石川県金沢市は10月下旬を過ぎれば朝晩の寒暖差が生じる。また11月上旬ともなれば”鰤起こし”なる雷が轟き、曇天が続いてみぞれ混じりの氷雨が降る事も珍しくない。来県者は「冬に雷が鳴るなんて」と驚くが地元に住む人間としては至極当然の事象である。その束の間の爽やかな秋晴れ。
「何しているんだ、久我、置いて行くぞ」
「あ、はい」
辰巳石の回廊に革靴の音が響く。日陰には
「お父さん、静かだねぇ」
「そうだな。しばらく前の騒ぎが嘘の様だな」
「心配かけて、ごめん」
「いや、俺がお前の嫁入りを急かしたせいだ」
ゴツゴツと逆だった幹が青空に伸び、日に照らされた銀杏の葉が黄色くハラハラと舞い落ちて来る。
「私がたっちゃんに一目惚れしたのが失敗のもとよ」
ゴホッつ。
思わず咳き込んでしまった。真昼さんから見合いとは聞いていたが、まさか一目惚れだったとは。
(ーーーーーうーーむ)
私の見た目は竹村さん曰く「なにを考えているのかわかんねぇ面だな!」と表情も乏しく顔面偏差値は
「なんだ、風邪か」
「大丈夫?」
「いえ、少し咽せてしまっただけです」
大きなため息が白い息となる。
「ーーーーーはぁ」
手水舎では龍がチョロチョロと水を弾いていた。
「うわぁ、冷たそう」
柄杓を立て掛けた水盤に、真昼さんの顔がゆらゆらと揺れた。
「お父さん、やっぱり手は洗わないと駄目?冷たそう」
「冷たいもなにもお清めだ」
「真昼さん、これは
「久我さんは物知りね」
「そんな事くらい俺だって知っとる!」
今日は「真昼!厄落としだ!神社に行くぞ!」と竹村さんのいつもの思い付きで尾山神社に参拝に来た。
(これは一体)
思い返せば真昼さんの離婚が成立して以来、休日になると竹村さんに呼び出され行動を共にしている。
(一体、どういう風の吹き回しだ)
五年前は「おまえは前科者だからな!」と私と真昼さんを遠ざけていた竹村さんの様子がおかしい。
「久我、一枚撮ってくれ」
「はい」
竹村さんがポケットから携帯電話を取り出した。
「いやーーーん、もっと綺麗にお化粧して来れば良かった!」
(いえいえ、真昼さんは素顔が一番ですよ)
神社本殿の前に並ぶ二人、やはり竹村さんのお嬢さんとは思えない。凛々しい目、スッと伸びた鼻筋、きゅっと結ばれた紅に彩られる唇に見惚れた。
「はい、撮りますよ」
「はーい」
パシャ パシャ パシャ パシャ
全身を縦、横、全体、膝をついてローアングル、真昼さんの顔にピントを合わせて上半身のアップ。
(これは、携帯の待受画面に欲しい)
何枚かシャッターを切っていると首から一眼レフカメラを下げた高齢のご夫婦に声を掛けられた。
「一緒に撮りましょうか?」
「え」
「はい、旦那さんも並んで並んで」
力強いご婦人の手に押され、有無を言わさず真昼さんの隣に立たされた。
「はい、チーズ」
パシャ
「もう一枚、旦那さんちょっと遠いですよ、奥さまに寄って下さい」
パシャ パシャ
ご婦人は携帯電話の画面を手で覆い画像の撮れ具合を確認し満面の笑みでこちらに歩いて来た。
「どうでしょうか」
「あぁ、これ良い!ありがとうございます!」
「久我、なかなか男前じゃないか」
「ありがとうございます」
ご夫婦は拝殿の賽銭箱に向かうと柏手を打ち賽銭を投げ入れた。
「おまえら、モノホンの夫婦になってみないか」
「はぁ!?」
「えぇ!?」
「嘘っそぴょーーん」
「やめてよ、もう!」
「じょ、冗談はやめて下さい!」
竹村さんの笑い声が響く境内。参道に黄金色の銀杏の葉が降り積もるそんな大安吉日の出来事だった。
ところが「嘘ぴょーーーーん」が嘘ではなくなる事態が発生した。
「お、お邪魔します」
「おう、来たか!入れ、入れ!」
真昼さんの叔父、政宗さんがスーツを着て座敷の畳の上で正座をしている。これまで数回お会いしただけだが、正座している姿を見たのは初めてだ。
(今日は、
そして私は一番良いスーツを着て来いと言われ、やはり同じように正座をしている。
(あぁーーー綺麗だ)
そして真昼さんは色留袖をお召しになられていた。白い肌によく似合う、
「真昼さん」
「なに」
「これは一体どういう事ですか」
「私にもよく分からないの」
起床した真昼さんは顔を洗うように急かされ、気がつけば
「苦しいの」
「はぁ」
「しかも朝ごはん食べてないの」
「それは大変ですね」
リビングのソファーでこの様子を眺めていた竹村さんはおもむろに立ち上がると携帯電話を取り出しパシャパシャとカメラのシャッターを切り始めた。
