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61 予感

 しばらくして、私は深く息を吐いた。


「少し落ち着きました」


「そうか。けれど、無理する必要はないから。……俺の前では特に」


 ルシウス様は、まだ私の肩に手を置いたまま、いつもの穏やかな声で言った。


「……はい」


「クローディアが望むなら、いつでも半獣の姿になってもいい。今だって」


 囁くように言われ、私は慌てて立ち上がった。


「今は駄目です……! 服だって脱げますし」


「秘密の逢瀬っぽいじゃないか」


「身分も明らかな所で秘密の逢瀬もあったものじゃありません」


「残念だ」


 ちっとも残念そうじゃないルシウス様が笑う。

 私も同じように、自然と笑顔になった。


「私も残念ですよ」


「……嘘だ」


 私は先程まで読んでいた本を、本棚に戻した。


「ルシウス様、お腹が空きませんか? 頭を使ったら、すっかり糖分もお肉も足りません」


 ルシウス様は少し意外そうな顔をしたあと、ふふ、と笑った。


「確かに、何も食べずにもう夕食の時間が近い」


 私たちは夢中で本を読んでしまっていたようだ。外は少し暗く成りかかっている。お腹がすくのも当然だ。


「今日の夕食は何でしょうか。厨房のマリーさん、新しいスープのレシピを試すって言ってましたよね」


「ああ、確か南の国から取り寄せた香辛料を使うとか」


 ルシウス様も私の話題にお腹がすいてきたようだ。


「楽しみです。あ、でも辛すぎたらどうしましょう。ルシウス様は辛いもの、お得意じゃありませんよね」


「……それは言わなくても」


 少し困ったような表情を浮かべるルシウス様に、私は思わず小さく笑った。


「大丈夫です。辛かったら、私の分と交換しましょう」


「俺の分を食べる気じゃないのか?」


 ルシウス様は、私の提案を疑いにかかっている。あたりだ。


「そうともいいますね。私、最近気が付いたのですが辛い物は結構好きみたいです。……お母様も、好きだったみたい」


 一瞬迷って、付け足す。


「母様も辛いものが好きだったって、日記に書いてありました」


 ルシウス様は静かに微笑んだ。


「そうか。では、今夜はお前に甘えるとしよう」


「辛くなくても私にください」


「……クローディアはこの細さでどこに食べ物を詰め込む気なんだ……?」


 私たちは並んで図書館を出た。

 窓から差し込む夕陽が、二人の影を長く伸ばしていた。日常の何気ない会話が、今は特別な宝物のように思えた。


 そして私とルシウス様は、手をつなぎ、ゆっくりと帰途についた。


 私たちの家に。


 *****


 見慣れない長い銀髪が見えた気がして、カリアンは足を止めた。

 何の気なしに振り向いた先には見知った姿がある。はっとして、柱の陰に隠れた。


「……無能の姉じゃないか」


 カリアンは、唸るように呟いた。


 それは、フラウの姉だった。正確には、姉だった女だ。

 クローディアの事はフラウから話は聞いていたけれど、特筆すべきことのない娘だった。


 ただ、白い肌に銀髪は、庇護欲を誘う見た目ではあった。

 豪奢なフラウとは、対極だ。


 あの日初めて見たけれど、ルシウスなどにくっついて不快だった。

 ルシウスは、カリアンにとってはただただ邪魔な存在だった。


 ただ二番目に生まれたというだけで、諦めさせられた王の座。


 長い時間をかけて諦めたその権力。しかし、当然その次は自分でなければいけない。

 そしてそれは叶っていた。


 それなのに、戦争で名声を手に入れて突然目の前に現れた。カリアンの、すぐ先に。


 人外の力を手に入れ、人々から蔑まれると同時に、妙なカリスマも持っている。悪意を広げるのは簡単だった。けれど、それは彼の人気もあらわしていた。


 存在自体が不愉快な男、それがルシウスだ。


 ……無能との結婚で、埋もれてしまえばいいと思っていたのに……。


「あんな男が、私を侮辱するなど……」


 舞踏会での一幕を思い出し、非常に不愉快な気持ちになる。

 カリウスは憎々しい気持ちで、クローディアをにらんだ。


 今日もルシウスと一緒のようだ。


 聖女の娘として生まれながらも、何の力も持たず虐げられ暮らしていた。

 当然だ。

 聖女は、この国を変える力を持っていたと聞いている。父からも、教会との関係が危うく恐ろしい日々だったと聞いた。


 あまりにも強大な力。秘匿された、力。


 それなのに、それは突然失われた。

 卑怯な手で聖女を娶ったドートン家のやり方に問題があったのではと噂された。強引に聖女を手籠めにし、結局聖女は死んだ。


 子どもは何も持たない、無能だった。


 ドートン伯爵は、聖女も教会の伝手も貴族としての信頼も失った。しかし、しぶとく図々しくいまだに伯爵として巣食っている。


(私が手を差し伸べれば、すぐに掴む。……フラウも、あの見た目で色目を使い、俺を手に入れた気でいる。いい感じに馬鹿だ)


 ルシウスは、フラウを使ってただの化け物だということを、貴族全員に知らしめてやる。

 さて、次の手を考えよう、と思ったところでふと気が付く。


 何を企んでいる?


 ルシウスも、クローディアも、王城には縁がない。むしろ避けていると言っていい。

 それなのに、どうしてこんなところに。


 ……まさか。


 舞踏会での、失敗。魔物寄せを飲ませるはずだったのが、クローディアがぶつかったせいで失敗した。


 そして、魔物寄せ自体が、すぐに暴かれた。

 警戒を持たなければ、気が付かないようなものなのに。


「……まさか、無能では、ない?」


 浮かんだ馬鹿馬鹿しい考えに、カリアンは真実があるような気がした。


「……フラウを使うか」


 まずは確かめなければいけない。

 この銀髪の女がルシウスをつぶす邪魔になるようなものなのかどうかを。

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