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80 最悪な場所は

「……」


「クローディア……? どうした! クローディア!」


 ルシウス様の必死に私の名前を呼ぶ声が聞こえる。なのに返事ができない。

 視界がぐにゃりと歪む。ルシウス様の声が遠のいていく。けれど、しっかりと私を抱きしめてくれる腕の温もりだけは、かすかに残っていた。


 ……ああ、倒れてはいけない。ここで、気を失ってはいけない。


 そう思うのに、身体は言うことを聞かない。


「しっかりしろ、クローディア! ……おい、何をしたんだ!?」


「わーこわいこわい。もちろん何もしていないよ。だって君も私も同じ飲み物を飲んでいるだろう? 君の監視があって、私に何かできるはずもない」


「お前はクローディアに何かが起こることを知っていただろう!」


「どうだろう? 君はずっと私とクローディアを見ていたね。凄い執着だ。君が何かに執着しているのを見るのは、とても愉快だ。……それが、壊れるならもっと面白いだろうね」


「なんだと!? 早く言え! 何をしたんだ!」


「不敬だよ。すぐに兵を呼んでもいいんだから、言動には気を付けた方がいい」


 ルシウス様の怒声が耳元で響く。ああ、怒ってくれてる。私のために。でも、その人は危険だ。

 自分のこと以外考えていない人間だ。ルシウス様にも何をするかわからない。……ルシウス様が、獣化してしまったら。


『こんなところで』……?


 その思いつきにはっとする。

 そうだ、もしかしたらそれが狙いかもしれない。私は混濁していく意識で、ルシウス様の事を見る。私の懸念通りに、ルシウス様の周りを黒い色が取り巻き始めていた。


 ……駄目だよ。


 私はその思いを込めながら、ルシウス様に魔力を流す。


「……クローディアっ」


 ルシウス様が、気が付いてくれた。


 私は、嬉しくなってルシウス様に微笑みかける。それが届いているかは、わからないけれど。

 視界はぼんやりとして、意識も気を抜くと遠くに居なくなってしまいそうだ。

 彼らの声すら、遠く、かすんでいる。


 けれど、私の身体からはルシウス様の体温がはっきりと伝わってくる。

 それだけで、私は大丈夫だ。


「……なんだ、残念。獣にならずに済んだみたいだね」


「……」


「まったく、そんな怖い顔で睨まないでよね。でもやっぱり、この間の失敗は、彼女が関わっているのは間違いないようだな。流石聖女だ。聖女の力は、うわさでしか聞いたことがなかったし、何かしらの魔法の一種だと思っていたけれど、目の前で見ると違う気がするね」


 歌うように、ご機嫌な口調でカリアン殿下が続ける。


「聖女の魔力は特別で、さっきのマドレーヌは聖女の魔力を増幅させる薬草が入っているんだって。それを紅茶にたくさん入れておいた」


「聖女の魔力を増幅する、薬草……」


 ルシウス様が呟く……。その声は、じわりと焦りを含んでいた。


「あのマドレーヌを食べて、何人もの貴族に聖女は奉仕していたんだ。教会の為にね! 貴族たちは馬鹿みたいに聖女の魅力にはまって、感情を操られて。でも、それ程聖女を抱くのは良かったのかな? そうしたら本望だったのかもしれないよね! 面白いよね。この記述を読んだとき人の欲望って、無限なんだなって思ったよ。教会なんて名ばかりだ。おっかしいよねえ、笑えるよね」


 お母様の境遇に、涙が出てくる。それなのに、この男はおかしそうに笑っている。


 最悪だ。


 あの家よりも最悪な場所があったんだ。

 お母様……。

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