「ごめん、父さん僕……」
「気にするな。俺の時はもっと酷かった。今回は槍込の発明のおかげで最悪の状況を防げた。産卵後の気怠さもあるが、今は立て。ここにいる限り、同じことの繰り返しだ。一応報告義務はしておけ。あいつは俺のはすぐ気づくが、まだ嫁候補でしかないお前のは気付けない可能性がある。お前に価値があることを認めさせるんだ。これで匂いの保持ができると思う。産卵直後で辛いのはわかるが、俺もこれで首の皮一枚繋ぐことができたからな」
「そっか、僕そんなことも知らないで父さんを……」
ふらつく秋生を支えながら、晃は産んだ卵を抱えてコアの元へ赴く。
「コア、娘が初めて卵を産んだぞ」
『おお! 素晴らしいぞ。さすがはオレの娘だな! アキラ、お前のサポートのおかげだ、感謝する』
「俺は何もしてない。ただ、産後疲れが激しい。まだ若いのに無理をさせたんだ。このまますぐにはやめておいた方がよさそうだ」
『そ、そうか。減った同胞を増やすまたとない機会だが』
「その分は俺が産むからいいだろ?」
『そうだな。アキラがいるか。わかった、娘はまだ安静にしているといい。大きな子を頼むぞ?』
「ああ、まかしとけ」
コアは上機嫌で巣穴の警戒に戻った。
本人はとても純朴でいいやつなのだが、その振りまく畏怖と呪い、匂いが周囲を狂わせるのだけが玉に瑕だ。
「やり過ごせたの?」
「俺たちの纏う匂いが変わった。より卵を産む回数は高くなったが、安全は保たれる」
「それって、またあの高揚感に包まれるってこと?」
「そうだな。だから今のうちだ」
「今のうち?」
「槍込にお前の産んだ卵を渡す」
「そんなことしていいの?」
「初めて産んだ卵は、だいたい生まれてこないことが多い」
多くの場合は、生まれた子供の餌となる。
晃は自分の生んだ卵から孵った子供が食べてしまったことにしてしまおうと目論む。
「そこまで考えてくれてるんだ」
「当たり前だろ。向こうは多分これを欲しがってるわけじゃないが、ハーフドラゴンの卵もまた実験対象にしてくれるだろう。俺たちは待つしかない。その間、可能な限り正気を保ってあいつに素材提供をするぞ」
「うん」
秋生は頷きつつも、自分が産んだ卵を愛おしそうに抱きしめていた。
親心、とかそう言うのではない。
絶対に違うと否定しながらも、苦しんで生まれた卵の感触を確かめて、それから数時間後に決意を改める。
「送ろう」
「いいのか? 二番目の中身入りの方がいいとか言い出すと思った」
「言わないよ。だってこれを放っておいたら、僕と似たようなことが地上の人にも降りかかっちゃうんでしょ?」
「そうだな。前までの俺ならザマアミロって思ってたかもしれない」
「流石にそれは酷すぎない?」
「それまで散々俺に石を投げてきた連中だぞ? スッキリするじゃないか」
「父さんがどんな人だったか、今はっきりと思い出したよ。だからこそ」
「?」
「コアに惚れなかったわけだ」
「ああ、それな」
父のあまりにもな態度に、どうして惚れずに逃げに徹することができたのか、ずっと不思議に思っていた秋生。
家族に見せてこなかった狡猾さを、リコに見せていたずる賢さを思い出し、納得する。
「あいつはいいやつなんだよ。けど、いいやつすぎてすぐ周りに騙されそうな迂闊さを持っている。俺はさ、あいつの右腕になって地上を侵略するつもりでいた」
「は?」
「だってそうだろう? 父さんから居場所を奪った連中だぞ? 今は産卵しかできないけど、きっと強くなれるって信じてた」
けど、蓋を開けたら強くなるどころかどんどん産卵させられて、出世とは程遠い生産部門の管理者止まり。
あまつさえ、せっかく産んだ子供を殺して回ってる奴がいるって聞いてムカッ腹がたった。
俺の成果を台無しにするんじゃねぇ!
