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第14話

 私と真昼さんは結婚の約束をした。ただそこで私は大きな失態を起こした。見合い当日、私は私用携帯電話を持っていなかった。


「てめぇ、休みの日くらい仕事から離れろや!」

「申し訳ありません、つい」

「つい、で済んだら警察ぁいらねーんだ!」


 その日、真昼さんとLINEの交換をする事が出来なかったのだ。


(失敗した)


 そしてその週は雑多な業務が立て続けに入り、翌週には捜査一課が駆り出される大きな事件が起きた。私はLINEやメールどころではなくなり真昼さんと会う時間が持てなかった。


(これは甘えなのかもしれないな)


 釣った魚に餌はやらないという傲慢な例えもあるが、私の行為はそれに近かった。


「久我、真昼に連絡してやってくんねぇか」

「この仕事が片付いてからでも良いですか」


 当初は「そうか」と引き下がっていた竹村さんもそのうち堪忍袋の尾が切れて私のデスクの上の書類を叩いて床へと撒き散らした。


「あぁ、なんて事をするんですか」

「仕事にかまけてっから前の女房に逃げられたんだろうよ!」

「竹村さん、書類をばら撒いても解決しませんよ」

「聞いてんのか!」


 周囲の警察官が暴れる竹村さんの両脇を抱えて引き摺って行った。


(ーーーーふぅ)


 確かに真昼さんと連絡を取らずやがて二週間だ。


(さすがにこれは宜しくないな)


 そう心を改めつつ、身内が同じ職場に居る窮屈感は否めなかった。


 真昼さんへの連絡が滞った原因のひとつがタクシー強盗殺人事件だった。竹村さんは定年退職最後の事件ヤマだと自宅に帰る事なく殺人現場と警察署を往復した。当然、コンビネーションを組んでいる私もそれに同行した。


「竹村警部、受付から内線入ってます、三番ですーー!」

「おう!」


 竹村さんに面会とは珍しいと横目で見ると竹村さんも私を見ていた。その口元は歪み、薄ら笑いを浮かべている。


(なにかまた、よからぬ事を企てている)


「おう!俺だ!」

「******」

「分かった、今から降りるから待たせておいてくれ」


 当時の捜査本部は三階にあった。竹村さんは持病の腰痛を庇うように立ち上がり階段を不規則な動きで降りて行った。そこへ一人の警察官が駆け込んで来た。


「久我警視正!」

「なんだ!SDカードの解析が終わったのか!」


「いえ、それが一枚足りません!」

「なに寝ぼけた事を言ってるんだ!」

「申し訳ありません!」


 事件解決どころか捜査は難航し寝不足、かつ真昼さんへの連絡が滞っている件で私は非常に苛立っていた。


北交ほくりくこうつうに行くぞ!」

「申し訳ありません!」


パイプ椅子が長机に収められ革靴が階段を駆け降りる。二階の階段踊り場で竹村さんを追い抜いた。


「あっ、すみません!」


 竹村さんは私の顔を見てほくそ笑んだ。


「良いってこった、はよ行け、はよ行け」


 一階まであともう少しというところで一人の警察官が「豪雨で画像が不鮮明」だと言い訳を始め、激昂した私は「クソが!」を大声で連発した。


「久我さん?」


 一瞬で私の怒りは鎮まり(ーーーー終わった)と絶望感が襲って来た。そこに立っていたのは真昼さんだった。手には黒い旅行鞄を持っていた。


「お父さんが泊まりの着替えを持って来いって」


 竹村さんのほくそ笑んだ顔が浮かんだ。これは意図的に仕組まれた罠に違いなかった。私と真昼さんを会わせる為の策略だ。


(それにしても、クソがクソがクソが!の三連発を聞かれるとは)

「驚いた、久我さんでもクソって言うのね」

「ーーーーあ、それは、その場合も、はい」


 微妙に言い淀む私を微妙な面持ちで見ていた二人の警察官は一足先に北陸交通株式会社へと向かわせた。


「久我さん、時間ある?」

「ご、五分ほどなら大丈夫です」

「座らない?」


 そこは一階カウンターやフロアが見渡せる来客用の長椅子で、職員や警察官の視線が一斉に集まった。


(あれ、誰?)

(奥さんじゃない?)

(別れたんじゃなかった?)

(あ、彼女とか)

(えーーー、ちょっとショック)


 小声がさざなみのように押し寄せ、照れ臭さで顔が火照り、それが恥ずかしさを呼び脇と額に汗が滲んだ。


「どうしたの、顔が真っ赤よ」

「暑くないですか」

「クーラー効いてると思うけど」


 久しぶりに見る真昼さんの笑顔は和やかだが少し寂しそうで「やはりメールの一通でも送れば良かった」と反省した。


「すぐにお返事出来ないと思いますが、LINE交換しませんか」

「LINE、しても良いの?」

「勿論です、けれど素っ気ないですよ」

「スタンプだけでも嬉しい」


 嬉しそうな真昼さんの笑顔に「やはり一度でも会いに行けば良かった」と反省した。竹村さんの言う通りだ。前の結婚で犯した失敗を繰り返すところだったのかもしれない。


「真昼さん」

「なに」


 思わず抱き締めたい衝動に手を伸ばした瞬間、竹村さんが審判員のように私と真昼さんの間に割って入った。


「久我、そこまでだ」


 ハッと我に帰る。


「お父さん、着替え」

「おぅ、ありがとさん」

「珍しいね、着替え持って来いって、初めてじゃない?」

「そうか?」

「そうよ」


 竹村さんは握り拳を作ると親指を立ててニヤリと笑った。


(やはり)


「さ、久我は行った、行った!」

「は、はい」

「またね、久我さん」

「ま、また」


 一度会ってしまうとそれは雪崩のように理性や責任感をなぎ倒した。私は業務に支障がない程度にトイレに篭ってポチポチとLINEのメッセージを送信し、その内、真昼さんから「勤務中はLINE禁止です」と注意されてしまった。


(天使・・・・)


 そう考え怖気が走ったが、竹村さんは不器用な私のなのかもしれない。

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