稽古の準備ができた。高山、御岳、堀田はいずれも顔が緊張し、強ばっている。特に高山と御岳は当事者の立場としての稽古なので、その様子がありありと出ている。
「本気で投げなさい」
伊達が堀田に言った。
その言葉は堀田よりも高山に響いた。先ほどよりもさらに緊張し、目つきも険しくなった。
しかし、伊達はそういう意味で言ったのではない。これからの稽古は実際の場面を想定してのことなので、変な遠慮は逆効果になる。本当にぶつけるつもりで投げないと、稽古にならないのだ。
伊達の指示通り、堀田は当てるつもりで投げた。
だが、これまでの稽古の成果か、高山はうまく対処し、御岳には当たらなかった。
全員、伊達から誉める言葉が出てくると思った。
「駄目だ!」
意外だった。
動きは悪くないし、タイミング、滑らかさも伊達ほどではないにしろ十分及第点が付けられる内容だったからだ。客観的に見ても、大方は評価するであろうというレベルだった。
なぜ駄目だと言われたか理解できない内弟子たちは、きょとんとした表情をしている。
「なぜ、駄目だったか分かるか?」
また伊達が問いかけた。
だが、理由が分からないため全員、下を向いたり、空を仰いだりしている。
「…」
伊達はみんなの口から何か言葉が出てくることを期待し、しばらく待った。
考える時間を与えたつもりだったが、残念ながら誰からも答えは出なかった。このままでは無駄に時間が過ぎてしまうので、伊達が説明し始めた。
「実際のシーンを想定した稽古だと言ったはずだ。これはどういう場面だ?」
全員を見渡して言った。
「演説の場面です」
龍田が答えた。
「そうだ。そこで尋ねるが、高山君はどういう立場になる?」
「マイクを持っているけれど、若林先生をガードすることを目的として近くにいるのだと思います」
松池が答えた。
「その通り。でも、それはあくまでもこちら側のことで、対外的には演説のためにマイクを持つ役目として見られている。そんな立場の人が、今みたいに厳めしい感じでにらみつけては、聴衆の人たちが違和感を感じたり、恐がったりするだろう。たしかにガードする側は、ある種の戦いとして行なうわけだからそのような表情になるかもしれないが、感情を表に出せば、武道でも負けなんだ。相手に心の中を読まれないようにするのが戦いの定石だ。だからここでは表情は柔らかく、笑みを浮かべるくらいでありながら、心の中は臨戦体制でいる、ということが必要だ。難しいかもしれないが、それができてはじめて今回の役が果たせることになる」
「まさか表情のことを言われるとは思ってもいなかった」
これが全員の気持ちだ。実戦というと、腕力的・闘争的なことばかりを想像していた高山を含めた内弟子は、目から鱗の状態だった。
「なんか、役者になった気分だな」
龍田がぼそっとつぶやいた。
伊達はそれを聞き逃さなかった。
「そう、その通り。今回は役者になりなさい。警護という役回りでは、どういう立ち振る舞いをするのが必要か、技と同様の意識で考え、実践することが大切なんだよ」
この説明を聞き、その後、役を交代しながらの稽古が続いた。