない限り進展はない。
どうせなら、スペアボディを弄ることでそれらの新しい発見があればいいなと思った。
「いいわね。体力こそ落ちたけど、この姿で再びイルと相見えると昔を思い出すわ」
「少し手合わせするか?」
「はい、ちょっと待ってね。ここで暴れないで。トレーニングルームじゃないからここ! あー父さんのボディがー!」
早速始まるキャットファイト。
俊敏に駆け回るのが得意なんだろうね。
うん、もうしっちゃかめっちゃか。
父さんのボディをそこら辺に無造作に置いてた僕も悪いけどさ、踏んづけちゃダメでしょ。
めっ!
僕は二人を叱りつけ、研究室から追い出した。
「ってことでさー」
「また突然話を持ってきて、随分な無茶振りっすね。ただでさえ民衆からのあれをしろ、これをしろって声でうんざりなんすから」
電話口ではトールが心底うんざりしたとばかりに語る。
僕の方にもそれきてたぞと語れば、有名税と言われた。
その言葉はそっくりそのままお返ししといた。
「そんなの無視しちゃえばいいんだよ。得意でしょ?」
「ボマーほど胆力強くはないっすよ」
嘘つけ。いつぞやのコラボでどれほどの面の皮を見せたと思ってるんだ。
あれは僕ですらイラついたからね?
「あ、そうだ。ランキング形式とかどう? 昔対戦格闘ゲームとかあったじゃん」
「それやるとランキング格差が生まれるんすよ。搭載するとしたって、今は時期尚早じゃないっすかね」
格差かぁ。
「でもさ、誰が探索者や一般人か知ってれば国で頼るときに話が早くない? 別にランキングに参加するかどうかはその人の自由だし」
「あー国に掛け合えば。いけるっすね。じゃあボマーにはアメリア嬢からプレジデントに掛け合ってくれないっすか? こっちはトップに話持ってくんで」
「え、なんで僕が?」
「多分プレジデントに直接コールできる一番の伝手ってボマーぐらいなんすよね。アメリア嬢単体だと執務を優先するけど、ボマーが動けば向こうは対応せざるを得ない」
「またまたー」
僕は謙遜するが、冗談でもなんでもなくその通りだと口を酸っぱくするほど言われた。
「アメリアさーん?」
「どうした、センパイ。未来の妻に何か用か?」
その接続詞、必要?
まぁあんまり否定すると臍を曲げちゃうか。
これこれこうと話を聞かせれば、すぐに了承。
なんでこんなに物分かりがいいのか気になるところだが、どうもこれで僕との結婚にまた一歩近づいたと喜んでいる。
後輩め、無垢な彼女に何を教え込んだのやら。
また僕に被害が罪かさるのはちょっと勘弁していただきたいところだ。