イーリスとルブレが船外に脱出する。
直後、まばゆい発光にさらされた。
それはリーンが死に際に船ごと呪術師たちを滅ぼした灼熱の閃光。
「うわまぶしっ!?」
「なんの光だ?」
まさか後方で船が消滅したとは思わない。
転がり出るようにしてイーリスとルブレが氷上に着地する。
そこでユナバハリと遭遇した。
「また、おまえか・・・・・・!」
ルブレはユナバハリの顔を知っている、自分の船を襲撃した海賊たちのリーダーだ。
物資の引き渡しのために接触したところ、相手はいつもと違う若者の集団だった。
戦士たちを束ねていることからダラク族を代表する『勇者』のひとりという認識だ。
それ以上は知らない。
どれほどの実力と影響力を持ち、なにが目的なのかも。
ユナバハリは二人の姿を確認する。
「戻ってきて正解だった」
他の戦士たちはみんな逃げる光を追って行った。
いまさら追いつくまいとひとりで船の残骸を見にきたが、あやうく本命の首を見落とすところだ。
「──おい、ルブレ。今度こそ殺しやるぞ!」
ユナバハリは標的を挑発した。
一度取り逃したことで雇い主からの信用と自尊心を損なっている、二度目はない。
イーリスがルブレに不満をたれる。
「ボクたちが巻き込んだみたいな言い草だったけど、狙われてるのそっちじゃないの?」
「頼まれなければ今日、船を出す予定はなかったんだよ」
責任をなすり合っているとイーリスたちの頭上から目印の光球が消滅した。
ユナバハリは立ち止まる。
──どうなっている?
リーンエレが呪術師を全滅させたことで魔術が解けた。
この時点で双方ともにほとんど全滅しているがそれはまだ知りようがない。
不測の事態が起きている予感はあるが他を気にしている場合ではなかった。
ユナバハリはここで二人の首を取ること、イーリスたちは目の前の脅威を退けることに集中するべきだからだ。
どちらが生き残ってもあとにその損害の大きさに愕然とするだろう。
ルブレが不服を唱える。
「しつこいなキミ、なぜここまでする?」
「汚い大人たちへの点数稼ぎさ」
要領を得ない回答を詮索している暇はない、相手がひとりのうちに片を付けるべきだろうとルブレは考える。
「どっちが巻き込んだのか答え合わせができたね」
「いいや、まだ審議の余地はあると思うね」
イーリスはなおも責任を言及したが、正解はどちらも海賊の標的だ、である。
ユナバハリの見た目はダラク族にしてはかなりの小柄、リーダーとしても若い。
大人への点数稼ぎ、という言葉からも下っ端の印象を受けた。
──勇者である以上は優れた戦士なのだろう、期待の新人と言ったところか。
ウミヘビや呪術師の存在が船を壊滅に追いやったとして、ルブレが若い戦士の実力を低く見積もったのは仕方がない。
それを見越しユナバハリは軽薄に振る舞った。
グンガ王を倒したこともひけらかさない、敵には舐められてるくらいが丁度いい。
いつだって勝つことが最優先だ。
「ところで竜の巫女どの、期待していいのかな?」
ルブレはイーリスの実力についてたずねた。
「巫女の専門は舞踏ですよ」
睨まれたことであわてて答え直す、もちろん問われたのは剣闘士としての腕前だ。
「──けっこう上まで行きましたけど、女という理由でそうとうな優遇されてたので期待はしないでください」
つけ加えて「これだし」と、武器が短剣一本と心もとないことをアピールする。
道中、死体から取りあげるという発想はなかった。
イーリスが飛び退く。
「うわっ!?」
合図もなくユナバハリが仕掛けた。
大胆にもあいだに割り込むように切り込まれ、ルブレとイーリスはバックステップで距離をとった。
さらにユナバハリは双方に向かって切りつけることで距離をつくり、一瞬の一対一を成立させる。
──連携する間は与えない。
ユナバハリはイーリスに強烈な蹴りを加えた。
氷上での戦闘を想定した靴は踏ん張りが利き、イーリスだけが足を滑らせ大きく後方に転がった。
そして後方からせまるルブレの攻撃に対処する。
二人の攻撃は交差し、背を向けていたユナバハリのほうが防御の上からいくつかの傷を負った。
ルブレはむかし指揮官として戦争に参加し、騎士団に並ぶ者のいない腕前を誇った。
「よくも長年をかけて集めたエルフたちを皆殺しにしてくれたな!」
そして怒りは攻撃に勢いをつけた。
手に負えると判断したルブレは追撃をかける、彼の刺突剣は相手の片手剣を間合いで上回る。
圧力に押されたユナバハリがバランスを崩したのを見逃さない。
「──死ねッ!」
しかし胸部に向けて放った必殺の一撃は空を切った──。
視界からユナバハリが突如消失、再び姿を確認できたのは彼がルブレの踵を掴んだ瞬間だ。
ユナバハリはバランスを崩したのではなく氷の上に寝転び、そのままルブレの足元に滑り込んでいた。
それは地面との摩擦が少ない氷上で速やかに行われた。
刺突剣は懐に入った敵の処理を苦手とする。
ユナバハリはそのまま膝裏を蹴って巻き取るようにしてルブレを地面に転がすと、片手剣をその腹部にふかく突き立てた。
「……損失だぞ!」