それが晃の正真正銘の本音である。
その足で殺戮者に抗議を申し立てに行った先で捕まったと聞いて秋生は空いた口が塞がらなくなった。
「父さんてそこまで危機管理ができない人だったっけ?」
「仕方ないだろ? こんな形だ。向こうがこっちの言語体系まで掴んでるなんて思わないじゃないか」
今はもう昔のような社会性を振りかざせず、肩書きも何もない子供。
そしてドラゴンの特徴をこれでもかと持っていた。
ダンジョン内で配信ができるようなって久しく、晃を捕まえた探索者は凄腕のSランク。
どう転んでも勝てる相手じゃなかったと晃は不平不満を並べた。
「知らなかったら切り伏せられてたってことじゃないの?」
「それもそうだな」
今更になって晃はあの場は状況に助けられただけだと理解し、冷や汗を流す。
「じゃあリコさんに助けられた形じゃないか」
「そう言うことだな。それとこれとは話は異なるが、ううむ。俺としたことが槍込にやり込められてしまうとはな」
「リコさんの方が一枚上手だったってことだね」
「槍込単独でだったら父さんの方が有利だったぞ?」
「そう言う昔はすごかった自慢はしなくていいから」
なんだかんだと言い合いながら、最初の卵を転送陣に乗せる。
「ああ、あとこれもだ」
晃は己の腕に注射針をブッ刺して、血を抜いたあと専用の容器に入れた。
産後に献血など通常ならあまりお勧めできない行為だが。
「ちょっと、何やってるの!」
「あいつが欲しがってるのは多分これだ。この飴はりゅう族専門のもんじゃない。だから効きが薄いんだ。でもこれなら」
「血なら僕のでもいいじゃないか」
父の突然の奇行に焦る秋生。
しかし、続く晃の言葉に黙り込むことになった。
「ダメだ。お前は俺が正気を保てる唯一の足がかり。槍込に嵌められたのは未だに業腹だが、実際それのおかげで気づくことも多くてな。俺が今正気を保ててるのはなんだと思う?」
「なんなの?」
たった一度の出産で、自分は頭がおかしくなった。
けど晃は慣れっ子みたいに平然としている。
飴を舐めた形跡もない。
その原因が、心底わからない。
「お前だよ、秋生。俺が人間だった頃の息子だ。俺はまだ人間でいていいんだって、そう思える唯一の手がかり。もしこれが違う誰かだったら、俺はとっくに正気を失っていたと思う」
「父さん……」
「だから秋生。犠牲になるのはお前であっては困る。卵は俺が産む。だからお前は正気を保って、槍込に情報を渡せ。その時、可能であればお前の血も分けてやってくれ。俺のは毎回でもいいぞ」
腕を曲げても力瘤一つできやしない細腕で、俺は親父だからなと虚勢を張る晃に、秋生は言葉が出なかった。
「僕、父さんを誤解してたよ」
「これから知ってけばいいさ。さて、父さんは少し疲れたから横になるな」
「うん、無理はしないでね」
寝入る晃はその背格好から子供のようにしか見えないが、立派な人物なのだと秋生の中で評価が上がっていく。
転送陣はうまく作動してくれた。
ドラゴンに噛みつかれても砕けない特殊合金で作られているとは聞いていたけど、何度も丸呑みにされそうなこともあったのに本当に壊れず、今も動いていることに感謝しかなかった。
しかし、呪いの進行だけは、手渡した飴を持ってしても食い止めることはできず。
二週間もしないうちに二人の自我はりゅう族のものに置き換わっていた。
「
「あー? どれだ?」
「これ!」
「なんだろう? 他の奴らが持ってきたものか?」
「これかたーい、僕の歯でも噛み砕けないよ」
「後で
「うん」
「どっちが大きい卵を産むか勝負だ」
「負けないよ?」
