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第15話

 先にも述べたが私は久我家の三男で本家は既に長兄が跡を継いでいる。片や真昼さんは竹村家の一人娘、二人が婚姻関係を結ぶとなれば必然的に私が竹村家に婿入りする形となる。


(となると)


 職場では上司と部下としてコンビネーションを組み、自宅では義父と息子として晩酌に付き合い、竹村さんの肩のひとつも揉まねばならないだろう。


(竹村さんと四六時中いっ、しょ、という事か)


 その24時間を想像するだけで疲労感が半端なかった。


(いや、真昼さんの父上なのだから覚悟を決めるしかない!)


 然し乍らの傍若無人さ。


(私に耐えられるだろうか)


 別居という手段もあるが竹村さんは60歳、来年春には定年退職を迎える。そのような方を一人で住まわすなど非人道的、言語道断、例え竹村さんが快諾したとして、自覚がないまま生き霊となって毎晩枕元に立つかもしれない。真昼さんとの蜜月どころか恐怖映像間違いなしだ。


「ここは腹を括るか」


 そこで真昼さんに相談してみた。


「真昼さん、一度正式に話し合いませんか」

「なにを話し合うの」

「私、婿入りした方が良いでしょうか」

「お婿さん」

「はい」


 真昼さんは眉間に皺を寄せた。


「竹村隼人って変じゃない?」

「は?」

「やっぱり久我さんは久我隼人だと思うの」

「は?」

「でも、久我真昼もピンと来ないんだよね」

「は?」


 そのうち孫の手で背中を掻きながら竹村さんが話に加わった。


「姓名判断で画数が良い名前が良くねぇか?」

「あぁ、それ良いかも!」

「おぅ、阿弥陀籤あみだくじでも良いぞ」


 駄目だ。このO型、B型と話が噛み合う筈がなかった。義姉に会う事は大変不本意だがこれは一生を左右する重大な事案だ。


「久我の家で相談してみようかと思います」


 竹村さんと真昼さんは目を輝かせた。


「久我の兄ちゃんにも挨拶せんとな」

「あっ、私も行きたーい!」

「その派手な義姉ねぇちゃんも見てみんとな!」

「市議会議員さんなんだよねぇ」

「だな」

「うわぁ、緊張する!」


 二人は浮き足だって出掛ける準備を始めた。


「竹村さん、真昼さん、そんな動物園に出掛けるようなノリで」


「良いじゃねぇか、相変わらず堅っ苦しいな!」

「久我さんのお兄さんってなにが好き?」

「日本酒、ですね」


 竹村さんはリビングのチェストからビール券を数枚取り出した。


「日本酒か!手取川てどりがわだな!」

「久我さん、車出して!早く、早く!」


 後に私は悔いた。竹村さん、真昼さん、そして日本酒という時点で気付くべきだった、と。


カコーーーン


 鹿おどしの石を打つ音が響く日本庭園。盆栽がずらりと並び、瓢箪池には錦鯉が尾鰭おびれを水面に揺らしていた。


「相変わらずデケェ家だな」

「あの盆栽って幾らくらいするんだろう」

「おまえの年収くらいじゃねぇか?」

「えっ」


 真昼さんと竹村さんは動物園に遊びに来たようで実に賑やかしく、私の腕には化粧箱入りの日本酒一升瓶が二本。


「ただいま帰りました」


 玄関の戸を潜るなり義姉が仁王立ちしていた。今日の出立ちは比較的穏やかだがGUCCIが自己主張をしていた。


「あら、あんた帰って来たの」

「帰りますよ、自宅ですから」

「あんたの部屋はもうないわよ」

「はあーーーーー!?」


 二階へ駆け上がり突き当たりの扉を開けるとそこには義姉の洋服が所狭しと天井からぶら下がっていた。


「こ、これは」


 そして私のベッドやパイプハンガーは忽然と姿を消し、その代わりに部屋の隅には段ボールが五箱積み上げられていた。


「どういう事ですか」

「あ、ここ、私のウォークインクローゼットだから」

「じゃぁ、私はどこに帰れば良いんですか!」

「あら、竹村さんちでしょ、坊や」

「その呼び方はやめて下さい!」


 あっ


 慌てて階段を駆け下り最後の二段を踏み外してしまった。座敷のテーブルには先ほど持参した手取川てどりがわが徳利に注がれ、兄と竹村さん、まさかの真昼さんまでもが赤い顔をしていた。


