「……あんたがなんでここにいる。誰が、美歌を守っているんだ」
まるで波の中にいるようだった。テレビカメラが歪んだように、後ろから走り寄ってくる金髪碧眼の整った顔が揺れる。予想外の展開になっているにも関わらず、ずっと流れている滑らかなレガートの演奏が、耳から離れてくれなかった。
「……これは、この現象は、美歌が?」
「そうよ!」
息を切らしながらも声を張り上げると、瑠那は続けて魔法を2つ唱えた。火焔が沸き上がり、竜巻が突き上がる。攻撃しようとしたリンとメイの視界を奪ったのだ。
「その魔法はね、あんたを守る水の檻。あんたが自分を犠牲にしようなんて、馬鹿なことをしないように、あんたを守るための檻なのよ」
垂直に切り立った水面に汚れ一つついていない顔が近づく。口元は微笑んでいるが、見つめる瞳は揺れてはいない。
「聞いたわよ。前回の戦いであんたが犠牲になって美歌ちゃんを助けたって。でも、美歌ちゃんは誰かを犠牲にしてまで助かりたいなんて絶対に思わない。そんなことで助かっても美歌ちゃんは傷付くだけなの。なんでか知ってる?」
即答することはできなかった。瑠那の話の最中に直人の頭を支配していたのは、レッドカーペットの上に溢した美歌の涙だったから。
「それはね、美歌ちゃんがアイドルだから。誰かの哀しみを包み込んで、誰かの勇気を奮い立たせる。そのために、そのためだけに美歌ちゃんは音を奏でるの」
直人を覆う半透明の水がさざめくように揺れ動く。涼しげで優しげなギターの音色がその水を通して体の内部へと浸透してくるようだった。あるいは、直人の身体を構成する水が美歌の創り出した水に共鳴しているとでも言えたかもしれない。
「だから、あんたのその考えは間違っている。あんたが自らを犠牲にしようとするなら、美歌ちゃんはきっと目の前に敵がいようとあんたを守ろうとする。……そう、だからあんたは美歌ちゃんの元へ行って。美歌ちゃんの魔法で少しは傷も癒えたでしょう?」
言われて掌を見る。開いた傷が塞がり、突き刺さったままだった短刀が抜けてポトッと落ちた。肩の傷も同じように消えていく。
「回復魔法だったのか。これが」
「そう。回復魔法を受けるのは初めて?」
「……ああ」
戻った手指の感覚を確かめるように拳を握る。冷たい水のはずなのに、それはどこか暖かかった。
「わかった。美歌の元へ戻る、だが」
「ふふ。こっちは心配しないで、これでも有門は強いんだから。美歌ちゃんのところにもすずちゃんがいるから大丈夫と思うけど、あんたが戻れば、美歌ちゃんも敵に集中できると思うから」
「ああ──承知した」
すでに遠くに視線と思考を移した直人を見て、瑠那は一つ笑顔をつくると身を翻した。有門が困ったように頭を掻いていた。
「ボーッとしてないで体勢整えて! あんたが前衛にいないと戦えないんだから!」
*
──もう一度戦う。そう決めた。なのに揺らいでしまうのはなぜだろう。
矢を持つ手が震えていた。どうしても、震えを止めることはできなかった。矢の先にいる敵の影に、すずがずっと追いかけてきた背中が重なる。
(どうしたらいいの?)
「ちょっと言ってくる!」と駆け出していった瑠那に強制的に任される形で、すずは一人で襲い来る敵の牙から美歌を守らなければいけなくなった。
配信をするかどうか、すずはダンジョンに入ってからも悩んでいたが、今のこの状況では悠長に配信している場合じゃない、とエレクトフォンはポケットの中にしまい込んでいた。
ドラゴンといい、水の檻といい、美歌は直人のいる左ばかりを気にしていた。モンスターの群れは、川を挟んで街中を覆っているため、本来なら範囲攻撃である美歌の魔法は全域に満遍なく「落とす」のが効率的なのだろうが。
「! このっ!」
一心不乱に演奏を続ける美歌に飛び掛かってきたのは死角から現れた一匹の狼。黄ばんだ牙から滴り落ちる涎が落ちる前に、充血した赤い眼を射抜くと、狼はそのまま川底へと沈んでいった。
「美歌ちゃん!」
声は十分聞こえるはずの距離だ。それでも美歌の耳には全く聞こえていなかった。
(ダメだ。とにかく、今は集中しないと)
火のドラゴンが出現した際に川沿いのモンスターは一度はキレイに殲滅された。ただ、残りのモンスターがジリジリと音に惹かれるように美歌の元へと集まってくる。一体一体確実に仕留めてはいても、敵の数は尽きることがない。
矢をつがえ、耳の後ろまで思いきり引く。そして、射出。耳を飾る赤いピアスが左右に揺れた。
『早射』
弓技の第2段階『早射』は、素早く敵を射ることができる。それでも基本的には弓は遠距離からの攻撃に適した武器のため、対象が近くなれば次の矢が間に合わなくなる弱点を持っていた。
「
矢が追いつかなければ魔法でカバーする。掲げた掌から放出された熱線が上空から飛び降りてきた赤狼の胴体を貫いた。
射程距離内に敵の気配が無くなったところで、すずは額から吹き出た汗を拭った。
もう息が上がってしまっている。元々、体力に自信があるわけではなかった。念願だった浦高に入学が決まってからも、体力の無さは顕著で、目立つフロントに立つために、離されまいと必死になってみんなに付いていく日々だった。
(昔と何も変わらない。私はずっとずっと追いかけてばかりだ)
小さい頃からずっと目の前には大きな背中があった。ピンと張ったその背中を、追いかけてさえいればどこにでも行けると思っていた。
「一緒にアイドルを目指そうって言ったくせに」
自分の発した声で我に返る。戦闘中だという事実を忘れてしまっていた。心を
(間に合わ──いや、間に合わせる!)