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第30話 となりで映えるキミの笑顔

「――あ、あれ? アタシ、生きてる……?」




 芽衣が次に目を覚ますと、視界いっぱいに真っ白な見知らぬ天井が広がっていた。


 それと同時に、どこかケミカルな匂いと爽やかな日差しが窓から差し込んでくる。


 そして視界に納まるのは清潔そうなベッドと毛布。


 ……なんでアタシは知らないベッドの上で横になっているの?




「ど、どういうコト? た、確かアタシ、火事に巻き込まれて、そのまま1人でお陀仏だぶつしたハズでじゃ……?」

「ようやく目ぇ覚ましたか、お嬢様」

「うぇっ!?」




 芽衣は寝起きの頭を必死に動かしながら、自分の身に起きた出来事をゆっくりと反芻はんすうしようとするのだが、それよりも早く、近くに控えていたナースがぶっきら棒に口をひらき、彼女の思考をぶった切った。


 芽衣は億劫おっくうな身体を動かし、声のした方向に目線を向けると、そこにはピンク色のナース服に身を包んだ赤髪の若い女性が、パイプ椅子に脚を組んで座っていた。


 短いスカートで足を組むモノだから、芽衣の方からしたらスカートの奥に潜む黄金郷が絶賛大公開中なのだが、ナースの女性は微塵も気にした素振りを見せない。


 そんなガラの悪いナースの隣で、同じくパイプ椅子に腰を下ろしながら静かに寝息を立てている少女を見つけ、芽衣は思わず声をあげてしまった。




「よ、洋子っ!? なんでここに!?」

「静かにしな。一晩中お嬢ちゃんに付きっきりで、さっき寝入ったばっかりなんだから」

「す、すみません……」




 ガラの悪いナースにたしなめられ、芽衣は慌てて声をひそめた。




「あの……ここは?」

「んっ? ここはアタシの通う森実大学付属病院だよ」

「びょ、病院ですか?」




 芽衣はキョロキョロと辺りを見渡し、ようやく自分の居る場所が病室だということに気がついた。


 赤髪のナースは足元に置いてあった紙袋を持ち上げると、そのまま芽衣のしぼんだ貧乳に押し当てた。


 そこでようやく芽衣は自分の超偽乳パッドが胸元から無くなっていることに気がついた。




「あ、あれ!? な、なんで!? スカスカッ!? というか服が違う!?」

すすやら煙やらで服どころか身体中ドロドロだったからな、悪いが勝手に綺麗にさせてもらったぞ。ほれ、その中にお嬢ちゃんの服と例のアレが入ってる。……大丈夫、誰にも言ってないから」




 安心しな、と口にしながらぶっきら棒に紙袋を手渡すナース。


 芽衣は渡された紙袋の中身に視線を落とすと、そこには汚れてドロドロになった私服と、彼女お手製の超偽乳パッドが鎮座していた。


 うぅ……見られた。


 心の中で涙を流していると、あの柄の悪いナースが改まった様子で声をかけてきた。




「さて、改めまして。おはようございます古羊芽衣さん。気分はいかがでしょうか?」

「あっ、はい。ちょっと身体がダルいですが問題ないです……」

「そいつは重畳ちょうじょう。あたしはこの付属病院の学生で、お嬢ちゃんの担当になった大神おおかみ千和ちわってもんだ。よろしく」




 そう言って穏やかな笑みを浮かべるナース、もとい千和。


 その表情はどこかのバカと凄く似ていて……うん?




