翌日、ホームルームが始まるよりも前の静かな時間。
俺は誰も居ない閑散とした生徒会室の中で、とある女子生徒を待っていた。
「お待たせしました大神くん」
亜麻色の髪を風に靡かせ、扉の奥から現れたのは、我らが生徒会長である古羊芽衣さまである。
ふわっとした笑みを浮かべたまま、部屋の中に入ってくる古羊。
「こんな朝早い時間に呼び出してどうしたんですか? あっ、ちょっと待ってください」
そう言って古羊は生徒会室の鍵を閉めると、笑顔から一転、気怠そうに顔で自分の顔を揉みほぐしはじめた。
「あぁ~、朝から顔が引きつりそうで疲れたぁ~」
「おいおい、地が出てるぞ?」
「アンタしかこの場にいないんだから、別にいいでしょ」
どかっ、と自分専用の椅子に腰を下ろしおっさん臭い声をあげる現役女子校生。
こんな姿を元気に見せたらどうなるだろうか?
きっと訳の分からないことを口にしながら、窓からパラシュートなしのスカイダイビングを決行するだろう。
「いやぁ、信用されていて何よりだわ」
「ええっ、とても信用しているわよ大神くん。だからもし、今ここでアタシを襲おうものなら、この写真を全国にウェブで配信するからね♪」
チラチラと俺のセクハラ写真を見せてくる古羊。ほんといい性格をしていると思う。
彼女には1度「信用」という言葉を辞書で調べて、赤線を引いて来てもらいたいところだ。
「それで、用件はなに? まさか告白?」
「ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ!」
「……そこで爆笑されるのも、なんかムカつくわね」
ごめん、俺、自分に正直な男だから。
呼吸を整え頭の中を整理し、言いたいことをまとめる。
「実はさ古羊。おまえの妹ちゃんが昨日、俺の教育係を解任したいって言い出したんだよ」
「知ってる。昨日、聞いた」
そう言って古羊は、小さくため息を溢しながら「やっぱりまだ、時期尚早だったかしらね」と
「次の教育係を心配しているなら、問題ないわよ。次は狛井先輩にやって貰うつもりだから」
「いや、そうじゃなくて。あの、なに? どうやったらまた、おたくの妹ちゃんに俺の教育係を請け負って貰うことが出来ると思う?」
「…………」
俺の言葉に、眠たそうに目を細めていた古羊の表情が驚きに満ちた顔に変わった。
「な、なんだよ?」
「い、いや……あんなに生徒会の仕事を嫌そうにしていたアンタが、どういう心境の変化でそうなったのか気になって」
古羊が背もたれから身を起こし、わくわくっ! といった感じで俺を眺める。
どうやら俺がやる気になったことが、そんなに意外らしい。
失礼な奴だ。
「別に心境の変化ってわけじゃねぇけど、ちょっと気に食わなかったからさ」
「気に食わない? 何がよ?」
「おまえの妹の態度にだよ!」
俺は昨日から溜まっていたうっぷんを晴らすかのように口を開いた。
「あのネガティブ女、一方的に別れを告げて、俺の返事を待つことなく勝手に帰りやがったんだぞ! そのおかげでなぁ、こちとら中学のときに好きだった女の子に告白する前にフラれるというトラウマが再燃したんだぞコノヤローッ!」
「いや知ったこっちゃないわよ」
忘れもしない中1の夏、俺はクラスメイトの女子に告白する前にフラれるという希少な経験をしていた。
あの女、まだリングにすら上がっていなかった俺を闇討ちよろしく盛大にフリやがって!
おかげでこっちは荒れに荒れ、周りのモテる男どもを蹴散らして回っていたら、いつのまにか喧嘩最強なんて言われる「喧嘩狼」なんてあだ名をつけられる始末だしよぉ!
ふざけんな、そんな称号いらないから彼女をよこせ!
