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第11話

 有給休暇を取得するには申請が遅く土曜日は半日勤務となった。田村家での話し合いは午後、竹村さんは丁度良いから自宅に迎えに来てくれと言った。


「久我、馬鹿かおまえ」

「申し訳ありません」


 警邏から警察署へ戻る道順に竹村さんの家があり、効率的かと思い警察車両で迎えに行き注意された。結果的に竹村さんは署に連行される太々しい犯人のような面持ちで後部座席に座り腕組みをしていた。


「おまえは時々、訳わかんねぇ事をしでかすな」


 日々、突拍子もない行動に出る竹村さんにあれやこれやと言われたくないと思いながら、署の駐車場で自身の車に乗り換えてハンドルを握った。


「お、その交差点を右だ」

「はい」

「直進で左三軒目、隣の駐車場、一番手前に停めろ」

「はい」


 家の隣の駐車場は田村家の資産で月極駐車場として貸し出しているという。その他に賃貸アパートを三棟所有し、自宅の門構えも立派で庭には飾り石が置かれ赤松が植えられていた。


「すごいですね」

「あぁ、真昼が食い扶持ぶちに困らんと思った」

「はい」

「失敗した」

「はい」


 母屋の向かいには<田村工務店>の看板が掲げられた二階建て黒瓦の作業場、その隣に若夫婦が好みそうな白壁三階建ての家屋があった。


「ここが真昼の住んどる家だ」

「はい」

「結婚する時に建てたんだとよ」


ピンポーーン


「はい」

「おう、俺だ」

「あ、今開けるね」


 オートロックの鍵はすぐに開いた。真昼さんの結婚生活は金銭的には潤っていた。


「入るぞ」

「お邪魔します」


 真昼さんの柑橘系の香りに混ざって男性特有の脂の臭いがした。


(ここで真昼さんは暴力を受けていたのか)


 それはまるで現場検証の規制線の中に入ったような感覚に近かった。


「あ、お父さん、久我さんも来てくれたの」

「あぁ、俺が龍彦に飛び掛からんように連れて来た」

「飛び掛かるつもりだったの」


 真昼さんは食器戸棚を開けてお茶の準備をし始めた。


「いや、茶はいらん」

「そう?じゃあ、座って」

「おう」


 此処で、と思うとそのソファに座る事が躊躇われた。


「どうしたの」

「どうした、座らんのか」

「あ、いえ」


 その時、玄関の扉が開く音がして人の気配が近付いて来た。


「真昼」

「たっちゃん」


 これが田村龍彦の声、低くて肝の座った声だった。


「お義父さん」

「おう、邪魔するぞ」

「真昼、この人は、誰」

「お父さんの相棒の久我さんよ」

「へぇー、警察ドラマみたいだね」

「や、やめてよ」


 落ち着いた声に反して知能は低そうだ。挨拶をしなければと振り返って驚いた。竹村さんが話していた通り、いや、それ以上に整った顔立ちをしていた。


「初めまして久我、と申します」

「くが、珍しい名前ですね」

「そうでしょうか」


 ただ、軽く会釈をしてみたがそのだらしのない格好に呆れてしまった。これから一人の女性の人生を話し合う場で毛玉だらけのフード付きトレーナーに薄汚れたジーンズを履いている。


(これならまだ、繁華街の半グレたちの方がだ)


「真昼、時間だから、来て」

「うん」


 真昼さんは茶封筒と携帯電話を持っている。黒いクロックスをつっかけてひょいひょいと歩いて行く後ろ姿に私は苛立ちを覚えた。


「竹村さん、お久しぶりです」

「ああ、久しぶりだな」

「このたびは、とんだご迷惑を」

「そんな事ぁどうでも良い、さっさと済ませようぜ」


 竹村さんは真昼さんの嫁ぎ先でも態度を変えなかった。


「こちらへどうぞ」


 日本庭園を眺める長い廊下、襖には水墨画、床の間には紅梅に鶯の掛け軸が飾られていた。


(紅梅に鶯、季節外れだな)


 田村龍彦はこの立派な家で蝶よ花よと育てられ、他人の苦悩や葛藤、痛みをおもんばかる事が出来ない大人になったのだろう。


「あら、竹村さん、こちらの方は」

「俺の相棒だ」

「警察の方ですか」

「久我と申します」

「はぁ」


 座敷に通される前、姑と思しき人物が私の顔を怪訝そうな顔で見た。それはそうだ。全く面識のない男が突然家に上がり込めば当然の反応だ。


「うちの親戚の男だから立ち会わせた」

(ーーーーー!?)

