「あ、改めまして、古羊洋子です。きょ、今日からオオカミくんの教育係になりました。ふ、粉骨砕身の覚悟でがんばりまふっ!」
「よろしくおねがいしまーす」
誤解も解け、さっさと体操服に着替えた俺たちは、さっそく活動を開始し始めた。
雑巾を片手に、校舎の3階の1番端っこと呼ばれている音楽室に移動する。
「きょ、今日は3階の窓ガラスを全部ピカピカにしていきます」
「はい、先生! 質問いいですか?」
「ひゃ、ひゃい!? な、なんでふか? え、えっちなお願いはダメですよ!?」
「妹ちゃんには俺がどういう風に見えてるワケ?」
大分さっきの出来事が尾を引いているらしい。
とりあえず、これ以上変にツッコムのはやめて、聞きたいことをさっさと聞いて、パッパと終わらせよう。
「そのお昼にも聞こうと思っていたんだけどさ、庶務って一体なにをする仕事なワケ?」
「は、はい。えっとですね……庶務は基本、学校のお手伝いさんです」
「う、う~ん? つまり?」
「で、ですからその……校舎を掃除したり、花壇に水をあげたり、地域ボランティアに参加したりする、学校の何でも屋さんです」
「つまり
「あぅっ!? ま、まぁ、言い方を変えれば、そうです……」
オドオドしながらもこくりと頷く妹ちゃん。
どうやらこの認識でいいらしい。
そうか、庶務は学校の雑用係か。
また面倒臭い役職に割り振られたものだ。
内心小さくため息をこぼしながら、雑巾を軽く握りしめる。
「よし、この窓ガラスを拭けばよろしいので?」
「う、うん。全部綺麗にするまで帰れないからね。あっ! ちょっ、ちょっと待って! お、お手本を見せるから!」
そう言って気合十分といった感じで俺の前に立つ妹。
別に雑巾で窓ガラスを拭くくらい教えてもらわなくてもできる、とは思ったが、本人が妙にやる気なので黙っておいた。
妹ちゃんは窓ガラスのもとまで近づき。
――ツルッ ガンッ!
「バルスッ!?」
足を滑らせ、盛大に顔から突撃した。って、えぇっ!?
「い、妹ぉぉぉぉぉぉ――――ッッ!?」
ちょっ!?
おまえ、これっ!?
お手本見せるって言った矢先に、気絶したんだけど!
なんかちょっとした殺害現場みたいになっちゃってるんですけどぉぉぉっ!?
「おい起きろ、妹ちゃん!? なにこんなところで1人早々にリタイヤしようとしてんだ! ふざけんな!? 3階の窓を全部ピカピカにするって言ったの、妹ちゃんだろうが! まだ始まってすらいねぇぞ!?」
マジでふざけんなよ!?
3階の窓は全部で何枚あると思ってるんだ!?
残りの窓を、俺が全部拭けっていうのか!?
い、イカンッ!?
こんなバカなことをしている間にも、刻一刻と時間は過ぎていってしまう!?
「ち、チクショウ……やってやる。俺やってやんよ!」
だって3階の全部の窓を綺麗にするまで、かえれま
だったら速攻でピカピカにしてやんよ!
俺は雑巾を握りしめ、窓ガラスと向かいあった。
結局、俺が全部の窓をピカピカにするまでの3時間、妹ちゃんは1度も起きることなく、すやすやと気持ち良さそうに眠り続けた。
◇◇
「ご、ごめんなさいぃぃぃ――ッ!」
3時間後、意識を取り戻した妹ちゃんが、ぺこぺこと何度も頭を下げてきた。
それはもう、今にも地面にヘッドバッドをかまさんばかりの勢いである。
その仕草は「た、食べないでください!」と恐怖に震える草食動物のようだった。
「いや、もういいから……謝んな」
「はぐぅっ!?」
疲れ切っていた俺は、ついぞんざいな態度で妹ちゃんに接してしまう。
それが怒っている風に見えたのか、妹ちゃんはその濡れた蒼玉のような瞳を、さらにウルウルさせ、俯いてしまった。
ヤッベ、しくった!?
