目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第88話 魔物使い

「耳障りな音だ」


 ピアノの音を、硬い金属を重ね合わせた音が掻き消した。キンキンと跳ねる音が、石畳の上を素早く動き回る2つの影に飛んでいく。


『秘技・鶴返し』


『秘技・隼』


 地面スレスレを走り来る2種の斬撃をターゲットにして、直人は斜めに刀を走らせる。衝突音が破裂して空中に漂う風を切り裂いていった。


 上空には鳥が羽ばたき、陽の光を浴びて目標めがけて滑空する。


 足元が大きく揺れた。短時間、人によっては反応できないほどの極めて短い揺れは、地面が強く踏まれたがために生じた揺れだった。


 ターゲットは宙を舞うと、矢を叩き割り、距離を置いた。


「あーもう! 何あの気持ち悪い動き!」


「独特な動きをする。近接攻撃には違わないが、ファイターやフェンサーの動きとは違う」


 純粋な玉鋼の刀を一振すると、直人は集中を途切れさせないように短く息を吐いてすずに同調した。


 2人だけで戦うのは初めてだったが、まるきり連携ができないわけでもない。利害の一致で一時的に行動を共にしていただけとはいえ、元々はチームなのだ。


「じゃあ、なんなのあれは? 動きが読めなさすぎて全然矢が届かない!」


「……わからない」


 その腕の先には通常の手の代わりに牙が取り付けられていた。というよりも獣の口と言った方がいいか。ガチガチと鳴らす口が開けば上の牙と下の牙には何もない洞穴のような空洞が広がっているばかり。


 それが、生きているかのように動くのだから、あながちすずが「気持ち悪い」というのも言い過ぎというわけではない。


「わからないって! 対策の立てようがないじゃん! 刀技オンリーとは言っても、私よりは前衛系のスキルには詳しいでしょ?」


「剣に刀、斧に槍、棒──あらゆる武器種に技が設定されている。だが、あくまでもこれらは人が持つ武器だ。あれは……どう見ても武器の範囲を越えているだろう」


 もはや身体の一部になっているのだから。想定される人の動きとは違う動きが生まれる。そう、まるでモンスターのそれのように。


「待て、モンスターか」


「何か思い付いたの!?」


「……ああ」


 互いに睨み合う両者の間を柔風が通り過ぎていく。前髪が巻き上げられた隙に静謐な高音が額を撫でていった。水滴が頭に当たった。


(変わった音だ。だが、なぜか心地がいい)


 直人は刀を黒塗りの鞘に戻すと、腰を低く屈めた。いつでも抜刀できるように菱形模様の柄頭に右手を添えたまま。 


 このゲームにおいて剣と刀の違いはいくつかあるが、最も大きな相違点は鞘を用いた攻撃方法にあった。


 日本刀を鞘に収めた状態から一気に引き抜くことで攻撃に転じる。居合術、抜刀術と呼ばれる技が、刀だけに用意されていた。その一つが三技のうちの最後の技である「居合い抜き」。そして三技を習得し、いくつかの秘技を使いこなせる者だけが会得することのできる「奥義」の欄にもまた抜刀術が配置されていた。


「決心は決まったのかい? また無惨にも切り刻まれる決心は」


「決まっている。お前を斬り伏せる決心ならば」


 嬉しそうに牙が鳴った。筋肉がそのときの駆動に備えて軋む。


 直人は耳を澄ませていた。抜刀術において重要なのは視覚よりも聴覚。余計な情報量が多すぎる目を頼るよりも、情報が絞れる耳に頼る方が遥かに相手の一挙一動を正確に把握することができる。だが、今に限っては理由はそれだけではない。


 滑らかな曲線を描くように高らかに音が浮遊する。一個一個の音が積み重なり、混ざり合い、空間が埋め尽くされていく。それは粒子のように。全てを繋ぎ合わせようとしていた。


(もう、わかってるよ)


 鼓動が速くなる。静止した筋肉が動き出し、剥き出しの牙が今一度、噛み合わさる。


『龍一閃』


 鞘から弾かれるように引き抜かれた刀は、銀白色の眩い光そのままに一直線に駆け抜けた。牙を持つ獣が宙を舞う。


ファジュログローブ熱線!」


 止めと言わんばかりに後ろからすずのレーザービームが突き刺さる。二重の攻撃が腕に装着された牙を破壊し、その身を焦がした。


 それでも、物部大地は倒れなかった。かわいいと形容できる丸顔に、妹と同じ、いやそれ以上に不気味な笑みと冷たい瞳が宿る。


「いやーなかなかなるほど強いんだね。魔法も使わないで人間でも、モンスターより速いスピードになれるとは驚いたよ。ハティじゃなくてガーゴイルの方がよかったかな?」


 刀を正眼に構えると、弾んだ息を整えながら直人はこれまでの物部大地の言動を振り返っていた。


 ──『そう、牙だよ。ハティのね。知らない?』『ハティはね、だいたいいつも群れで行動するんだ。スコルっていう色ちがいの赤い毛の子もいて、連携プレイを得意とする』──モンスターに詳しすぎる説明にモンスターのような攻撃方法。


「そうか……あんたは──」


「そう。僕は魔物使い。クラスで言えば、『ファーマー』だよ。どんなモンスターでも手懐けて仲間にすることができる。君ならその意味がわかるよね?」


 物部大地は、傷口が大きく開いた右腕を天に向かって掲げた。どこからともなく現れた赤い糸がその手に繋がる。まるで、蟲が放出した触手のように。


「紅い糸!?」


「いったん引かせてもらうよ。さすがに分が悪そうだ。だけど気をつけた方がいい。この世界は君達が思っているほど、優しい世界じゃないから」


「待って!」


 引き止めようと走り寄るすずを無視するように、糸は地上を猛スピードで離れていく。煌めく星ほどの速さで消えていく糸の主の名をすずは何度も何度も叫んだ。


 何も言葉を掛けられないままに佇む直人の足元に突如地響きが鳴り響く。降り頻る雨足を飛散させるような獰猛な唸り声が、街中に一斉に響き渡った。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?