「久我、なんか文句でもあるのか」

「あ、いえ、なんでもありません」


 嘘も方便、ここでも竹村さんの思い付きは炸裂した。


「そうですか、遠いところわざわざお越し頂きありがとうございます」

「お、お邪魔致します」


 座敷には既に真昼さんの叔父、竹村政宗さんが胡座を組みファイルをペラペラと捲っていた。


(あれが、興信所に依頼した資料)


 座敷テーブルを中央に田村龍彦とその両親、向かい合って私、田村さん、真昼さん、そして政宗さんが正座した。


「本日はお集まりいただきありがとうございます」


 真昼さんが少しばかり後ろに下がると畳に指を突き、深々と頭を下げた。その横顔は凛々しく声に張りもあり、それは先日、竹村家で私が目にした弱々しいものではなかった。


「大変申し訳ございませんが、私、龍彦さんとの離婚を考えております」

「え、そうなの!?」

「真昼さん、それはいきなりじゃないか」


 そこですかさず龍彦が茶々を入れた。


「良いじゃん、離婚しようぜ」

「ーーーーー!」


 その軽々しい言葉に真昼さんは言葉を飲み込んだ。この五年間は何だったのだろうかと悔しく思ったに違いなかった。隣に目線を遣ると早速竹村さんの膝の上で拳が握られていた。

 真昼さんはそれをグッと堪えて携帯電話を取り出し座敷テーブルの上に置いた。


「お義父さん、お義母さん、龍彦さんは不倫をしています」

「なんだそれは」

「まさか、龍彦ちゃんがそんな事、する訳ないでしょう!」


 龍彦の顔色が変わった。



 真昼さんは無言でボイスメモの再生ボタンを押し、聞き取り辛いと感じたのか音声を最大に調節した。スピーカーから龍彦の怒鳴り声と衝撃音、真昼さんの鳴き声が流れて来た。


「たっちゃん、どこに行くの!?」

「言う必要ないだろ!」

「女の人に会いに行くんじゃないの!?」

「いちいちうるせぇな!」

「たっちゃん!待ってよ!」

「離せよ!」


 物が倒れる鈍い音。


「やだ!やめて!」

「女、女って、ならお前が代わりになれよ!」

「やだ!」

「暴れんな!」

「痛い!やめて!痛い!たっちゃん!」


 その後、真昼さんの呻き声と家具の軋む音がギシギシと続いた。



(ーーーー竹村さん!)


 私は今にも立ち上がりそうな竹村さんの腕を掴んだ。


「ほ、ほら、夫婦喧嘩なんてよくある事だし、ねぇ、お父さん」

「ま、まぁ、そうだな」

「龍彦ちゃん、そうでしょう?」

「そうだよ、夫婦喧嘩だよ」

「・・・・・・」


 そこで政宗さんが数枚の写真を座敷テーブルの上に並べ始め、真昼さんに腕を出すようにと目で合図した。田村夫妻はその写真と真昼さんの手首の痣を交互に見比べて顔を見合わせた。


「これは、なんだ」

「社長、これは犯罪ですよ」

「は、犯罪、大袈裟な」


 すかさず竹村さんが真昼さんの手首を持ち上げて田村家の三人を睨みつけた。


「こりゃあドメスティックバイオレンス、DVってんだ。田村さん、あんた聞いた事あるだろう!」

「は、はい」

「あんたんとこの息子は嫁にDVをしてんだよ!」


「俺はしていない!」

「じゃぁ誰が付けたっていうんだ」

「転んだんじゃないのか、な、真昼!」

「転んで五本も指の痕が付くのか!」

「ーーー竹村さんっ」


 竹村さんは半ば立ち上がりそうになり私はその背中に手を置いた。確かに、この調子ではいつ田村龍彦に飛び掛かってもおかしくない。


 次に真昼さんはプリントアウトした田村龍彦と凪橙子のライントーク画面を持ち出した。そこには次に会う予定の日時や部屋番号、一緒に食事をしている画像、目を覆いたくなる卑猥な画像も含まれていた。


橙子先生、会いたい

既読


早くしたい

既読


我慢できません

既読


今度こそ結婚して下さい

既読


愛しています

既読


「なんだこれ!真昼!おまえ俺の携帯見たのか!」

「だって!」

「信じらんねぇ!」

「だって!」

「プライバシーの侵害だろう!人間として恥ずかしくないのかよ!」


 龍彦に向けその紙が勢いよく投げつけられた。ハラハラと舞い落ちるその中に涙を流す真昼さんの姿があった。


「人間として恥ずかしいのはたっちゃんでしょう!」


 その紙を手にした田村龍彦の父親は息子の顔を睨みつけた。


「おまえ、橙子、この女は凪橙子か!」

「そ、それは」

「龍彦ちゃん、あなたまだその女と付き合っていたの!?」


 政宗さんが手にしていたファイルを田村家の面々の前に投げ置くと、三人は餌に群がるハイエナのようにそのページを捲り始めた。


「龍彦!おまえは!」「龍彦ちゃん!どうして約束したじゃない!」


 どうやら田村龍彦の両親は、凪橙子の存在を薄々感じていたようだ。田村龍彦の父親が手のひらを振り上げた瞬間、竹村さんがフードパーカーの襟首を掴んで締め上げた。田村龍彦の顔が歪んだ。


「てめぇ、いつからこの女と付き合ってた!」

「お、おとう」

「お父さんと呼ばれる筋合いはねぇ!いつからだ!」

「ご、五年前です」

「真昼と付き合っていた時からか!」

「ーーーは、はい」


 私は竹村さんの振り上げた拳を咄嗟に掴んだ。それは力強く、必死に止めなければならなかった。


「もう、もう凪さんとは別れなさい?真昼さんとやり直しなさい、ね?」

「無理だ!橙子先生は妊娠した!」

「えぇ!?」

「俺の赤ん坊だ!」

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