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エピローグ 怪物


港町と『鉄の国』を繋ぐ商人ギルド所有の屋敷──。


所有者は一帯の流通を取り仕切ることで港町の支配者とされる。


サランドロ、そしてケルクスを経た『支配者の椅子』はあらたな主人を迎えていた。


数多の商談をまとめてきた応接室に客人が来訪する。


「椅子の座り心地はいかがですか?」


以前にドワーフたちを煽りサランドロを襲撃させた男、彼はニコロという偽名を名乗った。


「──大願成就のお祝いに参りました」


ニコロは盗賊ギルドの調査員だ、老齢であるギルドマスターの目を務めている。


業者を装い『娼館パレス・セイレーネス』などに入り込み情報収集を行っていた。


屋敷の主人は礼を述べる。


「協力に感謝します」


支配者の椅子に座るのは商人ギルドを追われたはずのノロブだった。


盗賊ギルドと商人ギルドは互いに煙たい存在のはずだが、二人は旧知の仲といった様子で対面した。


立ち上がって握手を交わす。


「──それはたてまえで本音では釘を刺しに来たのでしょう、人形使い殿」


マッドゴーレムを操る魔術師をノロブは『人形使い』と呼んだ。


手を組んだのは一年以上も前。


雇い主であるサランドロが粛正されたことでノロブの立場はギルド内で地に落ち、下っ端として飼い殺されるのが目に見えていた。


正攻法ではのし上がれない、そこで盗賊ギルドを頼ることにしたという訳だ。


「あなたの栄達に我々の力添えがあったことはけしてお忘れなきよう」


港町における商人ギルドの権力は絶大だ。


以前よりサランドロを操作しようと画策していた盗賊ギルドは彼が粛正されたことで計画が瓦解した。


こうして恩を売った人狼が権力を握ることは都合が良かった。


「──さて、お忙しいでしょうから今日はこれにて失礼いたします」


分かっていればいいとニコロは足早に執務室を立ち去った。


監視役を見送ったあとノロブは舌打ちをする。


今後は彼らに便宜をはかる必要ができた、それは手段を選ばなかったことで生じた明確な弱みだ。


ノロブは専用の椅子に深くもたれかかる。


「……オレがこの町の支配者?」


いまいち実感のない様子でつぶやいた。


肘起きをさすっていると開きっぱなしの扉が視界の隅に入る。


退室した客人の気が利かなかったのか。そう思い、視線を向けるとそこには女性が立っている。


息を飲む。


彼女は「やあ」と、気安く挨拶をした。


慌てて立ち上がる。


それは海賊の襲撃に遭って死んだはずのイーリスだった。


「──この部屋に来たのは二度目だ」


両手を仰ぎながら言ってイーリスは室内に足を踏み入れた。


「……生きていたのか?」


ノロブの表情は固く、仲間の無事を喜んでいる様子はない。


あの惨状を切り抜けられた訳がない、劇団員は全員死んだはずだ。


しかしそれはノロブに対しても言えることだ。


「そうだね、みんないなくなっちゃった……」


イーリスの感情は喜怒哀楽のどれとも読み取れない。


しかし目的は明らかだ。


「── いつから裏切ってた?」


彼女は銀の短剣をノロブに向けた、それはギュムベルトの私物だ。


人狼を殺す剣──。


ノロブは冷静さを取り戻す。


「劇団に危害を加えたらオマエがその手でケジメを取る、そういう約束だったな」


彼の入団を許可するさいにそう言って仲間たちを納得させていた。


ジッと返答を待つイーリスから視線を椅子へと移す。


「──はじめからだよ、もちろんこの椅子に座るためだ。それには『鉄の国』との流通を再開させることが最低条件だった」


しかしドワーフたちとの信頼を損なう原因となった彼らには難しいことだ。


「内情を探るためにボクたちを利用したんだ?」


「そうだ」


劇団が標的ではなかった。


ドワーフたちと信頼関係を築き、取引を再開する糸口を見つけるため『鉄の国』に居座ることが重要だった。