「いやぁ、兄ちゃん、良い面構えしてんじゃねぇか」

「そうでしょうか」

「うん、久我さんと全然違うねぇ、カッコいい!」


(・・・・ま、真昼さん、それはあまりに酷いのでは)


 義姉の久我今日子は金沢市議会議員、栗色の巻き髪を掻き上げ庁舎内を闊歩する姿は大輪の薔薇女豹と呼ばれている。常日頃からの私に対する傲慢さには腹が立つが市議会ではかなり出来る議員らしい。その配偶者である私の兄は大輪の薔薇を御せる人物だ。


龍人たつと、隼人は竹村さんちで良いのよね」

「あぁ、もう良いんじゃないか」

「良い訳ないでしょう!」


 長兄の名前は久我龍人。私の六歳年上の42歳で金沢市郊外に弁護士事務所を構えている。久我今日子の良き理解者であり支持者、様々な問題を揉み消すことに長けている。面立ちは色白で凛々しい眉、すっと通った鼻、二重で切れ長「まるで龍のようだ」と曽祖父が名付けた。


(私の眉は八の字、細く切れ長の垂れ目、見栄えはそこそこ)


 思わず鏡を覗き込み考え込んでいると座敷でドッと笑い声がした。皆かなり出来上がっているようで真昼さんはフレアスカートの中で胡座を組んでいた。


(・・・・・なんて事だ)


 しかもいつの間にか私は否応なしにになる事が決まり、竹村家で同居、再婚禁止期間を終えた正月に籍を入れる事が決まっていた。


(ちょっと待て)


 私は未だ真昼さんと一線を越えていない。そんな男女を一つ屋根の下に住まわせようと考える父親が、いた。


(た、竹村さん!)


 竹村さんは私にちょいちょいと手を振ると、自身をがっしりと両腕で抱き締めて「むちゅーーーーー」っと両目を瞑って見せた。


(それを、あの家で、しろ、と)


 無理だ。


 徳利が座敷テーブルで空になった頃、真顔になった竹村さんと兄さんはようやく正座し向き合って畳に手を突いた。


(やれやれ、やっとまともな挨拶が)


 次の瞬間二人は挨拶ではなく事もあろうか腕相撲を始めた。リビングでは父と母が「頑張れ頑張れ」と両手を叩く、この状況は一体どうした事だ。


「やはり、警察、警察の方は、ち、力強いですね!」

「まだまだ若いもんには負けんぞ!」


 と、その隣にはいつの間にか義姉が座っていた。


「ーーーーーでね」

「ええ、そうなんですかあ」


 義姉がチラチラとこちらを窺いながら真昼さんの耳元で何かを囁いている。嫌な予感しかなかった。


「ーーーーーでね」

「ええ!久我さんって小学生までおねしょしてたんですか!」

「ちょっ!」


「ーーーーーでね」

「ええ!久我さんって27歳まで童貞だったんですか!」

「あ、正確には28歳よ」

「うへぇーーーーーーー」


 絶望感が半端なかった。私はその場に座り込んでしまった。しかも「うへぇーーーーー」とはどういう意味なのだろうか。そんな生々しい話題を振られた挙句、真昼さんとその時を迎えた時に「え、久我さん下手」とか思われたら私はもう立ち直れない。


「じゃ、段ボールは宅配便で送るわね」

「ーーーーークソが」

「なぁにぃ、聞こえなかったわよ、坊や」

「なんでもありません!兄さんによろしくお伝えください!」

「じゃねぇ、おやすみ」

「おやすみなさい!」



ばしっ



 そして意識が朦朧とした二人を車に乗せ、車から降ろす時は四苦八苦した。


(ちょ、重っ!)


 酔い潰れた二人の脇を抱えて玄関先から座敷まで廊下を引き摺って運んだ。靴がコロンコロンと転がりそれを拾って玄関に並べる。


(布団、布団は、ここか)


 押し入れから布団を二組下ろして二人を寝かせた。これもまた重労働で腰が痛んだ。


(ふぅ、疲れた)


 そして私はリビングのソファで横になり、天井のシーリングライトをぼんやりと眺めた。


(まさか片思いが実るとは思わなかった)


 隣室から聞こえる大いびきとよく分からない寝言。


(それにしても、真昼さんがここまで酒飲みだとは知らなかった)


 五年間の片思い、これからは何十年も先まで真昼さんの色々な表情を見る事になるのだろう。


(楽しみだな)


 いやそれよりも、童貞28歳について真昼さんが覚えていない事を願おう。私は義姉の忌々しい顔を打ち消すように瞼を閉じた。

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