それは間もなく絶命するルブレの断末魔だ。
イーリスは地面に寝そべったユナバハリに斬りかかる。
「くそっ!」
ユナバハリは追撃を寸前でかわし、立ち上がる時間を稼ぐために転がって距離をとった。
剣を合わせたユナバハリには分かる、ルブレは強かった。
けれど本人の想定よりは衰えていた。
ルブレの生存確認をするイーリスに向かって言い放つ。
「全盛期がどんなに強かったとして、一年も実戦を離れたらそんな勝負感は当てにならないんだよ!」
技術はユナバハリより優れていたかもしれない、しかし死と向かいあわせの生活をしている戦士とは集中力も覚悟も違う。
ルブレは自信から若い勇者を舐めていたし感情的にもなった。
感情を入れていいことはない、やることをただやるだけ、それが結果に繋がる──。
そのスタンスがユナバハリの強みだ。
ルブレの死を確認するとイーリスはつぶやく。
「キミはアシュハの救世主かもね……」
それはアシュハ国にとってルブレが最大の難敵になり得たことを指している。
マウ王国の力は大きく削がれた。
今後のためには良かったのかも知れないが、知人である以上は複雑だ。
イーリスはルブレが落としたレイピアを拾い上げた。
ユナバハリも剣を構えなおす。
「やる気か、どの道おまえも標的に入ってるけどな」
女だからと油断はしていない、事前に腕が立つとの情報を得ていた。
かつては最強と呼ばれた現西アシュハ王、その弟子とされる元剣闘士──。
武器を構えた姿があまりにも堂に入っている、決闘は自分の土俵だとでも言いたげだ。
ユナバハリは気を引き締める。
──とてもそうは見えなかったが、驚いた。
イーリスは無造作に近づくと刺突剣の切先をユナバハリの剣先に触れた。
──遠い。
ユナバハリが攻撃を到達させるのに一歩半、イーリスは一歩で届く。
この差は大きい。
「オレはおまえを殺して王になるぞ」
「ボクは生きて仲間のもとに帰る」
目的のスケールが違う、若い勇者は負けるはずがないと思った。
なぜなら決闘においては精神力こそが決定的な差をつくるからだ。
ルブレはその場で硬直する。
まずリーチ差から迂闊に下がることができない、下がるより追うほうが速いからだ。
相手の攻撃が一方的に届く。
──ならば前に詰めるか?
相手は女、体格に差があり掴んでしまえばどうとでもできる。
しかし彼女は刺突剣と短剣の二刀流。
小さなナイフひとつがそれをさせない、素手対ナイフになるからだ。
ルブレにしたように組みつくこともできない。
レイピアの間合いの内側、ダガーの射程の外側、優位な立ち位置があまりにシビアだ。
切先を触れているのにも意味がある。
振り回すことで威力を得る剣という武器を上げるのか下げるのか、突くのか引くのか、それを敏感に察知するための触覚だ。
少しでも隙を見せれば最小動作で相手を貫通できる刺突剣の餌食になる。
射程で劣り、動作の大きい剣では防御するしかできない。
──修羅場をくぐっているな。
ダラク族のなかで小柄なユナバハリはより大きい相手に勝つため試行錯誤の日々を送った。
自分だけがハンデを負っている苦しい道のりだ。
イーリスの構えには同じく自分より大きい相手と戦うための工夫が見てとれる。
おなじ道を歩いてきた、長年連れそった友のような感慨すら覚えた。
二人はその場で屈伸したり、首を振ったりをくりかえす。
距離を維持しながら同方向に横移動を繰り返す。
イーリスはくすぐったげにほくそ笑む。
──観客ウケの悪い試合になってきた。
相手の隙を誘い、前足の外を取られないよう移動し、致命傷を負わない間合いを維持している。
当事者はヒリツクような緊張感を味わっているが、心得のない人間には休んでいるようにしか見えないだろう。
熟達するほど伝わらなくなる。
最強を証明するための闘技場で強くなるほど試合は長く退屈になり、大雑把は素人が求められる。
本物の居場所はない。
偽物のほうが都合がいいから。
本物は必要とされない。
偽物のほうが手軽だから。
そのせいで世界は嘘ばかりだ。
そんなだからこそ目のまえに拮抗する相手がいることは嬉しい。
まるで異国の地で言葉の通じる仲間に出会えたような気持ちだ。
「なんのために強くなるの?」
その先にあるのは孤独じゃないのかと同類にたずねた。
答えは決まっている。
「人生が変わるほどの大舞台に立つ、その資格を得るだめだ!」
クソみたいな人生を逆転するためだ──。
ダラク族という小さなコミュニティでそれに疑問を抱くことはなかった。
お互いに切っ先を叩き合って手を出してこいと煽る、そうやってつけ込む隙を探す。
その場で屈伸し迎撃の意思を見せることで出鼻を挫く
素手なら手数も出るが刃物ではそうもいかない、十割勝てるジャンケンでなければ動けない。
ドワーフの仕掛け盾もない、目潰しに使える精霊球もない、実力勝負だ。
手詰まりか、ユナバハリははじめて後退する。
それは間合いの広いイーリスにとって絶好のチャンスだ。
それが誘いであることは分かっている、それでもこれは八割のジャンケンだ。
──次のチャンスがいつくるかわからない!
