聳え立つは、もう見慣れてしまったダンジョンへの入口。向かうプレイヤーも戻るプレイヤーも、等しく通す重扉の前には人だかりができていた。
「……なんだよ、あれ……」「反則だろーが!!」「怖いよ、もう……あんなのできない」
みな赤い糸に苦戦しているのだろう。落胆や怒り、悲しみ、多様な声が交わされる中には前向きな感情は一つも見当たらなかった。
通常ならば、誰もが知ってるレベルのアイドルが3人もそろっていれば注目が集まり、声をかけられてもおかしくないはずなのに、そんな様子はまるで見られなかった。
すずの告白を聞いて美歌とすずの二人がそこへ着いたときには、もうすでにギルドの全員が人だかりに混じるように集まり、それぞれにときを待っていた。
一番最初に美歌に気づいた瑠那が嬉しそうに手を振る。
「美歌ちゃん! 待ってたよ! みんなピリピリしてるから空気悪くて、清涼剤を待っていたところ!」
(清涼剤って、私のこと?)
と、呟く前に瑠那の横にいた有門が「おい!」と突っ込む。
「お前な、その言い方はねぇだろ。こっちはどう戦えばいいか真剣に考えてんだ」
「確かに敵は強力だ。だけど、有門くん一人が頭を捻ってもしょうがないんじゃないか? 成るようになるし、成らないときはどうもならない」
壁を背に軽く腕組みをしていた月守の目がうっすらと開けられた。スラッとした長い脚に似合う革靴がコツコツと音を立てて、美歌の前へと進んだ。
「それに、こっちの切り札は美歌ちゃんのピアノだ。あの生意気な少年がメッセージを寄越してきたよ」
月守はしゃがみこんで自身の端末を美歌に手渡した。ふわりと甘い香りが辺りに漂う。
『要望のあったアプリを開発したよ。名付けて転送アプリ。そのまんまだけどね、マッピングアプリでプレイヤーの位置特定は可能になったから、それをちょっと応用してプレイヤーの位置を特定→指定の物を転送することができるようになった。アプリ、忘れずにダウンロードしておいてね。あと、僕はまだ子どもなのでもちろん戦闘に参加しないから。じゃあね』
「最後のは余計な一言だが、約束通りにアプリはできた。これでピアノはいつでもどこでも呼び寄せることができる。無数の音で無数の糸を蹴散らしてくれ──と言いたいところだが、どうやらその不安げな顔では楽曲は完成しなかったようだね」
心の中を見透かすような切れ長の瞳を見ていられなくて、視線は喧騒の中へ移動した。大勢のプレイヤーの集団のなか、止まった先にいたのは優しげな瞳をたたえた直人。
(…………あっ)
「大丈夫だ。既存の曲ならたくさん持っているだろ。それに、美歌の音楽の力を除いたとしてもこのギルドは強力だ」
「ちょっと、直人くん! 今、私が同じこと言おうとしたのに!」
抗議の声が二人の間に割って入る。ぷくっと膨らませた頬からは半ば冗談ともいえない不満が漂っていた。直人は瑠那の顔を一瞥して、すぐに視線を逸らした。
「美歌ちゃん、大丈夫だよ! 私も有門も新たなスキルを手に入れたし、この間みたいにすぐにはやられたりしない。美歌ちゃんはいつもの通りに演奏することに集中すればいいから!」
「でも、瑠那さんそれじゃ──」
ポーン、とジェル状の物体が頭に垂れてきた。一時的にとはいえ、頭のなかが空っぽになる。
「瑠那と直人の言うとおりだよ! 大丈夫、肩の力を抜いて美歌!」
幼い子どものような無邪気な声に、何度も飛び上がる「ピョンピョン」という効果音。その持ち主は。
「「スラッグ!!」」
「そう、スラッグ! 久しぶりだね、みんな! 直人もすずも仲間になって、いや~案内人としては感慨深いものが……って、ふぁにするんでふか!!」
「なにって、相変わらずのプニプニ具合だなって、そして相変わらず人の話の腰を折る」
「ひゃ、ひゃめてくだひゃい!!!!」
美歌の頭の上に乗ったスラッグの皮膚──人間で言えば頬の部分に当たる──を力一杯に引き伸ばすと、瑠那は一気に手を離した。パチンッ!っと太いゴムが弾かれた音がしたと思ったら、スラッグはぶよよんとその場で特大のジャンプを決める。
「全く──でも、
(……それはいったい、どういうこと?)
「力が入りすぎてる、私たちは今。私たちのギルドだけじゃなく、ここにいるプレイヤー全員が」
いつの間にか入口に集まっていたプレイヤーが、瑠那を囲んでいた。口々に呪詛のように呟いていた言葉は静まり、瑠那の鈴の音のような聞き心地のいい声が穏やかな風に乗って響き渡る。
「これは、ゲームなんだよ! 痛みはあるかもしれない、悔しい思いをするかもしれない。でも、ゲーム。何があっても絶対に死ぬことはない。だったら、思い切り声を上げればいい!」
張り上げる声に、何人かの顔つきが変わったのを美歌は見逃さなかった。何の根拠もないただの空元気にも聞こえる言葉が、確かに心を動かしている。何があっても前に向かうという、力強い追い風のようなメッセージ。
音が鳴っていた。音の粒が弾けていた。美歌の頭の中では、これまで瑠那と一緒に奏でてきた楽曲が鳴り響いていた。心臓のリズムがドクンドクンと内側から沸き上がる。
「そっか。大丈夫、だよね」
「ああ、大丈夫だ」
呼応してくれたさりげないウィスパーボイスに誰にも気付かれぬように頷くと、美歌は再び頭の上に乗ろうと企むスラッグに向けて声を発さずに「ありがとう」と伝えて、車輪に手をかけた。
その背のハンドルを小さなアイドルの手がつかむ。
「行こう。美歌ちゃん。もう一回……もう一回だけ、赤い糸のところへ」