「お父さん、これはなんの真似なの」
「ん?」
「竹村さん、意味が分かりませんが」
すると政宗さんがドラマでよく耳にする台詞を口にした。
「本日はお日柄も良く」
「そうだ、今日は大安吉日だからな」
壁掛けカレンダーにはいつの間にか赤い丸印がデカデカと記入されていた。
「お父さん!」
「なんだ!」
「これは、なに!」
「見合いだ!」
「は?」
「おまえと久我の見合いだ、どうだ、良い感じだろう」
私は呆気に取られたが、それ以上に真昼さんの口はあんぐりと間抜けな程に開いていた。政宗さんも叔母の敏子さんも満面の笑みだ。
「竹村さん、離婚直後の再婚は認められていませんよ」
「なんか、理由がある場合なら良いみたいだ」
「再婚禁止期間は100日と決まっています!」
「付き合うくらいなら良いだろう」
「そ、それは」
そうだ、再婚禁止期間以前に交際には真昼さんの承諾が必要だ。交際、結納、結婚式、新婚旅行。
(真昼さんと、初夜)
私の脳裏にはあれこれと目眩く時間が展開された。その隣に竹村さんがどっかりと座った。
「すぐに結婚たぁ言わん、あれだ、約束みたいなもんだ」
「や、約束?」
「あ、なんだ、ええと、あれは」
すかさず敏子さんが「
「そう、それ!まぁ、予約制、予約だ予約!」
「お父さん!お節料理じゃないのよ!」
「あぁ、正月には祝言だ、祝言!」
「もう決まってるの!決定事項!やだ、もう!」
(・・・・やだ、もう、ですか)
私はその言葉に「やはり36歳、そこそこの顔面偏差値では見合い相手としては値しないのだろう」と失望した。その雰囲気を察した真昼さんは両手を振って「違うの!そういう意味じゃないの!」と庇ってくれたが時すでに遅しで私はしばらく落ち込んだ。
「ま、じゃ、そういう事で、あとはお若いお二人で」
「お二人って、何処に行けっていうのよ!」
竹村さんを含む三人はいそいそと外出の支度を始めた。
「じゃ、俺らカラオケでも行ってくるわ」
「フリータイムだぞ、フリータイムだぞ!超ーーフリーータイムだぞ!」
「ほほほほ、真昼ちゃん、お着物、気を付けてね」
「ちょ!ま!」
自由すぎる竹村家に振り回されっぱなしの私と、ぐぬぬぬと眉間に皺を寄せた真昼さんは二人きりとなった。
「どうしましょう」
「お茶でも飲む?」
「あ、真昼さんお腹空いているんですよね」
「あ、うん」
私はスーツのジャケットをダイニングチェアーに掛けてキッチンに立つとワイシャツの袖を捲った。
「あ、そんな。私がするから」
「いえ、お着物が汚れますから、一人暮らし歴十年、任せてください」
「ありがとう」
「炊飯ジャーのご飯、いただいて良いですか」
「あ、うん」
「塩は、何処にありますか」
「あ、その赤い入れ物」
私が握った塩おにぎりを真昼さんは美味しそうに頬張った。
「あ、付いてます」
真昼さんの口元に米粒が付いている事に気付いた私はそれを指先で摘み、自然な動作で自身の口に含んでいた。
「ーーーーーー!?」
「あっ!すみません!」
「あ、だ、大丈夫」
一気に微妙な空気に包まれ、居た堪れなくなった私はキッチンへと向かった。
「お茶、淹れましょうか」
「う、うん、ありがとう」
然し乍ら、使い慣れない水回りで熱湯を急須に注ぐ際に指を引っ掛けてしまった。
「あっ、熱っ!」
「久我さん、大丈夫!?火傷!?」
「お着物、濡れますよ」
「良いの!」
真昼さんの白い指先が水道の蛇口を捻り、私の指は水流に浸かっていた。「痛くない?」真昼さんが私の顔を見上げ「え、いえ」私が真昼さんの顔を見下ろしていた。
(真昼、さん)
真昼さんの瞼がゆっくりと閉じ、気が付くと私はその唇に唇を重ねていた。
(ちょ、ちょっと待て!早いだろう!どうした隼人!)
真昼さんは蛇口のカランを片手で締めると両腕を私の首筋に回して来た。
(・・・・・あ)
初めての口付けは伯方の塩の味がした。
「すみません」
「いえ」
私たちはそれ以上の線を越える事はなかったが、竹村さんの思惑通りに
「真昼さん、好きです」
「それが伝えたかった事なの?」
「はい」
色留袖の着付けを崩さないようにそっと抱き締めた。やはり真昼さんからは柑橘系の爽やかな香りがした。
「久我さん、それはもうずっと前に聞いた」
「そうですね」
カラオケ店のフリータイムですっかり声が変わってしまった竹村さんはニヤニヤとほくそ笑んだ。
「これでおまえは俺の息子だな」
「ーーーーーー!」
「老後も頼むぞ」
この日、私と竹村さんのコンビネーションは一生続く事が決定した。