試合会場から一つのサンプルが研究室へ送られていた頃。
大塚晃は、新しい研究テーマに着手していた。
「ヨシ! ヨシ! ようやくここまで辿り着いた」
過去の皺寄せが全部来ていることを悔やみながら、それでも一歩一歩前に進んで鍛錬を積み上げ、ようやく欲しいレシピの熟練度に至った。
いくら効率が良い揚げ方といえど、途中からお祈りが混ざってくるのにはアイツらしいなという考えが混じったのも仕方ない。
槍込聖。
かつて自分が追い出して、搾取の限りを歩んだ男は。
自分の何倍も努力して前を歩いている。
今更後悔をしたところで過去は戻ってこない。
今は、このミッションを乗り越えることで少しでも報いようという気持ちになっていた。
そこへ、
「効果は薄いだろうけど使って、か」
地上で暴れてるというダンジョン種族の抗体物質が晃の元にも届く。改良版という話だ。
それは可愛い猫ちゃんがプリントされたキャンディだった。
かろ。
口の中で転がせば、なんとも爽やかな風味を感じさせる。
程よい甘さが研究意欲を加速させた。
「と、他にも何かあるな。これは?」
それは血液だった。
中で何かが踊っている。
非常に興味深いサンプル。
報告書という名の走り書きに目を通せば、どうも血液のようで。
「そうか、今度からこいつも持ってこいってわけか」
そのための準備もすでにされている。
もし呪いの原因がこれなら、確かに明には覚えがあった。
晃はりゅう化する前、確かに怪我を負って血を浴びた。
だが浴びた血はりゅう族のものではないように思う。
だからこそ、謎が謎を読んだ。
そして、その検体も含めて実験を開始する。
もしこれが攻撃性を持つ素材になれば、息子の先頭の強い手助けになると信じ、研究に打ち込んでいた。
その姿はまるで何かに取り憑かれたように、病的に一心不乱であった。
同時刻。
大塚秋生は。
「ずっと黙っててごめん、実は僕」
本婚約者にそのお付きのパーティメンバーに事情を話していた。話を聞かされた二人はすでに知っていたが、まさか本人たちがそれを知らないなんてことを今ここで秋生の口から聞き、なんて返答しようか困っていた。
「そう、でしたの。だからメイクアップをものにしたいと、そういうことですのね?」
「晶ちゃん?」
今ここで教えるのか?
そんな不安な視線を優希から受け止めつつ、晶は決意する。
「わかりました、秋生さん。指導する以上、全ての恥も外聞もお捨てになる覚悟はおありですね?」
「もちろんだ」
「ではまず、女の子のスペアボディに着替えてくださいまし」
「は、え?」
そのスペアボディはあいにくと修復中である。
それを伝えると。
「そう、ならば女装で構いませんわ」
「わかった」
びっくりするくらいの素直さで、秋生は肯定する。
言い出しっぺの晶でも驚くほどだ。
だが逆に、それくらい切羽詰まっているのだと理解する。
「優希さん」
「はいはい」
手を叩き、今の作業内容を勝手に妄想。
目測でサイズを測り、秋生にぴったりの衣装を用意せよと理解。即座に行動に移った。
今の時代、衣装の類は全て転送陣で賄われる。
ネットで選んで決済後、十数分もせぬうちに届く、とてもありがたい世界になりつつある。
そして衣装が到着し、秋生は男らしい着こなしでキャミソールを着てみせた。本人的にも満点な着こなしであるが、まぁ男と女では見立ても着こなしも違うという残念な結果に終わる。
体が男である以上、仕方のないことなのだが。
「0点」
「なんで!?」
晶の採点は厳し目だった。
「女子が、そんなに胸をはだけてどうするんですの! メイクアップを習う気概はどこに行きましたの?」
「いや、普段からそんな格好」
「今のあなたは女の子ですのよ!」
「これ、メイクアップ関係ないよね!」
「だまらっしゃい!」
さっきまでの素直さが嘘のよう。
しかし紆余曲折あって、秋生は女性らしい着こなしをものにしていた。
なぜか? それを乗り越えなければメイクアップを教えてやらないという意地悪をされたからである。
秋生も教えを乞うた以上、後には引けずに食い下がる。
「良いですか、秋生さん。女性は形から入ってはダメです」
「そうなの?」
「自分に見合うものを少しづつ足していって完成させるのです」
「そんなこと言いつつ、晶ちゃんはわがまま多いけどね」
「否定はしません」
しないのかよ、と思いつつもようやくこれでメイクアップの秘密を探れるぞと気持ちを改める秋生。
だがそこはスタートもいいところで。
その莫大な情報の中から、欲しいものを探すのは、砂漠の中で砕けたコンタクトレンズを探すようなものだった。
「え、これ全部覚えるの?」
「メイクアップに関しては少ない方だよね?」
「ええ」
「あ、じゃあ白粉とマニキュア? それとドレスアップについて教えてくれたら」
