伊達は高山をモデルにして説明したことを、稽古生全員にも意識させようとした。
「今、説明したことを、それぞれ自分でチェックしなさい」
各自、立ち幅や脚の締め具合、膝の角度など確認し始めた。その間、伊達は個別に立ち方のチェックを行なっていた。いつもやっていることではあるが、なかなか身に付くものでないので、一人一人の状態を細かく修正していた。
中には下段足刀で膝関節、大腿部を軽く蹴り、脚の締め具合を確認することもあった。結構しっかり蹴られているが、やはり上級者になるほどしっかりした安定感を保っているのが、見ていても分かった。
もちろん、高山も同様に蹴られたが、慣れていない立ち方のため、すぐに膝が折れてしまう。下半身の弱さを改めて感じていた。
立ち方の指導が一通り終わると、今度は今日のテーマ、突きの稽古が始まった。
まず、攻撃箇所を設定し、そこに的確に当てるコントロールの稽古だ。
伊達は拳より少し大きめの輪を持ち出した。そしてその輪を持ち、道場生の前に立った。
各自、その輪の中を突き通すように一人一人順番に突いていく。何本突くかは人によって異なった。なかなかうまく通せない人は多くなるが、正確にコントロールできている人は少ない本数で終了した。
高山の番になった。横目で他の人の様子を見ながら、うまくできるかどうか不安だったが、それでは上手くいくはずはない。度胸を決めて輪の中を突いた。
内八字立ちで立ち、交互に突くわけだが、左右の拳で同一箇所を突くという稽古をやっていない関係もあり、輪の中に上手く通すことは、高山にとって至難の業だった。
しかも、度胸を決めたという意識が逆に禍して、へんな力みが入ってしまうのだ。そのため、輪を外すことが多くなり、それがまた焦りにつながり、中々上手く輪を捕えることができない。
「肩に力が入りすぎているぞ。もっと落ち着いて突け」
伊達のアドバイスが響いた。
上手く突こうと思う自分に気づかされた高山は、スッと肩の力を抜いた。
もちろん、十分なものではないが、その時の高山にとってはそれなりに力みが取れた。そのせいだろうか、その後は輪の中をうまく通り抜ける回数が多くなった。
高山にとっては初めてのタイプの稽古だった。それまでの意識は、上段とか中段といっても結構幅があり、正確に「点」としてとらえるという感覚はなかったのだ。
伊達はこの稽古の意味を説いた。
「高山君以外には何度か説明したと思うが、理解している人は復習として聞いてほしい。この稽古は、正確に急所に当てるためのコントロールを身に付けるものだ。活殺自在に必要な技術の一つが、正確に急所に当てるということで、これができなければやはり腕力の違いがそのまま出てしまう。でも、身体の弱い部分、急所に的確に当てることができれば、そこそこの力でも効果を出せる。腕力の差を技術でカバーするための稽古なのだ」
高山にとっては、これまで聞いたことのない話だ。また、こういった当てる場所を正確にコントロールして突く稽古などもやったことはない。いかに点取りゲーム的なことをやっていたのか、改めて質の違いを感じた。
この日は突きのコントロールといったことがテーマだったため、その後も形を変えて稽古が続いた。輪が2つ登場したり、拳の代わりに貫手で行なったり、場所のコントロールだけでなく、間のコントロールということで当たる寸前で止める、といったことだ。
加えて、それを移動しながら行なう稽古もあったりで、いろいろなことを要求される内容になかなかついていけなかった。
高山の場合、間を意識した稽古に関しては、大学時代の試合で行なっていたノンコンタクトルールに通じるところがあるため比較的やりやすかったが、ほとんどが初めての稽古ばかりだったので、時間はあっという間に過ぎてしまった。良い汗をかいた満足感で一杯だった。