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第二十九話 皆殺しの結末


援軍の登場にユナバハリは安堵する。


「いいところに来た、おまえ達、その女を殺せ……!」


銀狼に裂かれた傷が深く、あらわれたのが敵だったならば対処はできなかった。


イーリスはアルフォンスを抱えてうずくまっている。


戦意を喪失したか死にかけているか、出血の量がユナバハリの比ではない。


どのみち勝敗は決している。


しかし指定された標的のひとりである以上、トドメを刺す必要がある。


「──どうした、早く殺れ!」


駆けつけた二人のダラク戦士は指示に従わず懐疑的な目で若いリーダーを見た。


「ユナバハリ、その前に話がある」


「なんだ?!」


そんな余裕はない、一刻も早く傷の治療をしなくてはならない。


「おまえは本当にマルブスに勝ったのか?」


二人はもともとマルブス派に属した戦士たちだ。


リーダーを失ったことで仲間たちは各々の選択をしたが、二人はあえてカタキであるユナバハリに下った。


港町に使いっ走りをさせられたときにはギュムに【耳削ぎ】の情報を与えることもあった。


イーリスとも面識のある二人だ、かといって彼女に肩入れするわけじゃない。


尊敬する英雄を破った男の器をかたわらで見極めることが彼らの本来の目的だったからだ。


「……は?」


──何をいまさら。


ユナバハリは頭に血をのぼらせた。


この醜態を目撃したことで強さに対して疑問を抱いたとでもいうつもりか。


「ドワーフの王、竜殺しと名高いマウの王子、女皇の懐刀だった女剣士、主力のほとんどをオレがひとりで仕留めたんだぞ!」


決闘はたしかに不正だった。


しかしそれは一生に一度あるかないかの大舞台に立つためには不可欠だった。


だからなんだ、序列二位のスージグルさえ投げ出した。


自分以外に誰が部族の未来を担える、マルブスが王になっていたら破滅しかなかった。


戦士は意義を唱える。


「あの決闘で立ち合い人をしたのはオレの兄貴だった。おまえの勝利を証言したあとどうも様子がおかしかったが問いただすまえに事故死している」


それは身内だからこそ拭えなかった違和感、皆が忘れたあとも引っかかり続けた疑念だ。


もうひとりの戦士がたずねる。


「ドワーフ王に使った飛び道具はなんだ?」


勝ち馬に乗るため下についた訳じゃない、彼を観察して真相を知るために下った。


だから敵を追うことなくここに現れた。


「──マルブスもあれを使って騙し討ちにしたんじゃないのか!」


議論をしている場合ではない。


負傷さえしていなければこの女も、そこのふたりも殺して任務を完了できた。


ユナバハリは歯噛みした。


戦士たちは追求をつづける。


「その女が顔見知りだから手を出さないんじゃない、おまえが潔白を証明できなければ手は貸せない」


時間が無い、ユナバハリはふたりを頼ることを諦めた。


みずからの手でイーリスの首を取るために剣を拾う。


「オレが大王になったら覚えておけよ……」


その言葉でふたりはユナバハリの不正を確信する。


「大王になったとしてもおまえが得られる羨望はマヤカシだ、本当のおまえを支持するものは誰もいないぞ!」


言い訳をしなくなった彼を戦士たちは罵倒した。


グンガ王の言葉が過ぎる。


人間は都合の悪いものを隠す、それが弱みになる──。


言われた通り、いままさに『弱み』となった。


ダラク族の大王たる資格は最高の勇者であること。


──いずれそうなれば文句はないだろ。


結果がすべて、ユナバハリはそれを盲信した。


しかし軽んじていた過程がすべてを台無しにする。


ユナバハリは愛狼の死骸に覆い被さるようにして動かない標的にゆっくりと歩み寄る。


皆とはスタート地点が違った、正道では届かなかった。


肉体的にも環境的にも劣悪だった、抗わなければ一度しかない人生を惨めなまま終えていた。


誰よりも努力した結果、誰にでも勝てるようになったと自負できる。


ドワーフ王グンガ、マウの工作員ルブレ、そして商人ギルドに煮湯を飲ませた劇団の中心人物イーリス。


皆殺しとの要望だが、この三人を取れれば文句はないはずだ。


イーリスがルブレから借り受けた刺突剣、そして護身用の短剣を、ユナバハリは離れたところへと蹴り飛ばした。


牙を奪った。


「トドメを刺してやる……」


そう言って向き直ると、信じられないことにイーリスが腹部の傷口を圧迫しながら立ちあがろうとしている。


「……やめておけ、内臓が飛び出るぞ」


闘いを通してユナバハリは彼女に対して素直な尊敬の念を抱いた。


非力な者がより大きな相手に立ち向かうことの困難さを知っているからだ。


ハンデを覆すためには工夫が必要だ。


その試行錯誤が一挙手一投足に感じとれた。


勝ち目のうすい分野で投げ出さずに積み上げ続けた彼女の姿に自分を投影した。


「──寝てろ、もう苦しむな」


とても闘える状態じゃない、直立すらできそうにない、彼女は腰からつま先まで流血で真っ赤に染まっている。


それでも、その瞳は愛するものを奪われた憎悪で煮えたぎっている。


「……そうか、やるんだな」


ユナバハリは剣を構えていまにも膝を着きそうなイーリスと対峙する。


── いまさらなにができる。


相手は満足に直立すらできず、自分は渾身の一撃を放つ余力がある。


決闘とは呼べない、これは介錯だ。


──オレは正しい、オレはすべてを手に入れる。


勝者だけが正義。


ユナバハリが一歩踏み出した。


相手は丸腰、間合いを気にせず剣を振り上げることができる。


「!?」


振り上げた、しかし振り下ろすことができない──。


同時に前進していたイーリスがユナバハリを抱擁した。


あんなにも間合いの管理に優れていた二人が容易く密着する。


──なんだ?


