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第44話

 真っ暗な視界の中、ジャスティーナは「開けて!」と何度も叫び、閉ざされた扉を叩き続けた。しかし、それに呼応する者はいない。


 足早に立ち去る二人分の靴音が次第に遠のいていく。


 しばらくして扉の向こう側から人の気配が完全に消えたのを感じ取ると、ジャスティーナは一連の動作をピタッと止めた。


 静寂が辺りを包む。

 ずっと声を張り上げていたせいで喉が渇いた。


(これであの二人が戻ってくることはなさそうね。さて、まずは転移魔法で自室へ戻ろう)


 先ほどまでの取り乱した様子から一変、ジャスティーナは既に冷静さを取り戻していた。

 いや、実は閉じ込められた直後からすでに脱出の手段は彼女の手中にあったので、全く焦ってはいなかったのだ。


(演技、とまではいかないけど、危機に陥って叫ぶ哀れな令嬢の役はこなせたかしら)


 過去生で舞台の見習い女優だった時。役名すらない『叫ぶ女・その二』という端役で舞台の隅に立ち、仲間たちとひたすら声を張り上げたことを思い出す。


 ジャスティーナが哀れな令嬢に成り切ったのには理由があった。転移魔法を使うには、人払いが不可欠。もし焦りもせず声も上げなければ、オーレリアとエノーラは不審に思って扉を開けてしまうかもしれない。ちょうどその時に転移魔法を目撃されでもしたら非常にまずいのだ。


 しかし、ジャスティーナが叫びながら扉を叩く音を最後まで耳にした彼女たちは、安心して試験会場へ向かったことだろう。


(草をかき分けながら走って戻るより転移魔法を使った方が絶対に便利だし、一旦自室に戻って会場に行く方が若干早いような気がするのよね)


 それにしても完全に光から遮断された空間に居続けると、さすがに気が滅入る。


 ジャスティーナは手のひらを上に向けると、闇の炎を出現させた。手のひらサイズの紫の炎が辺りを照らし出す。小さな明かりにホッとしたジャスティーナは魔法が展開しやすい場所を求め、階段を再び下りていく。


 地下室と思われるこの場所はどこかから空気が入り込んでくるのか、微かに風の流れを感じる。それに少々カビ臭い。


「広さは私の部屋と同じくらいね……」


 一番下まで下り、ぐるりと見渡す。元々物置だったのか、壁際に木箱や木材がわずかに残されていた。床も壁も天井も全て石造りで、ひんやりとした空気がジャスティーナの身体にまとわりつく。オーレリアから受けた水魔法のせいで、濡れた身体がさらに冷やされ思わず身震いした。


