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第43話

(え……?)

 視界がぐらりと揺れた。


 ジャスティーナの身体は、階段下に広がる闇の中へ落ちていく。

 背中には、偶然ではなく明確な意思を持った人の手によって、強く押された感触が残ったまま。


 それが何を意味するのか、理解するのに時間はかからなかった。


 階段がどれほど続いているのかは分からないが、このままでは確実に転がり落ちていってしまう。


 ジャスティーナはすぐさま両手を前に突き出だすと、魔法で風の層を作った。落ちた衝撃を少しでも和らげるクッションのような役割を期待したのだが、咄嗟の判断だったため技としての完成度は低く、身体のあちこちをぶつけながら階段を落ちていく。


「うっ……」

 一番下まで落ち切ったのか、身体の回転が止まった。

 呻き声と共に息を吐き出す。


 先ほど発動した風魔法の効果もあってか、幸い頭は強く打っていないようだ。全身に痛みはあるものの想像していたよりかは軽い。おそらく擦り傷程度だろう。


 それでも瞬時に立ち上がれないくらいのダメージは受けている。最悪なことに、転げ落ちる過程でもともとボロボロだった階段の一部が破損したのか、埃と木くずが全身にこびりついていた。


(もう……踏んだり蹴ったりだわ)

 ジャスティーナはゆっくりと上体を起こした。


 見上げれば、長い階段の先にかすかな光が見える。高さとしては一階分くらいの差はあるように感じた。


「あらら……ジャスティーナ様、大丈夫ですかぁ?」

 上からオーレリアの声が降ってきた。しかし、心から心配しているという様子ではなく、その声色は明らかに嘲笑の音を含んでいる。


 ジャスティーナはそれを聞いた瞬間、背中に衝撃を与えた人物──つまり自分を背後から突き飛ばしたのはオーレリアだと確信した。


「なぜ、こんな──」

 こんなことをしたのかとオーレリアに問おうとした時、上から別の人物の声が聞こえてきた。


「上手くいったみたいね、オーレリア」

 なぜかそこにいないはずのエノーラが、オーレリアの横から顔を出す。

「ええ。ほら見て、あの惨めな姿」

「あはは、ほんと」


 見向きもされなくなって長年経過した建物の内部。清掃されずに積もりに積もった階段の埃とボロボロになった木くずを一身に纏ったジャスティーナの姿は、とても滑稽なのだろう。二人は笑い声を上げた。


 それを聞きながら、逆にジャスティーナの頭は冷静になっていく。


(……最初から全部仕組まれていたわけね)


 もっとオーレリアを疑ってかかるべきだった。だが、試験開始までの時間は限られていたし、オーレリアからは焦りの感情が滲み出ていたので、それが演技だと最初から見破るのは難しかった。


(……いいえ、焦っていたのは私も同じだわ。それで判断を誤ってしまった。でも今はそんなことより……)


 聞きたいことは山ほどあるが、真っ先に確かめなくてはいけないことがある。

 ロレッタの安全確認が急務だ。彼女も自分と同じ目に遭っているのではないだろうか。


 ジャスティーナは急な動きで身体に負担をかけることは避け、ゆっくりとした動作で立ち上がった。


「ロレッタ、ここにいるの? いたら返事をして!」

 周囲の暗闇に向かって叫ぶ。


 しかし、それに応えたのはオーレリアだった。

「ロレッタ? あらやだ、最初からこの建物内にはいないわよ。そんなことも分からなかったの?」

「え……?」

 その言葉に、ジャスティーナは再び階段を見上げた。


「今頃あの間抜けなロレッタは偽の手紙を信じ込んで、いつまでも現れない相方が来るのを試験会場の片隅で心細く待っているんじゃないかしら」


「偽の手紙に試験会場って……それじゃあ、ロレッタはそこにいるのね? ああ、良かった……!」

 ジャスティーナは安堵の表情を浮かべる。


「……ずいぶん余裕ね。人の心配している場合?」

 その反応が面白くなかったのか、オーレリアは顔をしかめて不快感を露わにした。暗闇に突き落とされたジャスティーナが我を忘れて取り乱す姿を想像していたのかもしれない。


「自分の置かれている状況がわかっていないみたいだから、教えてあげるわ。最初から私たちの狙いはあなただけだったのよ、ジャスティーナ・ラングトン。あなたが馬鹿みたいにお人好しだったおかげで、こうも上手くいくとは思わなかったわ」