「お、大神?」


 芽衣は彼女と向き合うべく身体を起こそうとするのだが、力が入らず、よろけてベッドから落ちそうになってしまう。


 が、千和が素早く芽衣に寄り添い、彼女をゆっくりとベッドの方へと戻した。




「無理すんなよ? 煙を吸い込み過ぎた影響で、まだ頭も身体も本調子じゃねぇんだから」

「あ、ありがとうございます……。あのぅ、なんでアタシは病院に居るんでしょうか? 確か火事で死んだハズじゃ……?」

「死んでたら、あたしと会話出来てねぇよ。お嬢ちゃんをココに連れてきたのはウチの愚弟ぐていさ」

愚弟ぐてい?」




 首を傾げる芽衣に千和は面倒臭そうに「あぁっ」と小さく頷いた。




「お嬢ちゃんの知ってる大神士狼はあたしのサンドバッ――弟さね」

「そ、そうだったんですか?」




 今『サンドバック』って言おうとしました? というツッコミをグッ! とこらえ、曖昧な笑みを浮かべる芽衣。


 そんな芽衣を一通り眺めながら、千和はニンマリと笑みを深めた。




「いやぁ、それにしても流石のあたしもビビったぜ。入院患者と夜通し格闘ゲームしてたら、あの愚弟が意識を失ったお嬢ちゃんを背負ってココまで駆け込んで来たもんでさ。しかも自分だってボロボロのクセに、あたしにすがりついて『何でもするから、助けてくれ姉ちゃん!?』ってよ。よほどウチの弟に愛されてるんだねぇ、お嬢ちゃん♪」

「あ、愛とかそんな……違いますよ」




 ニマニマと意地の悪い笑みを浮かべてコチラを見てくる千和から逃げるように、コソッと視線を外す芽衣。


 何故か高鳴る鼓動と熱くなる顔を無理やり意識の外に追いやって、自分の置かれている状況を整理し始めた。


 千和さんとの一連のやりとりで大体の状況は把握出来た。


 どうやらアタシが意識を失ったあの後、あのバカはアタシを助けるべくもう1度あの火の海の中へと飛び込んできたらしい。


 まったく、どこまでもお人好しというか、何と言うか……。


 1歩間違えていれば自分だって死んでいたというのに。


 ほんとバカな男である。


 バカでマヌケで……何とも愛らしい男である。


 思わず口角が緩みそうになる自分を、千和がニマニマした顔で見つめていることに気がつき、慌てて表情筋に力をこめた。




「ところでその……弟さんはどこに居るんですか?」

「あぁ~、それは……」

「……えっ?」




 千和が一瞬暗い顔を見せる。


 途端に芽衣の胸に言いようのない不安が爆発的に膨れ上がっていった。


 ま、まさか……?


 いや、そんなハズ……。


 芽衣の脳裏に最悪のビジョンが次々と浮かんでは消えていく。


 気がつくと芽衣の呼吸は荒くなっていた。




「ち、千和さん……あのバカは、大神士狼はどこに居るんですか?」

「……誠に言いにくいんだが」




 千和が残念そうに、首を横に振る。


 瞬間、芽衣は目の前が真っ暗になった。



















 ――かと思えば、廊下の方からナースの怒声と元気いっぱいのバカの声が病室に響いてきた。




『あぁ~っ!? もうシロウくんっ! またウチの看護婦にセクハラしたでしょう!? もう何度目よ!?』

『ち、違う違うっ! お、俺はただ姉ちゃんとダチの居るこの病院の治安を守ろうとしているだけで……ッ!?』

『それがどうやったら匍匐前進ほふくぜんしんのローアングルでナースのお尻を追いかけるコトになるの!? 変態なの? 変態なのね!』

『ち、違うよッ! 俺は変態じゃないよ! 紳士だよっ!』

『って、そんなコトいいながらパンツを覗こうとするなっ! この変態紳士が!』

『い、痛いッ!? そ、そんなっ!? パンツを見せて貰えたうえ、ご褒美まで蹴って頂けるだなんて……ありがとうございますっ!』


「――と、まぁあの通りピンピンしてるよ」

「…………」




 こめかみに青筋をたてる千和に、芽衣は何とも言えない気分になった。


 例えるのであれば、父兄参観日に父親がアニメのコスプレをしてやってきたような、そんな複雑な気持ちと言えば分かってもらえるだろうか?


 いまだに廊下から『(白衣の)天使に触れたよ♪』『くたばれ! エロガキがぁっ!』と頭が痛くなるような会話が聞こえてくる中、千和は呆れたような口調でこう言った。




「流石はウチの母親の血を受け継いでいるだけあって、イカれてるわアイツ。お嬢ちゃんの3倍近い黒煙を吸い込んでいるハズなのに、ピンピンしてるんだから。我が弟ながら、どんな身体の作りをしてるんだか」




 大神家でマトモなのはあたしだけね、と肩をすくめる千和。


 芽衣としては「あ、あはは……」と苦笑を浮かべる他なかった。


 ほんとアレだけの火災があった後で、どうしてあんなに元気ハツラツで居られるのだろうか?