「寒い……今更だけど結構濡れていたのね。この身体を何とかしないと」


 替えの制服に着替えは可能だが、髪まで乾かす時間はない。

 試験会場でロレッタと合流できても、濡れたジャスティーナを見て驚かれるのは必然。

 大事な試験を前に心配をかけてしまうので、ロレッタに本当のことは話せない。かといって、濡れていることを誤魔化す最適な言い訳も思いつかない。


「髪を乾かすにしても、私に使えるのはこの闇の炎と、本来の力である風魔法くらい……あ!」


 刹那、ジャスティーナの脳裏に幼かった頃の記憶が浮かんだ。


 父であるラングトン侯爵が一時期、自ら魔道具らしき物を開発しようとしていたことがあった。

 ある日、父が庭で何かを実験しようとしていると兄から聞いて、二人で見に行った。


『おとうさま、これはなあに?』

 広大な庭の一角、その地面に大きなガラス瓶が置かれ、中には緑色に光る石が入っていた。


『これは温かい風を起こす装置を作っているところだよ』

 侯爵は以前にその手の試作品をどこかで見たことがあるらしく、自分で作ってみたいと語った。これがあれば、濡れた物も早い時間で乾かすことができるのではないかと。


『そこで私の火魔法が役に立つかもしれないと思ってね。さあ、危ないから二人とも離れていなさい』

 もっと近くで見たかったが、父の言いつけ通りジャスティーナは兄に手を引かれ、離れた場所から見ることにした。


 今思えば、あの緑色の光る石は風の魔力が込められた魔鉱石だったのだろう。


 それから父の実験を見守っていたのだが、結局は力の調整が上手くいかず、ガラス瓶が割れるという結末を迎えてしまった。


 それでも父の熱は冷めることがなく、幾度か実験を繰り返していたようだ。しかし母が双子を出産後に体調を崩してしまったことで、父は実験どころではなくなってしまったのだろう。それ以降、父からその装置の話を聞くことはなかった。


「今の私なら……もしかして可能だったりするかしら……?」

 この炎をもっと大きくすることが出来れば。


 念のため、ブラウスの中から魔鉱石のネックレスを引っ張り出して確認する。


 昨日の夕食後、ルシアンが交換してくれたくれたばかりなので彼の治癒魔法が満たされているはず。その証拠に、魔鉱石は美しい光を放っていた。


「これなら安心ね。……さあ、やってみるわよ」


 ジャスティーナは腕を伸ばすと瞳を閉じ、精神を集中させる。

 内にある闇の力に働きかけ、炎が大きくなるようにイメージした。

 次第に魔力が腕に流れ込んでくる。これまで以上に熱く、重い。

 しばらく意識を炎に向け──ボワッと爆ぜる感覚がして目を開けると。


「えっ? 嘘!」


 ジャスティーナは驚いて目を見開いた。

 手のひらサイズだった小さな炎は大きく揺れながら、いつの間にか天井まで達している。


 これでは天井が焦げてしまう。

 ジャスティーナは慌てて床に両膝をつくと姿勢を低くした。


「大変、ここには木材もあるし、あやうく火事を引き起こすところだったわ」

 一息つくと、改めて大きな炎を見つめる。ヴィムに魔族の森に連れていかれた際、思わず彼に放ってしまったのと同じくらいの大きさだ。


「出来た……って関心してる場合じゃないわ」

 次は空いているもう片方の腕を伸ばす。


 こちらの手で風魔法を起こし、威力を上げていく。ここ最近、技能試験に向けてロレッタと特訓を重ねてきた成果もあって、これは難なく出来た。


 ちょうど同じ大きさになった風の塊と闇の炎を見比べる。

 一か八か。

 ジャスティーナは慎重に両方の手のひらを重ねていった。──つまりは、炎と風を。


 片方は魔族の力で、もう片方は人間の力。

 二つの性質は違い過ぎるのか、最初は互いに反発し合って、なかなか重ならない。

 それでもジャスティーナは諦めず、ゆっくりと二つの力を合わせていく。


 すると、端同士が次第に融合し始め、威力を落とすことなく合わさっていく。


 やがて完全に両の手のひらは重なり合い──。


「で、出来たわ……‼」


 ジャスティーナの視線の先には。

 紫の炎を纏った大きな風の渦が出現していた。


「自分で編み出した力だもの。危なくなんかないはずよ……きっと大丈夫!」


 大きく深呼吸をした後、一気に手のひらを胸元に引き寄せる。

 次の瞬間、ジャスティーナは炎と風が結合した渦に身を包まれた。


 身体を焼かれるような熱さだったらどうしようと考えていたが、温度は程よく風も心地よい。

 風がジャスティーナの長い髪を揺らし、制服をはためかせる。


(ああ、何だか味わったことのない気持ち良さだわ……)


 うっとり目を閉じかけたところでハッとする。

 あまり時間がないし、ここで魔力を消耗させるわけにはいかない。髪と服に触れ、だいたい乾いたことを確認すると、ジャスティーナは集中させていた意識を散らした。


 たちまち炎と風の渦は跡形もなく消える。


「よし、これで戻れるわ」

 そのままジャスティーナが転移魔法に移行しようとした時。


『……出し……て……。ここから……出して……』


 聞いたことのある声がどこから微かに流れてきた。


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