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第82話 囮

 特徴的な甲高い笑い声が2人の勘が正しいことを証明していた。音もなく、いつの間にか小さな2人組が2、3軒離れた真っ赤な屋根の上に姿を現していた。


「うるさいってなんだよ、うるさいって! 元気で可愛い女の子じゃないか! ねぇ、リン!」


 物部芽依は、ウェーブがかった茶色の髪をいじると、不満そうに唇を尖らせた。ゆるめのデニムスカートに目を引くオレンジ色の七分袖のシャツという装いには全く似つかわしくない細身のレイピアを片手に携えて。


 同意を求められた相方、西條凛は艶やかなポニーテールを微かに横に振った。感情が読み取りづらい表情とは違って、その仕草は雄弁に語っていた。「お前と一緒にするな」、と。


「……とにかく! モンスターなんてどれだけ集めてもただの雑魚なんだよ! そりゃあさ、齋藤美歌の演奏はやっぱりスゴかった! 感動した! こんなところで新曲を聞けるなんてさいこ──」


「メイ。また、話しすぎ」


 細身のラインがよくわかる黒いワンピースの下から取り出したダガーが、目標に向かって正確に飛んでいく。直人はそれを、造作もなく弾いた。


「……とにかく立ち塞がるということだろう。前も言ったがごちゃごちゃとしゃべるのは嫌いなんだ。言いたいことはその刀で言え」


「言いたいことねぇ」


 ショートカットの少女の瞳孔が大きく開かれた。夜闇に獲物を見つけた肉食獣のそれのように。


「サムライ気取りなのかな? 一回僕を倒したからって調子にのってんじゃねーぞ。テメー」


 軽薄な笑顔が消えて引き攣った笑顔に変わる。怒りに満ちたというよりかは、怒りのリミッターを外したような表情で直人を見下すと、物部芽依はレイピアを突きつけて挑発した。


「落ち着いて、メイ」


 怒りで小刻みに震える肩に手を置いた西條凛は、素早く小刀を抜き取ると魔法を詠唱し、うっすらと緑に色づいた風を刀身に纏わせた。


「私達『2人』なら絶対に負けない……!」


「そうだね、リン。クールに行くよ!」


 空気の流れが変わった。照り付ける太陽から投げ出されたナイフは、降り頻る雨を物ともせずにライトグリーンの曲線を描いてターゲットへと接近する。


「来るぞ!」


「わかってる」


 いくら魔法をその身に纏わせても、投げられた小刀が無機質である限り動きは常に一定。軌道を読んでタイミングを合わせて刀を振るえば攻撃を弾き返すことは容易い。


 角度に速さを、研ぎ澄ました感覚で計算する。弾き出した答えに導かれるように、一歩踏み出すと、直人は刀を横へ薙いだ。軌道の読みは的中し、刀と小刀が激突する。しかし、その小刀が手元で少し伸びた。


「!!」


 反射神経が働き、致命傷は避けたものの肩口にちぎれるような痛みが生じる。その方を見れば肩から漆黒に塗られた柄が生えていた。


(……どういうことだ?)  


「……まだ」


 続けての投擲。肩からナイフを抜こうとするも、間に合わずにいったん後ろへ跳んで距離を取る。スピードはあるが、十分に避けられるはずの距離。にも関わらず、ナイフの刃先がぐん、と伸びて瞳の中に突き刺さろうとしてくる。


「くっ……!」


 軌道はわずかに逸れて濡れた地面へと垂直に刺さった。が、少しでも逃げるのが遅ければ、少しでも距離が短ければ綺麗に眼球を貫通していた。


(一体、何が起こっている?)


「まだまだ! リン! 行けー!!」


 考える隙も与えてくれない、か―。


 大きく後ろへ避けると、直人は縦横に走り始めた。予想を超えて懐に飛び込んでくる攻撃を避けるには、十二分に距離を取って逃げ続けるしかない。


「……っつ!」


 雨でずぶ濡れになった敷石に足を取られる。どんなに短い時間でも、動かなくなった標的は格好の餌食になってしまう。


「あぶねぇ!!」


 有門からの重いタックルで体が横へと突き飛ばされる。崩れる前に態勢を整えると、直人はもう一度上空へと跳び上がった。赤色を帯びた短刀がちょうど今居た場所に刺さり、石が焦げていく。まともに喰らっていたならば、裂傷と火傷のダブルパンチで動きが鈍くなってしまっていたかもしれない。そうなれば、戦いは不利になる。


(考えなければいけない。逃げ回っていても勝てない)


 着地と同時に狙いすまされた短刀飛び道具が足元へと飛び掛かる。雷を纏ったそのダガーは直人の左掌を突き破っていく。


「おまっ! 何を!!」


 血が飛び散る。歯を食いしばりながらも前を見据えると、ニヤニヤとひどく歪んだ猫のような顔が目に入った。その横では、もうすでに次の攻撃のモーションが始まっている。


「間に合わなかった――だが」


 考えろ。頭を回せ。勝つための方策を。


「足はまだ動く」


 西條凛の透き通るような真っ白な手から、ダガーが射出される。青色を纏った、水の魔法がかけられたダガーだ。


(エンチャント……か)


『魔法は武器に付与することもできるんですよ。エンチャント、ですね。魔法だけならマルチソーサリーの瑠那にはまるで敵わない。 しかし、エンチャントを上手く利用すれば、同格に並ぶことだってできるんですよ。要はお金の使い方次第で強くなることができる。それが、このゲームの醍醐味です』