「私が狙いって一体どういう……?」

 話が見えず、ジャスティーナは呟く。するとオーレリアは盛大にため息をついた。


「……はぁ、ロレッタの間抜けさがあなたにも浸透してるんじゃないの? あなたが目障りだからに決まってるからよ。私たちだけじゃなくアデラにとってもね」

 オーレリアの口からアデラの名が出たことに、ジャスティーナは違和感を覚えた。

「アデラ様とあなたたちは距離を取っているんじゃなかったの……?」

「あら、ちゃんと効果はあったみたいね。そんなの、あなたを油断させるための演技よ。そうでもしなきゃ、あなたは私を警戒したままで、こんな所までノコノコついて来なかったでしょう? いつもオドオドしていたロレッタを見るのが楽しかったのに、最近あなたと仲良くなったせいであの子、急に生き生きしちゃって。気に入らないのよ。でも、前みたいにロレッタに近づこうとしても、どうせあなたが庇って邪魔するだろうし。だから、先にあなたをロレッタから離すことにしたの」


「こんなことに何の意味があるの? こんな嫌がらせをしたところで、私はロレッタのそばを離れたりしないわ」

 ジャスティーナの言葉に強い意思がこもる。


 それを、フンと鼻で笑ったのはエノーラだ。

「そんな強がりを言っていられるのは今だけよ」

「意味ですって? それならあるわよ。今日の実技試験のルールを知っているでしょ?」


(ルール……まさか)


 何かに気づいたジャスティーナの表情を見て、オーレリアとエノーラの口角が意地悪く上がる。


「ようやく分かったようね。そう、実技試験は二人一組で受けるのが大前提。欠席者はあらかじめその旨を申請しなければならない。でも、もうその刻限はとっくに過ぎているわ。これからはどんな言い訳も通用しない」

「もしあなたがこの試験をすっぽかしたら? 連帯責任でロレッタも失格になるわ。ああ、何てかわいそうなロレッタ。この日に向けて特訓してきたことが全部無駄になってしまうなんて。当然あなたはあの子に恨まれる。そうなれば、あなたとロレッタの仲はこじれて短い友情期間も、はい終了」

「再びロレッタは一人ぼっちになるでしょうけど、そこは安心して。私たちが面倒みてあげるから」


 罠が上手くいって興奮したのか、オーレリアとエノーラは饒舌に今回の計画の全容を語る。


 エノーラは最初から近くに身を隠していて、オーレリアが物音を聞いたと嘘をつく。そして扉を開けてジャスティーナをここに突き落とす。

 単純すぎる罠に自分が易々とはまってしまったことが口惜しいが、今この二人に怒りをぶつけている時間はない。

 早くロレッタの元に向かわなくては。


 ジャスティーナが階段を駆け上がろうとした時。


 頭上からバシャッ!と勢いよく大量の水が降り注いできた。

「え、ちょっと……!」

 髪の毛と着ている制服を濡らすには充分すぎる量に、思わずたじろぐ。

 オーレリアがジャスティーナに向かって水魔法を放ったのだ。 


「何するの⁉」

 さすがにこれには怒りの感情が湧く。


 しかし、全身水浸しになったジャスティーナが次に浴びたのは、オーレリアとエノーラの笑い声だった。

「あはは、面白い。あら、以前と同じく『実技授業以外で生徒同士の魔法攻撃は校則で禁止されている』とか、優等生みたいに説教するつもりじゃないでしょうねぇ。誰も見ていないんだし、大丈夫よ。私が誰かに責められることはないわ。あなたが一人で勝手に旧学舎に入り、地下室にあった水を浴びただけのことよ」


 オーレリアは「一人で勝手に」の部分をわざと強調して言った。


「ねえ、オーレリア。そろそろ試験が始まるわ。私たちも向かわないと」

「ああ、もうそんな時間。急ぎましょう。では、せいぜい風邪を引かないようにね。ジャスティーナ様」

「安心して。試験が終われば迎えにきてあげるから」


 オーレリアとエノーラがそう言い残すや否や、階段上の扉が閉められる。

 ジャスティーナは慌てて駆け上がったが、間に合わなかった。


 目前で扉が完全に閉まり、視界が暗闇に覆われる。

 急いで手探りで扉に触れたがドアノブが見つからず、手前に引くことが出来ない。


 そうこうしているうちに向こう側でゴトゴトと大きな音が聞こえてきた。


 嫌な予感がして、今度は扉を思いきり強く押してみたが、びくともしない。ジャスティーナの脱出を阻むため、廊下に残っていた古い調度品か何かで外側から扉を塞がれたのだろう。すぐに運べるよう、おそらく事前に準備していたのだ。


「今回はただの試験じゃないの! ロレッタが一大決心した大事な試験なの!」


 ライナスにロレッタの頑張りを見てもらうため、そして彼女が彼と話す勇気と自信を手に入れるため

「私のせいで全部台無しにするわけにはいかないのよ! ここから出して‼」


 ジャスティーナは声を上げながら扉を叩くが、無情にも向こう側からの反応は無かった。


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