 あのバカが根本的に生物として自分とは違うステージに居るようなそんな気がして、芽衣はやっぱり苦笑を浮かべた。


 瞬間、バンッ! と音を立てて病室の扉が開いたかと思うと、例のバカこと大神士狼が荒い呼吸を繰り返しながら芽衣たちの居る部屋へと転がり込んできた。




「あ、あっぶねぇ~っ! あと少しで警察のお世話になる所だったわ。……さて、適当な病室に逃げ込んじゃったけど、ここは一体どこ――」

「…………」

「……あっ」




 士狼が顔を上げると、コチラを見ていた芽衣と目が合った。


 数秒の沈黙が2人の間を支配する。


 なんとも気まずい空気が病室に蔓延まんえんする中、「ヤッベ!?」といった表情を浮かべていた士狼は慌てた様子で芽衣のもとまで駆け寄っていた。




「古羊っ!? 大丈夫だったか? 心配したんだぞ!?」

「嘘つけバカ野郎」




 思わず千和が居ることも忘れて素でツッコんでしまう芽衣。


 なにを楽しそうにナースのお尻を追いかけとるんじゃキサマは? と胸の内にわだかまるモヤモヤと共に吐き出そうとするのだが、士狼の笑顔をみた瞬間。




 ――どきんっ!




 と、メイの心臓が一際大きく高鳴った。


 ドキドキと心臓が脈打ち、何故か顔が夕日で焼かれたように赤くなっていくのが自分でも分かる。


 芽衣は両手で自分の頬を挟むように士狼から慌てて視線を切った。


 えっ、なにコレ?


 なにコレッ!?




「うるせぇぞ愚弟? 病院内は静かにするのがマナーだろうが?」

「姉ちゃんっ! マジで今回は助かったわ、サンクスッ!」




 へにゃっ、と笑う士狼に子犬でも払うかのように「うるせぇ、うるせぇ」と片手をヒラヒラ振るう千和。


 芽衣はそんな2人のやりとりを見て……いや彼だけをチラッと横目で盗み見て……また慌てて目を逸らす。


 ドキドキ、ドキドキッ! と血液が沸騰し、全身が熱くなる。


 それどころか、士狼に見られていると思うと、何故か呼吸が上手く出来ない。


 なんなのコレ!?


 なんなのよコレッ!? 


 内心盛大に慌てふためく芽衣。




「いやぁ、マジで一時はどうなるかと思ったわ。でも無事に目を覚ましてくれてよかったぁ~っ! もし覚めなかったら、俺はクソ野郎共を串刺しどころか八つ裂きにしなけりゃならん所だったわぁ~っ!」

