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稽古 4

 次の稽古が始まった。ここで伊達は3つのグループに分けた。帯の色によるレベル別の稽古だ。内弟子も、それぞれのグループに分散した。ここでは内弟子も、一般生と同じように稽古することが分かった。

 一番下のグループでは、もう一度基本の繰り返しが行なわれた。

 ただし、今度は連続技が主体となり、先ほどとは内容が異なっている。複雑になっている分、一般的には姿勢が乱れたりしがちだが、基本がしっかりしているせいか、それがあまり見られない。学生時代、高山が指導していた後輩の様子と比較すると、明らかな違いを感じていた。

 何を行なうかはあらかじめ伊達が指示し、それをこのグループの最古参の者が号令をかける。その場稽古から移動稽古までの内容で行なわれることになった。

 次のグループは「形(カタ)」の稽古だ。

 空手道の稽古の中核をなす「形」には、組手と同じくらい関心があった。これまで自分が学んだものとはどう違うのだろう、という興味が高山の心に湧いた。

 数種類の形を見たが、特に注目したのは「二十四歩(ニーセーシ)」という形だ。

 呼吸法が特徴的な形だが、高山が学んだ流派には呼吸法を強調したものはなかった。それだけに食い入るような目で眺めていた。挙動数は少ないが、ゆっくり呼吸を行ない全身を締める動作に、稽古している人たちは汗だくになっている。相当な運動量であることが見ていても分かった。

 このグループも、ここでの最古参の道場生が号令をかけている。伊達は稽古生の問題点を見つけると、個別に指導していた。

 形の場合、基本とは異なった複雑さがある。形の特徴や、そこで培うべき身体意識、場合によっては武技への応用について話す場面もあった。

 高山の経験の中には、道場・大学を通じてこれほど細かく説明を受けたことは無かった。それだけに、「形」の奥深さと、それに関係する身体の仕組みについて、この段階から教わっている道場生をうらやましく思った。

 黒帯のグループでは組手だ。

 組手といっても、他のグループとの稽古の関係から、この時点で行なうのは約束組手だ。

 高山にとって最も関心が高い試合形式の自由組手の時は、スペースを取るため、他の道場生は見学にまわる。そのため、組手のグループは、最初は約束組手を行ない、その後に自由組手という流れになる。

 だが、血気盛んな高山には、約束組手であっても絶対に目が離せない。ただ、形稽古も気になるので、両方を注視することになった。

 高山はそこで行なわれる内容にも驚いた。

 これまで高山が行なってきた約束組手は、すべて試合用のもので、大会ルールに則り、ポイントを取るためだけの目的だった。攻撃側も反撃側も使われる技は上肢の場合、順突きか逆突きで、蹴りでは前蹴りと回し蹴りがほとんどだ。その組み合わせも単純なものが多く、いかに先に出すかに重きが置かれた。どうしたら効果的か、それにはどこを狙えば良いのかといったことはなく、大ざっぱに中段とか上段といった区別しかなかった。

 しかし、伊達の道場では技が多彩で、しかもそれぞれの技の特徴を活かしての攻撃法、加えてそれぞれのターゲットが人体の急所という視点で解説されている。しかもその効果について、伊達自身が模範を示す。

 もちろん、急所である以上、強打はできない。軽く触れるような感じで当てるのだが、何が違うのか当てられたほうは大変痛がる。

 それは攻撃技だけではない。受け技の場合も同様だ。

 突いてきた前腕を軽く受けたと思ったら、突いたほうの腕が上がらなくなり、膝をついて座り込んでしまう、というシーンがあるのだ。

 ここでは受けも攻撃の一つと教えられており、この点も高山にとってはカルチャーショックだった。たしかに、そのようなことを話では聞いたことがあるが、それをこの道場では実際に稽古し、その効果をみんなが体験している。

 それを身体の仕組みと共に教わり、武技の理も教授され、筋力に頼らない技の実際を見て、改めて活殺自在をめざす自分の選択に間違いがなったことを実感しつつ、内弟子として入門させてもらったことに深い感動を覚えていた。

 同時に、一般稽古がこのレベルならば、内弟子稽古ではどんなことを教われるのか、興味はMAXに達していた。

 ここで高山は、初めて伊達に会った時のことを思い出した。

「そういえば、俺も初めて先生に会って小手を軽く弾かれた時、激痛があったな。そういう感じなんだろうな」

 見学しながらつぶやいていた。

 やがて自由組手が始まることになった。伊達が道場生に声をかける。

「全員、やめ! これから自由組手を行なう。黒帯は防具を付け、準備しろ」

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