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第79話 Dragon Cry

 ルティが自己治療をしなかったのには理由があった。

 回復魔術を使いながらでは、他の魔術を使うことができないのだ。

 液体魔力エリクシルリキッドを使用し、簡単な操作で半自動的に展開する治療キットが実用化されてはいるが、それは高い需要によって研究が進んだためであり、決して回復魔術が簡単ということではない。

 マニュアルで使用すれば数十秒はかかりきりになる。仮にも肉体を直接いじる術なので、ミスで術が変質してしまえば自殺に繋がりかねない。ヒューガはおそらく勘違いしているが、詠唱をいったん止めて現状維持、というわけにはいかないのだ。

 そして、その数十秒間に敵が近づいてくる可能性があるのなら、応戦を優先しなければならない。

 腹部に穴は開いているが、放っておいてもあとしばらくは死なないだろう。その「しばらく」が10分か、15分か、あるいは一時間なのかは自分では判断できなかったが、なんにしろ「数十秒」のうちではない。

 ならば回復は始めるべきではない。ルティはそう判断していた。


 そして。

 ヘルブレイズを天高く転位テレポートさせたことで、ルティは少なくともヒューガとヘルブレイズを今、この瞬間の死から救うことに成功した。

(ひとまず勝利条件達成……いや、敗北条件の回避成功、というべきかしら)

 ヘルブレイズはまだ動けない。

 だが、あとほんのわずかな時間があれば、その最悪の状況はクリアされる。

 動き出せさえすればヘルブレイズは強い。

 ヘルブレイズの性能以上に、ヒューガ、ないしリューガの戦闘勘をルティは信用している。

 上空に向けて、位置調整を放棄してヘルブレイズがどれだけ遠くまで行ったかは読めないが、少なくとも眼前の敵機はすぐに破壊できない程度には離れたはずだった。

 あとは。

「……あとは、こっちの問題、ね」

 失われ続ける自らの血液と生気に震えながら、ルティは自分を見下ろす新型機を睨み上げる。

 もう一度転位魔術テレポートを使うのはもう無理だ。

 本来、ルティの魔力でなら一日に三回までは転位魔術テレポートが使える。

 しかし、鋼像機ヴァンガード転位魔術テレポートさせるには少し大きすぎた。適正範囲を超えた物体を飛ばすため、魔力をだいぶ割増しで消費したのだ。

(あーもう……本当にこういう帳尻合わない計算嫌い)

 確実に破綻すると分かった上で、モアベターを探すしかない問題。ルティはそういうものに無性に苛立ちを感じるタチだった。

 残った魔力は多くはない。ブルースターの直接打撃、あるいは魔力弾攻撃を防ぐ防御魔術は今から構築できるのか。

 できたとして、自分の体は、意識はあと何分保つのか。

 そして、最悪の展開は……ブルースターがルティを拘束して人質とし、死なせたくなければ降伏せよ、とヒューガに迫ることではないか。

(……私が捕まらず生き延びて、その間にヘルブレイズが起動して、ここまで来てブルースターを倒して、私を拾って、この基地を離れる。……薄々分かってたけど無理ゲーね?)

 このままブルースターが全く動かず、瀕死のルティに何もせず、ヘルブレイズの起動も黙って見過ごして、突っ立ったまま負けてくれる。

 そんなムシのいい話があるか。

 少なくともルティ側はブルースターを放置はできない。

 高空にいるヘルブレイズが動き出す前に、攻撃させるわけにはいかない。

 何かしらの行動を始める前に、ルティがこの巨人を抑える必要はある。

 この、腹に銃弾を受けた小さな体で。

(私を脅威と思わせれば手っ取り早いけど、生存確率は当然ゴリッゴリに下がる……かといって正面から対峙する以外の方法で足止めをするには、ブルースターの情報がなさすぎる……)

 どこがエンジンか。どんなフレーム形状か。どういう飛行装置か。武装は見えているだけで全てか。コクピットはどこか。

何かひとつでも確実な情報があれば、攻略のしようもあるが、何もない。

 不確定要素があまりにも多い。楽観するにはあまりにも状況が悪い。

 ……ここまでの思考をするために、半秒。


(最重要事項は、ヒューちゃんの生存)


(それ以外は努力目標。切り分けよう)


(……つまり、


 ルティはその事実を脳の奥にセットした瞬間、血の足りていなかった脳が急にはっきりしたのを感じた。


(もう私は生きなくていい)

(あと数分で、命も魔力も使い切っていい)


 ああ。

 なんということか。それなら簡単じゃないか。


(それなら──いける)