「そ、そう言えば佐久間くん達はどうしたの?」

「もちろん古羊を病院に連れてきた後、キッチリと警察に突き出してきたぜ。……まぁ何故かまた俺が逮捕されかけたんだけどね」




 警察署の前で「またオマエかぁっ!」と怒声をあげながら数人の武装警察官が駆け寄ってきた時は法治国家の終わりを感じたモノだが……士狼は黙っておいた。


 ほんの少しだけ寂しい気分になる士狼を尻目に、芽衣はうるさいほど高鳴っている胸の鼓動を落ち着かせるように、必死に深呼吸を繰り返していた。


 大丈夫、いつも通り。


 いつも通りの自分で。


 念仏のようにそう唱えながら、澄ました顔を作るように努力しつつ、士狼に声をかけた。




「そう。それは大変だったわね」

「ほんと大変だったわ。屈強な男たちを前に大立ち回りをするのは。もう文句の1つでも言ってやりたいくらいで――あっ」

「???」




 途中で言葉を差し止めた士狼が、何か思い出したかのように「そうだ」と声をあげた。




「実はおまえにプレゼントがあったんだったわ」

「プレゼント? アタ……わたしに?」




 千和の居る手前、慌てて優等生の仮面を顔に張り付ける芽衣。


 士狼はそんな芽衣に向かって「おうっ!」と笑顔で頷くと、ポケットからスマホを取り出して……しまった!? といった表情を浮かべた。




「どうしたの?」

「いや、その……」




 士狼は珍しく気を遣うような素振りを見せながら、




「おっぱい、盛らなくて大丈夫か?」

「あぁんっ?」

「――じゃなくてぇ~」




 芽衣の胸元に視線を固定しながら、士狼は取りつくろうように慌ててこう言った。




「やっぱ寄せて上げても『B』は無いんじゃねぇの?」

「あぁっ!? それ言い直した意味ある!?」




 くわっ! と般若の如き形相で睨まれた。


 ふぇぇ……会長が怖いよぅ……。


 士狼は心の中で萌えキャラ化しつつも、今にも崩れ落ちそうなほど大爆笑している膝を叱責しながら小さく頭を下げた。




「す、すまん。言い方を間違えた。その、つい……な?」

「OK、要はアタシと喧嘩したいワケね? いいわよ。その喧嘩、買ってやろうじゃないのっ!」

「待て待てっ!? お、俺は喧嘩を売りに来たんワケじゃないんだ! いやマジで!? お、おまえにプレゼントを渡しに来たんだよ!」




 そう言って士狼は怒りで素に戻っている芽衣に、慌てて自分のスマホを手渡した。


 芽衣はいぶかしがりながらも素直に士狼からスマホを受け取る。


 そのまま視線をスマホへと落とし、




「スマホ? プレゼントって、一体なに――」






 ――そこには、全裸になった男の股間部分がドアップで映し出されていた。






「嫌ァァァぁぁぁぁぁぁぁ―――っっ!?!?」




 半狂乱になりながら、手に持っていたスマホを病室の中へ投げ捨てる芽衣。


 士狼は慌ててスマホを回収した。




「バカ、おまえ!? 俺のスマホだぞ! 壊れたらどうすんだ!?」

「バカはアンタの方でしょっ!?」




 芽衣は目尻をキッ! とり上げ、半泣きの顔で怒鳴り散らした。




「な、なななななっ! なんてものを見せるのよっ!? これトラウマ確定モノのグロ画像じゃない! さっきの事と言い、そんなにアタシが憎いわけ!? ほ、ほんと信じられな――」

「ち、違う、違う!? 落ちつけって! 怒鳴る前に、違う写真も確認してくれよ」

「……違う写真?」




 芽衣は困惑した表情でもう1度士狼からスマホを受け取ると、横にフリップして次の写真を映し出した。


 そこには、股間の主の全体像を写っていた。




 ――気絶する佐久間亮士の姿が。




「な、なにコレ……?」



 驚き目を見張る芽衣。


 士狼のスマホの画面、そこには下半身丸出しの格好で気絶した佐久間が映っていた。


 佐久間の額には油性ペンで『ごめんなさい』と書いてあり……芽衣は余計に困惑した。




「こ、これ佐久間くん……えっ? ど、どういう……?」

「もう大丈夫だからよ」

「だ、大丈夫って?」




 首を傾げる芽衣に、士狼はぶきっちょな笑みを浮かべてみせた。




「約束させてきた」

「えっ……?」




 驚き顔を上げる芽衣をまっすぐ見返しながら、士狼は言った。




「もう金輪際、古羊には近づかない。連絡もしない。脅迫なんて絶対にさせない。もし約束を破ったら、この写真を全世界にウェブで配信するって」




 それは、かつて士狼が芽衣にやられていた脅迫の手法だった。


 その効力は喧嘩狼が文字通り身を持って体験している。


 被害者のお墨付きだ。


 士狼も芽衣に脅迫されていなかったら、こんな方法、思いつきもしていなかっただろう。


 ……士狼はなんだか少し複雑な気分になった。


 士狼は芽衣からスマホを受け取ると、簡単な操作で佐久間の写真を芽衣のスマホに送った。




「写真は俺とよこたんが持ってるが、一応念のためにおまえも持っとけ。……多分これで大丈夫だとは思うが、もしアイツがまた、おまえにちょっかいをかけてきたら、すぐに俺を呼べよ? 速攻で駆けつけるから」