まるでそれが嫌なものであると言う認識さえなく。
二人、もとい二匹は元気な卵を産むことだけに集中する。
部屋の片隅には噛み砕かれた飴と、魔法少女変身アイテム、そして転送陣がボロボロの姿で捨て置かれていた。
まるで二人にはもう必要ない物であるかのように。
ちょうどその頃、僕は。
大詰めになった研究の最終段階を乗り越えていた。
「よし、出来た」
真っ赤な薬液をビーカーから取り出し、それを器の上に盛り付ける。すると空気に触れた箇所から徐々に固形化し、一つの球になった。
こうなれば指で触っても大丈夫だ。
「先輩、それは?」
「大塚君の血清で作ったキャンディだよ。どこまで効果が出るかわからないけど、うろこ族には確実に効く」
隔離施設で預かってる被験者に投与して見たところ、全員正気を取り戻した。
この薬品は、呪いによって活性化した血を正常化させるりゅう族の血が使われている。
大塚君ではなく、秋生の方の血だね。あとは卵白。
なんで卵をよこしてきたんだろうと最初はその意図を汲みかねたんだけど、向こうにとってはなんでも送って検証してくれと言う形だったんだろう。
おかげで正気を取り戻せた人に、別のスペアボディをきさせるテストは成功した。
うろこ族の呪いは体を変質化させた上で人格を乗っ取ると言う極めて悪質なものだったが、スペアボディを事前に配ってたおかげですぐに対処できたのは良かった。
「また政府から重い期待が注がれちゃいますね」
「さっさとレシピ化して他の錬金術師に作らせよう。流石に何億人もの生産は僕一人ではやんないぞ? でもそのためにも、素材が多く必要だ。限られたものだから、代用品はいくらでも求められるだろうしな」
「人の欲望って際限ないですからね」
「本当にね」
けど、問題はまだまだあって。
大塚君たちから連絡が取れなくなったことだ。
何かのトラブルに巻き込まれたか?
はたまたこちらの想定を上回る呪いだったか。
原因を突き止めたあと、これは防ぎ用がないと痛感。
りゅう族の呪いの正体は匂いにあった。
目に見えない微生物が、風に乗って体内に届く。
うろこ族の血は、その働きかけによって変質化したものなのだろう。
だが、その臭いは浴び続けなければ正気を取り戻せる。
軟禁させた大塚君がいい証拠だ。
取り込んだ呪いが血に感染した肉体は変質化してしまうが、精神が正気なら、いくらでのスペアを着せられるからね。
しかしそれじゃあ父さんを起こせない。
肝心の精神がどこに行ったかわからない状況だ。
何度も振り出しに戻っては頭を抱えて。
そこで一つの違和感に辿り着いた。
僕はあの結晶板をただの情報保管庫ぐらいにしか思っていなかったってことだ。
父さんがどれほどの科学者であるかを僕が知らないからこその落とし穴。
もし、生前の父が僕と同じレベルの技術力があったと仮定して、結晶板を紐解いてみたら。
ビンゴ。
精神の保管はその結晶板にされていた。
ただの板切れとして長年放置されていたので、保存状態はお世辞にも良いとは言えないが、これで僕は父さんを復活させる手立てを得たのだ。
「先輩」
「ああ、ようやくだ」
「義母様とイルマーニさんを呼んできた方がいいですかね?」
「可能であればサルバさんも」
「わかりました」
後輩が研究室を飛び出ていき、僕は研究室の端っこに置かれた父さんの素体が置かれたスペースを覗き込んだ。
「もうすぐ会えるね、父さん」
あ、でも、女の子だって間違えられたら凹む自信があるから、ちょっとそれっぽい格好に着替えとこうかな?
ほら、そこは威厳とかの問題もあるし。