急に空気が変わって、ヒューガは一旦強く閉じた目を開く。
ルティを抱きしめたまま
すぐ近くにいた警備の兵士が、突然現れたヒューガとルティの姿に面食らい、慌てて銃を向けてくる。
さすがに拳銃ではなく小銃だ。威力は比べ物にならない。竜化したヒューガでも無傷とはいかないだろう。
ヒューガは慌てて逃げ出す。一対一なら身体能力差で強引に倒すこともできるが、こういった軍事施設の警備がポツンと一人のわけがない。近くに必ずペアがいる。
重傷のルティを抱えたままで、その両方とやりあうのは無理だ。
今は少しでもいい、ルティを介抱する時間が欲しい。
「ヒューちゃん……すぐ、ヘルブレイズに乗って……!」
「無理言うなよ! さっきの格納庫までここから500メートルはあるぞ!」
「急いで……あいつらからしたら、邪魔なのはヘルブレイズだけ……! 早く動かさないと……! 助かるには、あれでそのまま逃げるしか……!」
「くそっ……揺れても文句言うなよ!」
基地の構内図はうろ覚えだ。しかし、空中移動で入ったために位置関係だけは覚えている。
今、追ってきているはずの兵士から不審者の情報は回るだろう。素直に駆け抜けようとすれば途中で邪魔が入る。
せめて会議場に突入したブルースターの方に気づいてもっと動揺してくれていればいいのだが、と思いながら、ヒューガは全力で走る。
ドラゴニュート形態でこうまで本気を出して走ったことはないが、足腰も
しかし、やはり途中で兵士たちが立ちふさがり、膝立ちで銃を構えてきた。
「!」
立ったままなら威嚇かもしれないが、いきなり
撃たれる。
(構うな!)
(ルティに当たったら終わりだぞ!?)
(コケ脅しのタネはある!)
リューガは脳内でそう言った直後、一瞬だけその肉体から魔力を放散させる。
瞬間的に爆炎のようなオーラが広がり、数十メートル先の兵士たちのところまで勢いよく伸びる。
(おいっ!? ルティまで傷ついたらどうする!!)
(コケ脅しじゃと言うとろうが! 本国でダラダラしとる連中ならビビるはずじゃ!)
実際は多少温度感が変わる程度で、殺傷能力はないオーラ放射。
しかしそれでも魔法現象自体に慣れていない兵士たちには充分気味が悪いはずだ。
ヒューガは生体兵器としては欠陥品。
この魔力を繊細かつ高速で扱うセンスがあれば、ルティやツバサに匹敵する魔術師にもなれるのかもしれないが、実際はそんな能力はない。本当にただ、モンスターと同じように全身から噴出させるのがせいぜいだ。
しかし、それでも。
兵士たちにしてみれば、異様なトカゲ人間が禍々しいオーラを放ちながら疾走してくるという悪夢の光景だった。
たとえあのラルフ・ロフス・バルドに何か言い含められているにしろ、
ヒューガは一目散に駆け、手を広げて止めようとする軍人は肩で吹き飛ばして進む。
もはやとっくに人間の体型ではない。急速に発達した肩は顕著に膨れ上がり、今や本気で殴れば熊でも牛でも殺せるだろう。
職務に忠実なだけの無関係の軍人である可能性もチラリと考えたが、もはや構っている暇はない。
ルティが死に瀕しているのだ。「事情を知らない」というだけの相手に遠慮する余裕などなかった。
断続的に魔力を噴射し、まるで煙幕のように使いながら格納庫に駆け込む。
「ルティ! ひとまず手当てだ! どうすればいい!」
「……早く、コクピットに……私の治療は、あとでいいから……」
「いいわけないだろ! 死ぬぞ!」
「……ヘルブレイズはシステム落としちゃってるから、起動に最低でも二分……その間にブルースターに攻撃されたら、終わりよ……」
「……っ、もう機体を囮にして俺たちだけ逃げるか……!?」
「そんなの許すわけないでしょ、アイツが……ヘルブレイズさえいなければ、もう敵ナシなんだから……本国のどこに隠れようと、探して殺しに来るわよ……っ」
「なんなんだよ……なんなんだよアイツは……!!」
ラルフ・ロフス・バルド。