「駆けつけるって……アンタ」




 芽衣が顔を上げ、士狼を見つめる。


 その紅玉の瞳は涙の膜でゆらりと揺れた。




「ど、どうして……? アタシ、アンタに酷い事ばかりしてきたのに……。アタシなんて、放っておけばよかったのに……」

「関係ねぇよ。友達ダチを助けるのに理由なんかいるかよ」

「か、関係ないって……アンタ……」




 呆然とした表情で士狼を見つめる芽衣。


 だが、すぐさま手負いの獣のように、敵意の籠った瞳で士狼を睨みつけた。




「そ、そんなことで、アタシが感謝するとでも思った?」

「いや、思ってねぇよ。これは俺の独りよがりな自己満足の結果だ」

「そう、なら無駄な時間を過ごしたってわけね」




 そう言って芽衣は目を伏せ、自嘲気味に笑った。




「そうよ、無駄だったのよ……。自分を磨く努力も、生まれ変わろうとする意志も、全部無駄だったのよ。結局はアタシのしてきたことは。すべて無駄でしかなかった――」

「無駄じゃねえよ」




 えっ? と芽衣の顔が上がる。


 それと同時に、涙の膜でキラキラと輝く紅玉のような瞳が士狼を射抜く。


 この瞳を前に嘘は通じない、と士狼は直感的に理解した。


 だから、事実だけを口にすることにした。




「全然無駄なんかじゃねぇよ。過去はどうであれ、おまえは必死に自分を変えようと努力してきた。そんなおまえだからこそ、よこたんも力を貸したんだ。いや、よこたんだけじゃねぇ。廉太郎先輩も、羽賀先輩も、もちろん俺も。生まれ変わろうとするおまえの努力を知っているから、おまえに力を貸したくなったんだ。だから全然無駄なんかじゃねえよ」

「お、大神くん……」

「おまえの努力は、人に誇れる立派なもんだ」




 まあときどき暴走するけどな、と士狼は内心付け加えた。




「な、なんで? どうしてアタシに、そこまでしてくれるの?」

「『なんで?』って、約束したからだろうが。……もしかして、もう忘れたのか?」

「や、約束……?」




 頭の上に「???」を乱舞させる芽衣に、士狼は『仕方がない』とでも言いたげに肩をすくめて、




「昨日の昼、我が家で約束しただろ?」

「昨日の昼……あっ」




 瞬間、芽衣の脳裏に士狼との雑談中のやり取りが鮮明に浮かび上がった。




『どこに居ても構わねぇ。どんな形でも問題ねぇ。思いっきり、腹の底から俺の名を叫べ。そうしたら、世界中のどこに居ても、必ず助けに行ってやんよ』




 なんて事はない、元気のない自分を慰めるその場しのぎの戯言たわごとだと思ってた。


 でも違った。


 この男は本気マジだったのだ。


 この男は本当に世界中のどこに居ても自分を助けるつもりだったのだ。


 他愛もない口約束を本気で叶えようとしていたのだ。


 ……芽衣はなんだか泣きそうになった。


 零れ落ちそうになる涙を必死に我慢しながら、芽衣は『いつも通り』を務めようと嫌味の1つを士狼に投げかけた。




「ふ、ふんっ! せ、正義の味方にでもなったつもり?」

「正義の味方ぁ~? ハァ? このつらが正義の味方さまに見えんのかよ、おまえ?」




 自分でも言うのもアレだが、どう見ても悪人面だぞ、俺? と士狼は肩をすくめた。


 そう、大神士狼は別に正義の味方でもヒーローでもない。


 勇者でもなければ英雄でもない。


 特別な力なんて何も持ってない。


 ちょっと喧嘩が強いだけの、ただの生意気なクソガキだ。


 でも、そうだな?


 強いて言うのであれば彼は、正義の味方じゃなくて――




「――テメェ古羊芽衣の味方だよ、バカ野郎」


「……大神くんには、そんなキザな台詞は似合わないわよ?」

「えぇ~……ここでダメ出しですか?」




 人が少し甘い顔を見せれば途端にこれだ。


 ほんといい性格してるぜ、コイツ。


 士狼は唇を尖らせ明後日の方向にそっぽ向いた。


 そんな士狼を見て何が面白いのか、小さく吹き出す芽衣。


 そこから感情のせきが壊れたかのように、クスクスと笑い続け。




「うぅ……うぐぅっ」




 やがて笑い声が、嗚咽おえつへと変わっていった。


 押し殺していた声が口の中で飽和ほうわしきれず、ボロボロと涙に変わってこぼれ落ちる。


 士狼はそんな女神サマを抱きしめるでも、手を握るでもなく、ただ黙って見守り続けた。


 安心して、気が済むまで泣けるように。


 泣き笑いしている芽衣の顔は、涙や鼻水やらで、やたらクシャクシャになっており、お世辞にも可愛いとは言えなかった。


 だが、それでも士狼が今まで見てきた彼女の笑顔の中で、1番いい笑顔だと思った。




「大神くん……」




 芽衣は嗚咽おえつの隙間から、吐息のような声を漏らし、




「……ありがとう」




 ――ああ、その一言で全部むくわれたよ。


 静かにこぼれる彼女の嗚咽が、自分を祝福しているような、そんな気がした。


 そんな気がして、士狼はもう1度だけ微笑んだ。

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