「アイツは俺の……いや、男の純情を弄びやがったんだ。こうなったら、意地でもアイツにもう1度教育係を受けさせてやらねぇと、俺の気が収まらねぇ!」
「……アンタって案外ねちっこい性格なのね」
はぁ、と古羊が小さくため息をこぼした。
その瞳は哀れな男を見るような、悲しい色に染められていた。
不愉快なのでやめていただきたい。
「つまり、アタシがもう1度、洋子をアンタの教育係に任命すればいいのよね。簡単な話じゃない」
「いや、確かに姉のおまえが言えば、妹ちゃんは従うかもしれない。でもそれは一時のもんだ。俺が望んでいるのは、あいつが、あいつの意思で、もう1度、俺の教育係を引き受けてくれることだよ。それに事情は知らねぇが、変わりたいって言っている奴に、他の奴があれこれ指示しても、変われるワケがないだろう?」
「うぐっ!? た、確かにそうね。ば、バカのくせに中々に的を射た発言をするじゃない。バカのくせに」
「ねえ、なんで『バカ』って2回言ったの?」
この女は俺を何だと思っているのだろうか?
まあいいや。
いや良くはないが、今はいいや。
今の議題は、どうすれば古羊にもう1度教育係になってもらえるかだ。
「昨日一晩、俺なりに考えてみたが、どうもいい案が浮かばなくてな。猫の手も借りたい気分で古羊に相談してみたわけよ。ほら、おまえいつも猫被ってるし」
「ほんと余計なひと言が多い男よね、アンタは」
それはお互い様だと思う。
古羊はう~ん、と小さく唸り声をあげると、おもむろに卓上カレンダーに視線を移した。
「案ってほどじゃないけど、アンタと洋子が仲良くなるかもしれない『キッカケ』なら、作れるかもしれないわよ」
「ま、マジか! な、なんだよ、その『キッカケ』って!?」
古羊は机の引き出しから、白黒印刷された1枚のプリント用紙を取り出した。
「なんぞ、コレ?」
「今週の日曜に開かれる、地域清掃ボランティアの募集用紙よ。今回は森実海浜公園の浜に打ち上げられているゴミを回収していくわ」
「いや、ボランティアの内容を聞いたワケじゃなくて……。なんで今、それを取り出したの?」
「鈍い男ね~」と、あからさまにため息をこぼす古羊。
なんで俺は、こんな女を崇拝していたのだろうか?
ほんと数日前の自分をぶん殴ってやりたい気分だ。
「いい? このボランティアは2人1組でペアを組んでゴミを回収していくの。アンタはそこで洋子とペアを組んで、適当にあの子を褒めちぎりなさい。そうすればあの子、すぐ調子に乗るから。きっと簡単に教育係に戻るわよ」
「おまえ本当にアイツのお姉ちゃんか?」
言葉の節々から妹を舐め腐っている感が否めない。
が、古羊の今提示した案は中々悪くないものだった。
休みの日にボランティアに出かけるのは面倒臭いが、これで妹ちゃんが再び教育係になるのなら安いものだ。
「サンキュー古羊、俺そのボランティアに参加してみるわ! ……って、古羊がそのボランティアに参加しなかったらどうしよう!?」
「大丈夫よ、生徒会は強制参加だから。もちろんアンタもね」
「あっ、そうなの? よかったぁ~」
「ちなみに当日は制服で集合ね。汚れるかもしれないから、替えの服も持って来ておきなさい」
「あいよ、制服で集合ね。了解」
どうやら心配していたことにはなりそうにないようで一安心。ほっと胸を撫で下ろす。
その拍子に、つい古羊の胸元へと視線が移動してしまった。
そんな俺を見て、何を勘違いしたのかニヤニヤと癪に障る笑みを浮かべる古羊。
そのまま、両手でハリボテおっぱいを抱きしめながら、
「ちょっとぉ~? どこ見てるの大神く~ん? このスケベ♪」
「はぁっ? いや別におまえのウソで塗り固められた乳なんかに、これぽっちも興味はねえよ。俺は名探偵じゃないんで」
「…………」
「あっ、ちょっ!? 古羊さん? ビンタはグーでするものじゃ!?」
その日食べたメロンパンは、何故か鉄の味がした。