必殺を打ち込むつもりが金縛りにあったかのようにカラダが動かない。


それはイーリスから殺気が失せたせいだった。


怯える者、逃げる者は優越感を持って打ちのめせる。


逆らう者、攻撃してくる者は防衛本能で迎え打てる。


しかし人の脳は、好意を向けてくる者を攻撃するようにはできていない。


相手を味方と錯覚した脳はカラダに緊急停止命令を出した。


「……キミは強いね」


慈愛に満ちた声でイーリスは語りかけた。


ユナバハリが彼女に対して感じたことをイーリスも彼に感じていた。


勝ち目のない舞台で足掻きつづけた努力の結晶を見た。


その感動をイーリスは素直に感情に乗せた。


本心では憎んでいる。


仲間たちを追い込み、目の前でアルフォンスの命を奪った見知らぬ男を憎悪している。


本来ならば激昂し前後不覚に陥るところだ。


それでも役者ならば『自分』と『役』を切り分けられる。


悲しみに飲まれず、生理的な衝動を押さえつけて、彼の理解者という『役』を演じられる。


演劇をやっていなければできない行動だった。


「──今日までよくがんばったね、キミはすごい、誰よりも努力してここまできたんだね!」


ユナバハリは困惑する。


何が起こったのか、時が止まったと錯覚するくらいに体がこわばって動かない。


殺し合いをしていた相手が自分を抱きしめている。


なにかの冗談と思いたいが、背中を覆う手の優しさ、密着するぬくもりのどこからも敵意を感じない。


嘘が見つからない──。


引き剥がしてしまえばいい、魔法が解けるだろう。


なのに振りほどくことができない。


「敵はいつも自分より大きいから差を埋めるのは大変だよね。わかるよぉ、おたがいよく今日まで生き残ってこれた……」


「やめろ……!」


大王候補の筆頭にもなれば女を抱くことは容易だった、それは強さに対する報酬だった。


どんな女も所詮、自分のことを本質的にはなにも知らない他人でしかなかった。


「ボクはキミを尊敬する」


「やめろッ!」


彼女は強さに到る過程の弱さを知っている、その苦労を共有できる。


本当の自分を知っている女性だ。


母親を知らず部族から差別されてきた彼にとって、それは未知の癒しだった。


「だけど、ボクも必死だから……」


イーリスは無防備になったユナバハリの首筋に口を付ける。


そして、アルフォンスが裂いた傷に噛みつき引き千切った。


オオカミのように。


ユナバハリはそれでもイーリスを引き剥がそうとはしない、すでに闘争心は失われていた。


ただ、ため息を漏らす。


──さすがに疲れた。


これは生まれてはじめて与えられる休息、張り詰めつづけた緊張のはじめての緩和だ。


膝を折り、二人は重なるようにして力尽きる。


ついぞ呪術師の息子が大王になる日は訪れなかった。


この時点で劇団員六名と一匹のうち三名と一匹が命を落とし、残る生存者は三名になっていた。



暗雲の下──。


精霊の攻撃を受け続けるギュムベルトをニィハの【治癒魔術】が癒し続ける。


逃亡の脚を止めようと攻撃のほとんどが少年に集中したが、彼女も無傷ではなかった。


離れるほどに攻撃は激しさを増し、頭上の光球は少年の目を焼き、氷柱が肉体を引き裂く。


ギュムは大きくふらついた足を踏ん張りながらニィハの無事を確認する。


「大丈夫ですか?!」


どんな攻撃を受けても転倒だけはけしてしなかった。


風の刃で頭部が裂ける、それをすかさずニィハが治癒する。


「──ありがとうございます!」


ギュムが無理をしていることは分かりきっている、立ち止まったところで攻撃は止まず、かといって戻るわけにもいかない。


痛みを耐えて進むしかない。


ニィハは黙って魔力を捻出し続けたが、ついに魔力が底をつく。


「下ろしてください、もう!」


【治癒魔術】が使えなくなれば守られる利点はない。


「脚には自信があるんです、引っ張って走るのも担いで走るのも変わりませんって!」


「精霊からの攻撃が分散するかもしれないでしょう!」


ダメージが半減すればそれだけ前に進める、数メートルでも距離が延びればそこにゴールがあるかもしれない。


それも所詮は希望的観測だ。


「ニィハさんが偉い人だからとか、先輩たちに頼まれたからとかは関係ないんです。自分の愛した女性だから、そうしたいんです」


彼の気持ちは知っている、だからそれ以上はなにも言えない。