険悪だった劇団にもぐり込むため命を狙われている芝居も打った。


泥人形に襲われて鉄の国に逃げ込んだのは自作自演、同情を買うためのパフォーマンスだ。


「たいした役者だよ、劇団の即戦力になるわけだ」


裏切ったわけじゃない、最初から仲間ではなかった。


「おまえ達のことはどうでも良かった、ドワーフたちと関係を修復した上でルブレを打ってしまえば取引を再開できるからな」


空路で国境を行き来するルブレを仕留められるのは船に戻っているときだけだ。


いまの権力があったならばやりようはあった、当時のノロブに頼れたのは裏の人脈だけだ。


「海賊も?」


イーリスはあの襲撃がノロブの手引きによるものだったのかをたずねた。


「そうだ」


「そうか」


想像の余地もあたえない躊躇のない肯定だった。


ルブレの船を襲えるのは海賊しかいない、接触の機会が多いことも都合がいい。


港町を我がもの顔で闊歩する海賊たちと接触することは可能だ、問題はダラク族にとって恩恵のあるルブレ商会を排除してくれる勇者を見つけることだ。


それには無理があった、強力な支援者を排除することは彼らにとって損失でしかないからだ。


しかしダラク族の大王が急逝したことで状況は変わる。


競争に参加する資格の無かった者が混乱を求めた──。


「成り上がるために手段を選ばないヤツがいたからな。オレがここの支配者、アイツが島の支配者になるために手を組んだ」


勇者ユナバハリと人狼ノロブ、若きふたりの野心家は一世一代の博打に出た。


「──そして、オレの一人勝ちだ」


ルブレ商会は壊滅、劇団は解散、『鉄の国』は王を失い、ユナバハリは夢半ばで倒れた。


政治に無頓着なドワーフたちを仲間を装って懐柔するのは容易い、ノロブは『鉄の国』の実権を握り商人ギルドでの地位を確立させた。


イーリスが要約する。


「取り逃がしたルブレ会長に再度、船を出させるため海上での公演を提案して劇団を巻き込んだ……」


すべて罠だった。


従順だったのは油断を誘う為。


当日、主要人物の参加を念押ししていたのは襲撃のため、出航後すぐに船内に引っ込んだのも船員の半エルフたちを殺してまわるためだ。


依頼主の一員として潜入していた彼を警戒する者はなく、本職である暗殺者の腕を存分に振るえた。


目的ははじめから商人ギルドにおける出世だった。


「──だからって、あそこまでする必要があったのか?」


海賊たちがイーリスたちの戦力を把握していたのはノロブが詳細な情報を伝えていたからだ。


出航の日時、航路にいたるまでを正確に伝え、警備船が遭遇しないように手引きまでしていた。


海賊たちはそれを念頭に置いて作戦を練ることができた。


皆殺しを目的とした徹底的な作戦行動、同じ屋根の下で暮らした仲間たちに行うにはあまりにも無慈悲だ。


「一人でも逃がせば出世の妨げになる」


グンガ王をはじめ劇団の誰が残っても『鉄の国』における発言力がノロブよりも強い、乗っ取りはうまく進まなかっただろう。


「──現に裏切りに気づいたおまえが復讐にあらわれたしな」


応接室を使用人が覗き込む。


「ノロブ様、どうかされましたか?」


予定にない客人が入り込んでおり、その手には剣が抜かれている。


ノロブにとっては警備兵を呼んで侵入者を捕らえる好機だ。


しかし彼はそうしない。


「なんでもない、しばらく人を寄こさないでくれ」


第三者からもふたりは打ち解けた関係に見える。


逆らう理由もなく、使用人は「かしこまりました」と言って通り過ぎて行った。


「いいの?」


ノロブは復讐者をまえにしてふたたび椅子に腰をかけ足を投げ出す。


「オレは勝者だ、なにを恐れる必要がある。こうして支配者の座を手に入れ、旅芸人や亜人みたいに下等な連中と馴れ合うことから解放された。


女装をして道化みたいにおどける屈辱も、長い台本を暗記する必要に苦しむこともない。劇団では貧しい生活を強いられてきたがこれからは贅沢三昧、人も金も思いどおりにならないものはない!」