言い方、キツかったかな!?
「も、もう終わった事だしさ! 気にすんなよ、な?」
「ほ、本当にごめんなさい……」
「だから別にいいって! 誰でも失敗はあるもんだ。そんな気にすんな」
「……うん」
口では納得したと言っても、根っこの部分では納得していないといった感じで力なく頷く妹ちゃん。
これが元気なら「どんまい!」の一言で片づけられるのだが、いかんせん、相手はあの双子姫さまだ。
どう答えるのが正解なのか、まったく分からない。
「ぼ、ボクの方が役員として先輩だから、フォローしなくちゃいけないのに……。今日は全部助けてもらっちゃって……」
自分で言って勝手に凹み始める妹ちゃん。
おっとぉ?
もしかして妹ちゃん……かなり面倒臭いタイプで?
被害をこうむった俺がもういいって言ってんだから、この話はここでお終いでいいだろうに。
と心の中だけで答えておく。
なんか言ったら、さらに凹みそうで面倒臭そうだし。
「ぼ、ボク、昔からそうなんだ。勉強でも仕事でも、いつも自分のことで頭がいっぱいで……」
「あ~、そうなの?」
「う、うん。だから、その、ボク……ボク……」
そう言って自分の不甲斐なさに腹を立てているのか、体操服の裾をぎゅっと握りこんで黙り込んでしまう古羊。
心なしか肩が震え、ただでさえ、細くて
「その、妹ちゃん? 俺が言うのもなんだが、あまり落ち込むなって……」
「ぼ、ボクには! オオカミくんの教育係になる資格がありません!」
「――はっ?」
いきなりそんなことを言われて、素でビックリしてしまった。
一瞬「彼女なりの冗談かな?」と思ったが、その真剣な表情と態度からこれが冗談じゃないということを察する。
「え~と、一応理由を聞くけど……なんで?」
「じ、自分の仕事もしっかりこなせないボクが、新しく入った人に、あれこれ無理に教えるのは、生徒会側としてもよくないと思うんです」
「でも、その生徒会の最高責任者である古羊――姉ちゃんは、いいって言ったんだぜ?」
「あ、あぅぅ~……。で、でもでも! ボクが教育係だと、オオカミくんにも失礼だと思うし……なにより生徒会のためにならないから」
まだ俺相手に怯えているのか、それとも俺に何かを言われるのが怖いのか、とにかく体を震わせて、必死に口をひらく妹ちゃん。
なんとなくだが、多分コイツは男が苦手以前に、自分に恐ろしいほど自信がないんだ。
こうして自分の意思を相手に伝えるだけでも大苦労。
さらに相手が俺みたいな男ともなれば、相当な勇気がいる行為なわけで。
そんなことを考えていたら、何も言えなくなってしまった。
「お、オオカミくんみたいな人には、狛井センパイみたいなしっかりした人が教育係になるべきなんだよ!」
「それはつまり、俺の教育係は廉太郎先輩になるってこと? 妹ちゃんは、本当にそれでいいのかよ?」
「……うん。自分なりに考えた結果だから」
俺と視線を合わせないように、悲しげに目を伏せる。
そんな顔をみていると、なんともやるせない気持ちが胸の奥から湧いて出てきた。
「そ、それじゃ今日の生徒会活動は終わりです。きょ、教育係の件は、ボクからメイちゃんに伝えておくので……これで失礼します」
そう言ってどこか他人行儀に会釈をし、そのまま1人音楽室を後にする古羊。
自分に自信がないからとはいえ、こうも一方的に教育係を解消させられるのは気に入らなかった。
俺は誰もいなくなった音楽室で、1人ぽつんとたたずみ続けた。