 前にあいつ・・・はそう言っていた。それですずが選んだのが弓と炎の魔法を組み合わせて「ソーサリーファイター」の二つ名を獲得した。


 直人は、最大限後ろへと跳躍した。これならば次の攻撃まで少し時間が稼げる。身体を動かす度に掌の痛みが増すのが気にくわないが。


「有門優。エンチャントスキルを使うためには、二つ名が必要だったはずだな」


「意図がよくわからねぇが、そうだぜ! 松嶋の上級魔法なら『ソーサリーファイター』が、初級魔法レベルなら『マジカルファイター』の二つ名を獲得しなければならねぇ」


(やはり。それなら西條凛は、マジカルファイター。それも5属性のどれかをあの短刀に付与することができる)


 再びの投擲。今度は土の魔法がかけられた黄色の短刀だった。這うように地面スレスレを飛ぶ刃は、やはり途中で急にスピードを上げる。


(5属性のどの魔法でもスピードを上げることなんてできないはず。だとしたら──)


『私達2人なら絶対に負けない』


(そうか。そういうことか)


「エンチャントしているのは、加速の魔法だ」


「ラピダだって? そうか、ダガーにラピダを付与することで、急にスピードが上がっているのか!」


「……いや、それだけじゃないか。おそらくは、ラピダとマルラピダ両方――」


「パーフェクト!!!」


 突き刺さる五月雨のような攻撃が止んだ。物部芽衣がはしゃいだ声を上げて屋根から飛び降りる。5mはあろうかという高さだが、減速マルラピダの魔法を自身に掛けて落下スピードを殺すことで難なく着地した。


「いや~剣を振るうことしかできないバカなんじゃないかと思ってたけど、ちゃんと頭も回るんだね! 隣の筋肉ダルマと違って」


「なんだと! てめぇ!!」


「安い挑発だ。受け流せ。今、お前が戦闘不能に陥ればこちらに勝ち目はなくなる」


 有門は出掛かった言葉を呑み込むと、目を丸くして直人を見る。涼しい顔はまるで視線に気づく風もなく、敵方へと向けられていた。真っ直ぐに。


「なんだ、ちょっと感動するじゃん! 男の友情ってやつ? それとも――」


 物部芽衣の瞳が怪しく光った。


「もしかして、殺されることを予想しているのかな?」


 嘲るような笑顔で首を傾げる少女の横に、片手に短刀をぶら下げた西條凛がピクニックでもするような軽やかな足取りで降りてきた。


 いつの間にか、直人の頭上は魔法が発動する前のように晴れ渡り、川向いの遠く赤茶色の時計台まで連続した景色が広がる。視認はできないが、ギターを鳴らす美歌がこっちを見ている気がした。


「どういうことだよ、直人!」


「どうもこうも。片手を潰してしまったんだ。刀は振るえない。それに、2人の攻撃の仕組みがわかったところで俺一人では対処できない」


 短刀が突き刺さったままの右手をだらりと下げる。血が滴り落ちていく。すでにもう、手先の感覚がなくなってきていた。


「カッコいいじゃん! あんたのそういうところ嫌いじゃないよ! 侍さん」


「……メイ、違う」


「そうだね! そっちの筋肉ダルマはまだわかっていないようだから言っておくけど、侍さんはこの攻撃を避けることはできないんだ。うーん、違うな。避けることはできるけど、避け続けることは不可能。受け止めることも反撃することもできないからね」


 猫のような瞳が嬉しそうに細まる。新しく知った知識をひけらかしたくてたまらない子どものようだった。


「侍さんはね、剣を持ったら超強い! 舞い散る小さな粉雪にターゲットを合わせることができるくらいね。だけど、強すぎるから体が勝手に判断しちゃうんだよ。この攻撃はね、そこを突いたんだ。速すぎる判断能力は、投げられたナイフがどのくらいのスピードで到達するのか瞬時に計算しちゃうから、急に動きが変わると混乱してしまう。強すぎるゆえの弱点ってやつだね!」


 褒めているのか、けなしているのか。ただ一定「強い」と認めてくれていることだけは確かなようだ。「要はお金の使い方」という言葉がまた直人の頭をもたげる。


「だけど、何か策はあるんだろ! お前は! なんもないでただ強がっているやつじゃねぇだろ!!」


「もちろんある。単純な理屈だ。俺が囮になって、あんたが倒すんだ。この2人を」


「いや、お前、何言って――」


「だから言っただろう。お前が戦闘不能になったら困るんだ。勝機がまるでなくなるからな。だが、俺がお前の盾になれば、攻撃の隙をついて攻撃に転じることができる。メイかリン、どちらか1人を倒せばもう勝負は決まる。違うか?」


 「もう、それしか選択肢は残っていない」とすでに直人は決意を固めていた。まだ糸のプレイヤーの顔すら拝んでいないのだから、ここで負けるわけにはいかない、と。


 今のところ苦戦しているのはここだけで、美歌も川を挟んで右手を攻めている月守も安定している。ここで2人組を食い止め、倒すことができれば本命と戦うことができる。あくまでもギルドとして、だが。


 仲間の返事を聞いている状況ではない。動き出せば流れるままに戦うしかなくなるだろう。俺が、この足を前に動かせば。すっかり水気の引いた石畳の地面を踏みしめて、直人は一歩踏み出した。


 柔らかな音を奏でる美歌のギターの音色が耳に飛び込んできた。急に目の前が流水に染まった。半透明の深い青色の壁一面に、空色と白の泡が入り混じっていた。


トンドログローブ雷槍!!」


 槍の形状をした雷が直人と西條凛の前に落とされる。床石が削られ噴き出すように破片が飛び散っていく。


「はっきり言うわ。車田直人。その考えは間違っている!」


 よく通る瑠那の声には、強い意志が宿っているように聞こえた。

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