 死に恐怖なんてものは元々なかった。それはもう、はるか昔にどこかに置いてきた。

 エルフは不老とも言われるほどに若いままの種族だ。長すぎる生は喜びの色をくすませ、怒りと絶望を汚泥のように溜め込んでいく。

 未来への執着は、とうにない。

 今まで生きていたのは、進んで死んでやるほどの義理がなかっただけだ。


「……さあて、覚悟できてんでしょうねえ……鋼像機ヴァンガードのことなら世界一知ってる大賢者様に喧嘩売るんだからさあ!!」

 ルティは歯を剥き出して、リューガさながらの獰猛な表情で、巨人に挑みかかった。


       ◇◇◇


 まるで誰かが投げた人形のように、ヘルブレイズは墜ちる。

 力の入らない四肢は風圧でだらしなく広がり、翼は風を掴むことなく無力に押し流される。

 その形状が起こす不規則な回転に揉まれながら、ヒューガは苦労してシートベルトを身に巻きつけ、体を固定する。

 ハッチは油圧で自動的に閉まった。自動的に起動し、回転する空を映す外部モニターにはあえて目を向けず、メインシステム起動完了のサインを求めて、システムモニターだけをヒューガは睨みつける。

 ……そして。


 ついに、ヘルブレイズが目覚めた。


「ルティィィィィィィィイイイ!!!」


 すぐさまヒューガはヘルブレイズの体勢を立て直し、真っ逆さまに地上を目指して加速降下パワーダイブする。

 地上にそのまま激突したっていい。ヘルブレイズはそれができる鋼像機ヴァンガードだ。

 一瞬でも早く。早く。

 流星のように落ちるヘルブレイズのカメラに、基地の全体像が映る。

 大量にいたはずのダイアウルフは、その多くが破壊されている。

(ブルースター、いくら新型とはいえ、この短時間にそれほどの……いや)

 ヒューガは、気づいた。


 1


(そうだ……ヘルブレイズに匹敵するだけの性能で、しかも属人性を排してるとか言ってた……! つまり、何機も作れるんだ!)

 改めて機影を確認。

 真上からの映像だ。人型の機体が直立しているのなら、そうと判別するのは難しいが……。

 だが、すぐにわかる。彼らは隠れる気すらないのだ。

 3機いる。

 1機はおそらく最初から会議場への乱入を第一目的にしたのだろう。未だにそこにいる。

 他の2機は暴挙を止めようとするダイアウルフを蹴散らしに回っていたか。そこにヒューガたちの確保あるいは殺害を命令され、1機が矛先を変えてきたのだろう。

 その1機は……屋根のない格納庫で、バックパックに接続された魔導砲を使って足元にいる何かを攻撃しようとして……何かに殴られたように数歩下がる。

 ルティが戦っている。まだ生きている。

 ヒューガはその事実に歓喜し、さらに加速しようとした。

 だが、一瞬では辿り着けない。あと数秒。

 それだけあれば、ブルースターなんて吹き飛ばして、ルティを回収できる。

 ヒューガは力の限り操縦桿を押し込んで、それを目指した。


 しかし。

 その数秒は、あまりにも長くて。


 もう少し、あと少し。

 膝を折りそうになりながら、手をブルースターに差し伸ばしているルティが、不意に空を見る。

 飛来するヘルブレイズの雄姿を見て、ああ、と声が聞こえるような微笑みを確かに浮かべる。


 そして、それは蒼い爆発の中に消えた。


「ルティーーーーーー!!!!」


 絶叫しながらヒューガは操縦桿を引き、撃ったブルースターを重力と加速の乗った拳と膝で叩き潰す。

 ルティを撃ったために反応できなかったのだろう。拍子抜けするほどあっさりと、そのブルースターは大破した。

「ルティ! ルティ! ルティ!!」

 叫びながらヒューガはルティが数瞬前までいたあたりをカメラで捉える。

 ルティなら生きていてもおかしくない。だってルティだ。だらしない女だが天才だ。大賢者だ。300年以上生きている希少なエルフだ。

 死ぬはずがないのだ。

 死んでいいはずがないのだ。

 自分に言い聞かせるようにしながら目を凝らすも、そこにはもう何もない。

 あるはずもない。


 あの巨大なタイプソリッドを一方的に破壊した魔導砲だ。

 床材も地盤も抉り取り、格納庫の名残すら残さず吹き飛ばし、そこにあるのはクレーターとしか言いようのない半球状の破壊痕だけ。

 何かあったとしても、残るわけがない。

「嘘……だよ、な? ルティが……そんな、こんな……こんな風に死ぬようなタマなわけ……」

 可能性があるはずだ。生きているはずだ。生きていていいはずだ。

 ヒューガは現実を受け入れられずに、操縦桿から手を離し、頭を抱え、意味のない絶叫を上げる。

「ああああああああああああああ!!!」


 そして、そんなヘルブレイズを認識したブルースターの残り2機が、静かに彼の背後に揃った。

 ヒューガはもう現実を見ていない。

 今度こそ、何の救いもない。失ってはならないものを失ったショックで、自壊しかけている。


 だから。


[Transform READY.]


 だから、それは起きたのかもしれない。


[Accepted.]


 操縦桿も、変形レバーも、ヒューガはもう触っていない。

 だというのに、それらはひとりでに動いた。

 ゆっくりとブルースター2機に向き直りながら、赤黒いオーラを漂わせて、黒い巨人は機械竜へと姿を変える。


 竜貌の瞳は、血涙を流すようにドロリとした魔力の線を空間に引き。


 人の手による操縦を離れ、機械竜は声にならない咆哮を上げて、牙と翼を開いた。

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