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第5話

 残念な事に私の願いは聞き入れられず竹村警部補とコンビネーションを組む事が正式に決定した。


(もうおしまいだ)


 そしてその後も私が捜査車両を運転し続けた。


(解せぬ)


 階級が下の警部補が奥歯に爪楊枝をさしてフロンドアドアに肘を突き、私が運転をしているこの現状に納得が出来ず、一度、警察車両のハンドルを握らせ警邏に出た事がある。


「運転して下さい」

「なんで俺が運転しなきゃなんねーんだ」

「運転、し・て・く・だ・さ・い!」


 堪忍袋の尾が切れた私は車番タグが付いた捜査車両の鍵を竹村警部補の目の前にぶら下げたのだ。


「チッ!」

「・・・」


 数十分後、私は竹村警部補に自動車学校への再入校を薦めようかと真剣に思い、また、彼にハンドルを握らせた自分の愚かな行為を悔いた。


「ど、道路標識はご存知ですか!」

「あたぼーよ!」


 そこには青い道路標識に白い一方通行の矢印が表記されていた。


「警部補!一方通行です!」

「青い看板じゃねーか」

「ほ、補助標識に時間帯が!時間帯が!」


 その道は細い生活道路で補助標識には7-9と記されていた。つまり午前七時から午前九時の間は一方通行という道路標識だった。竹村警部補はそんな事もお構いなしにアクセルを踏み続けた。


「あーーーーー!駄目です!」

「これがあるだろ、これが!」

「なにがですか!」


 その顔は太々しく笑い私の足元を指差した。


「こ、これですか!?」

「おうよ」


 竹村警部補は捜査車両のルーフに赤色灯を乗せれば問題ないと言い張った。緊急事態でもないのに住宅街のど真ん中で赤色灯を回してサイレンを鳴らせと言うのか。


「や、やめて下さい!路肩に停めて下さいーーー!」


 結果、自身の精神的負担と市民の安全を守る為に私は自ら警察車両のハンドルを握る事にした。


「ほれ、早くしろ!」

「はぁ」


「オメェは遅ぇんだよ」

「はぁ」


「しけたツラしてんなぁ!」

「これは元々ですが」


「目、開いてんのかお前」

「見えています」


 これらの暴言は俗に言うパワーハラスメントに当たるのではないだろうか。

竹村警部補には粗暴な部分が多々ある。彼の警察官としての働きは非常に優れているがとても人格者とは言い難かった。


 そんな沈丁花の花が満開の五月、衝撃的な事件が起きた。いつものように沈丁花の垣根に隠れるように捜査車両を停車させた私は竹村警部補の出待ちをしている間に眠気をもよおし微睡まどろんでいた。不意にサイドウィンドウをコツコツと叩かれ、目を開くとそこには一人の女性が立っていた。


 長い黒髪を後頭部で高く結え、紺色のリボンが揺れていた。黒目が大きく溌剌はつらつとした少年のような面持ち。白いカッターシャツの裾をジーンズの上に出し、私は目線を首から胸元に下ろした。豊かな丘が魅惑的だった。


「ーーーーうわっ!」


 突然の出来事に飛び上がった私の腰はシートベルトに抑えつけられ悲鳴を上げた。その酷く驚いた様は大変失礼だったと軽く会釈し見上げると、その女性は窓を開けて欲しいと指を地面に向けた。


「あ、申し訳ありません。通行の妨げになりましたか」

「良いのよ」


 彼女はふっくらとした唇に人差し指を立てた。


「寝ていた事はお父さんに内緒にしておく」

「お、おとう、さん?」


 そこへ竹村警部補がネクタイを締めながら歩いて来た。


「なんだ」


 怪訝な顔をした警部補は助手席のドアハンドルに手を掛けたままその女性と立ち話をし始めた。


「なんだ、真昼。まだ自動車学校に行かんのか」

「駅まで送って行ってぇ」


「馬鹿か、覆面捜査車両はタクシーじゃねぇんだぞ」

「後ろの席、空いてるじゃなーーい」


「お前、署まで連行して欲しいのか」

「お父さん、駅まで連行して、お願い!」


 どうやらこの会話の流れから察するところ、この女性は竹村警部補のご息女のようだ。


「なんだ、久我」

「はい」

「口元がおかしいぞ」

「そうでしょうか」

「いつもより目が細いぞ」


 私は遺伝子の不思議を垣間見た。螺旋状のDNAが何処でどう縺れたら、この鬼瓦からこのような美しい女性がこの世に生を受けるのだろう。


(亡くなった奥さまはさぞお綺麗な方だったのだろう)


 私は胸の高鳴りを感じた。彼女は手を振ると「またね」と大通りに向かって走り出した。


(またね)


 私は「またね」を反芻はんすうしながらその後ろ姿をルームミラーで見送った。竹村警部補が大きく咳払いをしてルームミラーに鬼瓦をめり込ませた。


(邪魔だ)


 どうやらリアウィンドウ越しの後ろ姿を見るなとしかめっ面をしている様だ。


「うちの一人娘だ」

「綺麗なお嬢さまですね」


「真昼ってんだ、22歳になる」

「まひるさん、素敵なお名前ですね」

「昼に生まれたからな」

(意外と単純だな)


「やらんぞ」

「はい?」

「やらんぞ、おまえは前科有りだからな」

「前科ではありません」


 シフトレバーをドライブに下ろしアクセルを踏む。それは後ろ姿を目で追う様に緩やかに発進した。沈丁花の垣根がだんだんと遠ざかり、真昼さんの背中が見えなくなった。


(似ている)


 私が目を細めた理由はもう一つある。真昼さんが初恋の女性である従姉妹に良く似ていたからだ。


(可愛らしい)


 私はその笑顔に一瞬で心を鷲掴みにされていた。


「前科者にはやらんぞ」

「分かりました」


 この出会いが人生を大きく変えるとは、私も竹村警部補も予想だにしなかった。

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