イーリスはユナバハリの首を狙ってレイピアを突き出した。
最短距離の攻撃は踏み込むと同時に標的に到達する。
切先はユナバハリを貫通した、彼がかざした手のひらをだ。
イーリスが危険を察知する。
──しまっ!?
メインウェポンを掴まれた。
刺突剣の軌道を操作され、同時にユナバハリの剣がイーリスの薄っぺらい腹部に突き刺さった。
ダラク族の勇者は剣を引き抜いて勝利の雄叫びをあげる。
「実戦から離れてた奴は心が弱いなっ!」
毎日のように稽古はしていた、しかし練習相手に怪我をさせないよう配慮した攻撃のくりかえしは踏み込みを甘くさせた。
グンガ王にも指摘されていたことだ。
「……ふぁ」
イーリスは腰が落ちてペタリと地面に座り込む。
足腰にまったく力が入らない。
氷上に座っているのに汗が止まらない。
地面が真っ赤に染まっていく。
襲い来る痛みと出血への恐怖に耐えきれず両手で傷口を押さえうずくまった。
その姿は介錯を待つ罪人のようだ。
「──じゃあな!」
ユナバハリはとどめの一撃を振り上げた。
刹那、その首筋に背後から獣が食らいつく。
対面の相手に集中していてそれの接近に気づけなかった。
「アルフォンス……!」
銀狼アルフォンスはこれまでにない殺気を放ち、必ず殺すという意思を持って牙を突き立てた。
「……くそっ、なんだこれはッ!?」
死角からの攻撃に困惑するユナバハリの首筋に牙が深く食い込む。
──ヤバい、持っていかれる!!
彼の反応は神がかっていて、かろうじて左手を差し込むことに成功し時間を稼いでいるが、凄まじい力と勢いに首を捻じ切られそうだ。
「……ッ!」
必死に息を吐いたが言葉にならない、首の裂傷から吹き出た血液が口から流れ出る。
このままでは首が千切れてしまうと、後ろに倒れ込んでアルフォンスを地面に抑え込んだ。
そして銀狼の腹を剣で裂く。
それでもアルフォンスは攻撃の意思を失わない、牙を放さない。
イーリスは必死に地面を這う。
「……やめ、て……もう、……やめ……」
指先が二人に触れるが引き離すほどの力は出ない。
ユナバハリとアルフォンスは激しくもがく、意地の張り合いだ。
ユナバハリは首の致命的な血管を守りながら逆手で剣を突き立てつづけた。
やがてアルフォンスは動かなくなる。
間一髪、ユナバハリは命を取り留めた。
死してなお食い込んだままの牙を引き剥がしながら立ち上がる。
首から溢れだす血流が止まらない、手のひらで圧迫することしかできない。
「アルフォンス……、アルフォンス……!」
イーリスは嗚咽を漏らしながら愛狼にしがみついて泣いた。
アルフォンスは生前、彼女の溺愛を煙たがっていたため求めてもこんなに触れていられたことはなかった。
誇り高い愛狼が抱擁から逃れようとしない、それは生命が失われたことを顕著に表している。
彼の性分から甘えこそしなかったものの、飼い主の溢れるほどの愛情はしっかりと伝わっていたに違いない。
赤と青のコントラスト、氷上は双方の血液でマダラ模様を描いている。
イーリスとユナバハリにも死が迫っていた。
ユナバハリはなんとか意識を保とうとする。
──こんなところで死ねるか!
大王の座はすぐそこまで来ている、すべてを捧げて求めた夢がもうすぐ叶う。
そこにふたつの影が現れる。
敵か味方か、ユナバハリに緊張が走った。
影は呼びかける。
「ユナバハリか!」
それはこの戦いの結末を確認しにきたダラク戦士たちだった。