その姿は支配者どころかふてくされた子供のようだ。


「椅子の座り心地はどう?」


さきほど『人形使い』にたずねられた時には聞き流した問いに、ノロブは真剣な面持ちで向き合う。


「……そうだな」


憧れの椅子だった、これに座ることが使命と信じて疑ったことはない。


その為ならば魂も売れた。


しかしいざ座ってみたらどうだ、寝て起きて働いて、また一日が終わる。


ルブレの船を沈めたときには達成感があった、自分を虐げた連中が下手に出てきたときには清々した。


けれど、思ったほどではない。それらはすでに知っている感覚だ。


イーリスが「ん?」とうながしたことでノロブは答える。


「どうってことはない、普通の、ただの椅子だ。いまごろ気づいた」


路上生活者だった少年ノロブがはじめて汚れていない水を飲んだ時と、支配者ノロブが最高級の酒を飲んだときの感動は変わらなかった。


どうやら人間が感じられる痛みも感動もその上限は決まっているらしい。


厄介なことに、椅子に座るまでそのことに気づくことができなかった──。


「──おまえは何のために演劇を続けていた?」


自分は目的を達成した、彼女は敗れたその先になにを目指していたのだろう。


劇団には才能が揃っていて生計を立てる方法は他にいくらでもあった、にもかかわらず幾度の妨害にあいつつも儲かりもしない公演を一から立ち上げた。


イーリスは「ふむ」と一考する。技術、知識があったから、嗜好に合ったから、演劇にこだわった理由はいくつかある。


その中からひとつあげるとしたら。


「みんなを幸せにするため、かな」


気取ったつもりはない、楽しみに来ている観客を喜ばせるという目的はいたってシンプルだ。


しかし、騙し、奪う、人の不幸の上に富を築いてきたノロブとは真逆の価値観だ。


競争を制した者が勝者、それが基準になっている世の中で他者の幸福を願うという行為は理に反している。


沈黙──。


価値観の違いすぎたふたりのあいだから言葉が失われた。


ノロブが切り出す。


「……さっさと用件を済ませてくれないか、オレは多忙なんだ」


イーリスは劇団を害した裏切り者を誅殺しにここに来た、それがノロブとの約束だ。


「立てよ」


剣を構え、椅子に座る裏切り者を見下ろして言った。


彼女は眼前に立って動かない。


無抵抗の者を攻撃するのには抵抗があるのだろう。


──ならば手伝ってやる。


ノロブは獣人化して前傾する、いまにも喉笛に飛び掛かる殺気を放って。


「さあ、来い!」


イーリスは反射的に銀の剣を人狼の胸に突き立てた。


それが致命傷であることを自覚するとノロブは椅子のうえに脱力した。


「おまえ達はいつも世話が焼ける……」


人狼は銀の剣でつけられた傷は治癒できない。


心臓に達した切っ先はまもなく不死身の怪物を滅するだろう。


ノロブはつぶやく。


「──打ち上げで飲んだ酒は、美味かったなあ……」


それが裏切り者のおだやかな断末魔。


みんなを幸せにするため、そのなかには自分も含まれていた。


厄介なことに、壊してしまうまでそのことに気づくことができなかった──。


「なんだよ、ペラペラと嬉しそうにしゃべったじゃないか、隠し事は得意なんじゃなかったのか?」


支配者の椅子にはかつては仲間だと思っていた怪物が横たわっている。


「こうすることに迷いはなかったんだ。けど、この姿でおまえの前に現れたことには驚いた……」


ノロブの絶命を確認するとイーリスは黒い霧となって空気に溶けた──。



数刻後、使用人が人狼の死骸を発見する。


徹底した犯人さがしがされたが、銀の剣を残した客人は存在を目撃した使用人の記憶から失われていた。


呪術師を失ったダラク族はアシュハ軍の上陸を許し壊滅する。


そして、『劇団いぬのさんぽ』が人前に姿をあらわすことは二度となかった──。





【人狼と黒犬と狂犬じみた少年】完

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