堀田は高山が入門するまで末席で稽古していた。堀田は年下だが、内弟子としては先輩になる分、高山よりは上席にいた。つまり、高山の隣に座っていたわけだが、黙想で心を静めていたため、隣にいた高山の様子を感じ取っていたのだ。
「高山さん、朝の稽古は激しいことはやりません。身体の内側を見る、といった感じの稽古で、ゆっくり細かくやることが多いんです。だから大丈夫ですよ。僕も最初は正座なんて慣れていなかったから大変でしたけど、早朝稽古は他の稽古と違うから…。とはいっても、いろいろな流れの中で、早朝から激しく行うこともありますけど」
堀田の話で高山はちょっとほっとした。しばらく経てば大丈夫だろうけど、すぐに難しい動きを要求されたら、とてもできる状態ではない。せっかくの内弟子としての初稽古を、自分のいたらなさで台無しにしたくない、という気持ちが働いていたのだ。
ただ堀田の話から、今日はどういうことをやるのだろうという興味が湧いてきた。
入門以来、驚くことの連続で、今まで習ったこともそれまでとはかなり異なっている。一般部でも難しいと感じているのに、内弟子の稽古ならもっとすごいことをやるのだろう、という期待で一杯になった。
「では、今日の稽古は空手道の基本である『正拳』について行なおう」
「えっ? 正拳? そんなの入門して一番最初に教わることじゃないのか?」
すごく難しいことを学べると思っていた高山にとっては、拍子抜けだった。その様子を感じ取った伊達はすかさず言った。
「高山君。今、正拳ですかって顔をしたけど、きちんとした正拳は握れるのか」
「一応、試し割などもやっていましたので…」
改めて言われると自信を持って答えることはできなかったものの、数年のキャリアもあるし、握れないとも言えない。
高山は自分が理解している正拳を作った。
自分としては正しく握ったつもりだった。人差し指から小指までの四指も自分なりにしっかり曲げ、それを親指で押さえる。四指とと手の甲の角度も垂直になっており、形としても問題はないと思った。
「それで良いか?」
「はい、大丈夫だと思います」
「では、その拳で私の拳を軽く突いてみなさい」
腕を伸ばし、突きの形を取っている伊達の正拳に当てた時、まったく異質のものに当てた感じがした。多少の違いは予想していたが、中身の詰まり方が違う。伊達の正拳を鉄球だとすると、高山の正拳は木製のボールといった感じだ。
最初に伊達に会った時、手を見たら空手家というイメージが強い拳ダコらしいものがなく、きれいな手という印象を持ったことを思い出していた。その分、一般的な空手家のイメージとは異なるきれいな手が、これだけの固い拳になるのかということに驚きを隠せなかった。
もちろん、固い拳を握れるからといって拳そのものの鍛錬を怠って良いわけではない。要は、タコを作るための鍛錬でなく、本当に骨を鍛えるための鍛錬を行い、皮膚にその痕跡を残さないような稽古が大切なのだと伊達は説明した。
その上で正しい拳の握り方を意識する必要性を説いた。
「どうだい? 理解しているように見えても、正しい正拳を作るのは難しく、その内容を習得することが改めて必要というのが分かったかな。実際、私もまだ正拳は研究中なんだよ」
伊達自身、まだ途上であることを話しつつ、現時点での正拳の握り方を説明した。そこには拳に芯を作る意識と、そのための具体的な方法、親指と小指の締めの必要性の解説、どの部位を当てのかといった用法、正拳をきちんと活用するための手首や上肢の使い方など、実に細かい指導になった。そしてそれらのチェックは、一人一人伊達が入念に行なった。