ニィハは魔力の欠乏症状で毛髪が真っ白に変色している。


どんなに魔力を捻出しようとしても【治癒魔術】は発動しない。


「ニィハさん!」


「なんですか!」


「一緒に舞台に立てて嬉しかったです!」


「私もです!」


気を紛らわすためか、遺言を意識してのことか、ギュムは喋り続ける。


「子供の時からずっと人に失望する人生だったんです。大人のくせに揃いも揃ってカッコ悪いなあ、頭が悪いなあって、人間はいやな動物だなって思ってました!」


劣悪な環境で育った少年は人を尊敬することができなかった。


それゆえ狂犬に例えられることもあった。


同性に羨望の眼差しを向けることも、異性との接触に憧れることもなかった。


男女ともに本音では異性を道具として見下していることを知っていた。


それでも互いの機嫌をとろうとする大人たちの姿が滑稽だったし、感情的になる姿は見苦しかった。


くだらない動物に見えた。


恋をしたことがなかった。


「──はじめて貴女に会ったときの衝撃は忘れません。眩しくて、こんなに美しい人がいるんだって!」


それは在り方の美しさ、佇まいの美しさ。


覚悟と教養を兼ね備えた人間の素晴らしさだ。


彼女は泥沼の底で絶望していた人生に垣間見た希望──。


偽エマだった黒犬がギュムベルトの『未熟』に好奇心を刺激されたように、少年は彼女の『成熟』に恋をした。


出会わなければ、人間を嫌ったまま衣食住を賄うための下働きを続けるだけの人生だった。


いわば『死にかけていた心』を救った恩人だ。


少年は満足している。


寸分の疑いもない恋を、一切の妥協もない相手に、全身全霊をかけて燃やした。


「おれは幸せです!こんな気持ちでいられる人間がこの世にどれだけいることか!」


そのあいだも精霊による攻撃がギュムの肉体を削った。


とっくに限界を超えている。


いくつもの深刻な負傷で言葉を発することもなくなり、ついにその場から動けなくなる。


それでも彼女を落とすまいと手足を踏ん張った。


足が止まった時点で死は確定した、あとはトドメを刺されるのを待つのみだ。


刹那、後方で瞬き──。


直後、二人の頭上から光球が消滅した。


暗雲が弾け散って青空が広がる。


「………」


ニィハは静寂に包まれた周囲を見渡した。


【精霊魔法】による攻撃がいっさい無くなっている。


「止まった……?」


安堵からギュムが膝をついて倒れ、放り出されたニィハはすぐさま彼に駆け寄った。


様態を確認し出血を抑えようとするが傷が深く手の施しようがない。


ギュムは地面に落としてしまったことを謝罪する。


「すみません、汚してしまって……」


「そんなこと!」


手を握り返してくる力が弱い。


自分をまっすぐに慕ってくれた少年が死んでいく──。


見渡す限り凍った海面と空、それ以外にはなにもない。


海上の只中でどうしようもない。


ニィハは途方に暮れる。


できるのは最後の言葉に耳を傾けて聞き逃さないことくらいだ。


「……これが最後なんで、お願い聞いてもらえますか?」


ギュムは申し訳なさそうに言った。


「いままで、わたくしがあなたの願いを断ったことがありまして?」


彼が自分に無理難題を押し付けるわけがないことを知っている。


たとえ押し付けられたとしても、応えたいと思わせるだけの絆はとっくに育まれていた。


ギュムはへへと照れくさそうに笑った。


「高貴な方に申し訳ないんですけど、ほっぺたに軽く口付けを、その冥土の土産に……」


「バカ言わないで──」


ニィハはすみやかに自分の唇を少年の唇に重ねた。


それが可能ならば命をよこせと言われてもためらわない。


ギュムベルトの目からひとすじの涙がこぼれた。


──悔いはない、やり遂げた。


この先を見届けられないことに未練はあるが、それを達成感が上回った。


今日、彼女を救うために自分は生まれてきた。


それで受け入れられる、納得ができた。


ニィハは握り返す力を失った少年の手を強く握る。


そして彼の鼓動が途絶えるまで伊吹を注ぎ続けた。


狂犬のようだといわれた少年は二年に集約された十七年の、満ち足りた人生に幕を閉じた──。




『第三部 四章  完』

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