「それだけじゃあ、私が満足できません」
「満足しなくていいよね?」
「それが教える条件です!」
「ひえー」
これは教える相手を間違えたかな、と思いつつ。
追い出した実の母親や随分行ってない学校のクラスメイトに教えても面白半分に茶化すだけで、誰も秋生の気持ちを汲まずに終わるのが見えていた。
だが、自分の状況を理解してくれた上で、手助けしてくれる彼女たち。
秋生にとってもこれ以上を望む暇もなければ余裕もない。
恥も外聞も捨てろと事前に言われていたことを理解しながら、メイクアップの基礎を学んでいく。
「僕が、父さんを、大塚家を守らなくちゃいけないから」
だから、強くなる必要があるんだ。
中学三年生の決意は、復元しつつある肉体に戻るまで己のアップグレードを試み続けた。
そして。
「父さん」
「ああ、今度は油断ないように赴こう」
「少し変わった?」
以前までの父親とは言動も纏うオーラも何もかも違っていることに気がつく秋生。
「目の前で家族を食われた。俺は父親としてあまりにも何もしてやれない自分を呪った。そして後悔の矢先、技術に没頭した。使え、その変身アイテムにだけ頼り切ってるようじゃ、ここから先は辛いだろう」
「これは」
「父さん手製のポーションだ。元々自己治癒能力が高い素体だが、血を失い続けるのは余裕を損ない続けるのと同義。だから傷の治りが早く、痛みを緩和するポーションを用意してきた」
「ありがとう」
「そしてこれは、もしかしたらドラゴンたちに効くかもしれない新型の爆弾だ」
「爆弾?」
「知ってるか? かの有名な錬金術師は大学時代にこれの花形を作り、ダンジョン界から出禁にされた。これは倒産なりのアレンジを加えたものだが」
「父さんは、またあの人のものを奪って自分のものにしようと?」
秋生の中では蟠りがあった。
しかし晃は首を横に振る。
「アイツ、槍込と比べられたら遠く及ばない代物だ。俺の熟練度は100もないからな」
「それでも、使ってみたい?」
「少しでも離された距離を詰めるべく研究した代物だ。届いてなきゃ、それはそれでいい。けど、そんな代物でもお前の役に立つんなら、父さんはそれを誇りたい」
「わかった」
搾取をするつもりはない。
それだけ聞けたら秋生は満足だった。
その上で自分の活動の支援をしたいと願い出た父に、自分も覚悟を決めることにする。
「父さん、僕ね。アタック中は女の子になるよう心がけるから」
「お前は何を言ってるんだ?」
晃のアイテム類は、息子が魔法少女変身グッズに頼らずとも道を切り開けるようにと渡したものだった。
しかし秋生は、その道を生かす方に考えをシフトさせていた。
手に入れた力を十全に扱うための作法を学んできた。
つまりはこれから全力で魔法少女になりきると宣言され、晃は頭を抱えるのだった。
◇
「面白くなってきましたね」
その光景を見つめていた後輩。
「趣味悪いよ、親子の絆を面白がるだなんて」
研究がひと段落した僕は、鼻血を出してノックダウンしていた後輩のスペアが復帰したので、一緒にお茶を楽しんでいる。
「そういえば、血清。あの人に渡したんですね」
「ああ、あれ」
トカゲ人の血液の中に潜んでいた寄生虫のことかな?
「もう利用価値がなくなったからね。そんで、血液採取セットごと渡して、りゅう族の持ってきてーって」
「なるほど」
「地上にいるときに血を流させるのも違うしね、ワンチャン自傷しなくても秋生から取り放題だ」
「どっちの方が趣味悪いんですか」
人のこと言えないだろう、みたいに咎められる。
解せぬ。
「いや、しかしだよ? 僕が一番欲しいのは大塚くんの血でね」
「なるほど?」
理解はできないが、話を続けろみたいな顔。
僕は現在卵から生まれたドラゴンは、まごうことなきドラゴン種だと信じている。
なので秋生の精神を宿してる状態も普通にドラゴンそのものだと思っていて。
「だからサンプルとしては弱い。本当に欲しいのは」
「うん、人からドラゴンになった人の血液」
「だったらちょうどいいのを一人預かってますよね?」
「うん?」
誰だろう、と首を捻っていると後輩はにゃん族から預かった父さんを保管したカプセルを指差していた。
ああ、そういうこと?
確かに植物人間ではあるけど、だからって血を抜いたっていいことには……いや、待てよ?
「もしかして父さんが植物人間になってまで僕たちに肉体を預けたのって?」
「多分先輩が思ってる通りでは?」
後輩が他人事みたいにお茶を啜る。
「もしそうだったら、僕は父さんに感謝しても仕切れないな」
「復活したらお祝いパーティ開きましょうか?」
「添い寝はしないよ?」
「残念です」
後輩は放っておくとどこかで必ず言質を取ってくるからな。
僕は詳しいんだ。