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81 最悪ではない選択を願って

 誰かの足音が、床を打つ音と混ざって近づいてくる。だけど、カリアン殿下ののんびりとした声が、再び私の意識を曇らせた。


「……ああ、やりすぎたかな? どんどん魔力が増えてきている。これじゃ苦しいよね。どこまで増えるんだろう? 聖女がいないから加減がわからない! でもまあ、大丈夫だろう。君は強い子だしねクローディア」


 ふざけてる。こんな時でも、ただ笑っている。


「黙れ。これ以上、彼女に近づくな」


 低く、怒りを押し殺したルシウス様の声。冷たい鋼のようで、ぞくりとするほどの威圧感が滲んでいた。


「わあ、怖いなあ。君がそんな顔をするなんて。聖女の奉仕ってやっぱり凄いんだなあ。試したいなあ」


「クローディアを侮辱するな!」


「……でも、駄目駄目。君は感情をコントロールしないと。クローディア嬢は君の獣化の為に魔力を使わなきゃいけなくなっちゃう」


「……まさか」


「魔力が増えるということは暴走しやすいもんね。聖女の魔力は特別だといっただろう? そう……聖女の魔力は感情に働きかける」


「感情に……」


 ルシウス様の手に力がこもる。


「ああ、そうだ。私もすごく楽しくなってきたし、君も獣の気持ちがどんどん膨らんでいるのではないかな。彼女の魔力に当てられて、クローディアを抱いたまま獣化するのを選ぶ? そうしたらクローディアも死んでしまうかもしれないね。魔力の暴走か、君の手か、どっちが早いのかな? そうしたら、君をすぐに討伐対象に指定しなくては! 楽しみだ。あははっ。いいよなあ、感情を操れるってどんな気分なのかな! 私がその力を持っていたら、君をすぐに獣化させるのに」


 高らかに笑う声。

 最悪の二者択一。


 私の魔力がルシウス様を獣化させる。彼を、酷い目に合わせてしまう。

 意識が遠のく。

 それでも、私はルシウス様が死ぬかもしれない選択は絶対に嫌だった。何も言わなければ、彼はこれを選べない。


「……じゅう、か、しないで。おねがい、おねが、いだ、から」


「クローディア……クローディア!」


「君もそろそろ動けなそうだね、ルシウス。獣になっても、面白いしこのままクローディアを見捨てるのもいいな! ああ、面白い。本当に面白いよ。そろそろだなあ。どっちになるんだろう?」


 ルシウス様は、黒に覆われてきている。今は精神力でもっているだけだ。

 これ以上は、絶対に駄目だ。


 ルシウス様が獣と思われるなんて、駄目だ。

 獣人の姿でさえ、忌避されている。それが、獣化ではもう貴族としては生きていけない。


 ……それどころか、普通に生きていくことすら。


 ルシウス様は、こんな時でも私を犠牲にすることを選ばないんだ。

 彼は優しいから。


 そして、その優しさを私は好きになった。

 私を見捨てろなどということは、彼にとってきっと残酷すぎた。


 これでは彼の父と変わらないと彼が感じるのは間違いない。残酷に迫る、罪悪感を抱かせる行動。


 罪の意識を押し付け、彼を思い通りに変えた、ルシウス様の父親。

 これを、彼に選ばせてはいけない。

 ルシウス様には、選ばせない。


 ……だけど、私がいなければ、彼は。


 ルシウス様は獣化をおさえているために動けない。


 私は力を振り絞って、起き上がりそのままルシウス様から離れた。しかし、すぐに力強く捉えられ、浮遊感と耳元でカリアン殿下の声が響いた。


「捕まえたっ! あははっ」


 ……これが正解なのかはわからない。ただただ、最悪だ。


 けれど、ルシウス様は私のこの行動の意味だけはきっと分かってくれる。

 彼は、助かる。


 まだ、最悪じゃない。……たぶん、そう、願って。


 カリアン殿下の楽しそうな声と共に、私の意識は失われた。

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