昨日評議員になったばかりという以外、何もわからない、ただいけ好かない若い男。
何故、ただ呼ばれて顔を出しただけの自分たちが。あんな奴に殺されなくてはならないのだ。
「バルドっていうのは……バルディッシュ皇帝の子孫よ……ホント、嫌な想像だけしっかり当たってくれちゃって……」
「!?」
「つまりは……仕組まれてたのよ……! クーデターのついでに
クーデターが早ければヘルブレイズは来ない。敵対してからヘルブレイズに動く時間を与えれば、彼らに不利な展開はいくらでも有り得るだろう。
ヘルブレイズを倒してからクーデターというのも面倒は多い。
クーデターというのは一気に急所を食い取らなくてはならないものだ。軍部内の有力者が各地に分散してしまえば、その制圧に無駄な時間を食うことになる。
下級士官たちへの多少の根回しとブルースターの超戦闘力をもって、一発で全てを押さえ込む。
そのためにはこのタイミングしかない。
「とにかく早くコクピットに上がって……! ヘルブレイズに火を入れないと、どっちにしろ死ぬのよ……」
「くっ……!」
ヒューガは昇降用ゴンドラに飛び乗る。
だが、スイッチをいくら押しても動かない。
「嘘だろっ!?」
施設電源を切られたか。
基地中枢を握られているのなら、それも簡単なことだった。しかし今だけは動いて欲しかった。
ヘルブレイズの装甲をよじ登ってハッチを開けるとなれば、両手足を使わなければならない。
ルティを抱えたままでは無理がある。ルティを地面に置いたままそんなことをしたくなかった。
「おいルティ、コクピットに
「そんな細かい調整は無理ー……これぐらいの距離でも
「なんで
1メートル以内というなら賭けようがあるが、数メートルも外すとなれば最悪、機体に手も引っかからない場所に出て終わる。ただでさえ恐ろしく燃費の悪い魔術を、そのために無駄遣いさせるわけにもいかない。
「もういい、自分の治療魔術やっててくれ! ヘルブレイズはすぐに起動してやる!」
ルティを地面に降ろし、ヒューガはヘルブレイズの装甲に飛びつく。
20メートルの巨人の胸元まで上がるには、かなりのクライミングが必要になる。
一応、そういう場合を考慮した装甲形状をしているが、それでもハシゴを単純に上るのとはわけが違う。
焦るほどに手がかり探しに手間取る。
ゴンドラならスイッチを入れて30秒もあれば飛び込めたはずのコクピットに、三倍は時間をかけてようやくたどり着く。
「起きろっ! 早く!!」
殴りつけるように起動スイッチを入れて、システムがノロノロと各種チェックを始めるのを睨みつける。
早く。早く。
すぐにでもバルド側の兵士が入ってくるかもしれない。ブルースターが飛来するかもしれない。
地面に転がっているルティは腹に穴が開いているのだ。もう一発でも撃たれれば避けようもない。
そんなことになったら、ルティを助けるためにコクピットから飛び降りるしかないが、それからまたコクピットに上がるために時間をかけるのも致命傷になり得る。
あまりにももどかしい。意味がないと知りながら、ヒューガは操縦桿をガチャガチャと揺らす。
「ルティ! お前空飛ぶ魔術とか使えないのか!? それで上って来れば……ルティ!?」
ハッチから身を乗り出してルティを見下ろせば、自己治療をしているはずのルティは全くその様子もなく、ただぐったりとしていた。
(くそ……喋っているだけで限界だったんじゃ! 魔術は集中力が要る、激痛の中で使うのは無理なんじゃ!)
(さっき
(それだけの大魔術使ったからこそ、今限界なんじゃろうに!)
(このコクピットに治療キットないか!? すぐに持って降りれば)
(そんなもん入れるスペースがどこにあるっちゅーんじゃ! 物入れなんぞ全部追加レバーのために取っ外しとるわ!)
とにかく、ルティを救うにはヘルブレイズで彼女を拾い、コクピットに入れるしかない。
わかりきっていたことだ。しかしヒューガはそれで落ち着けるはずもなく、歯を食いしばって操縦桿を揺すり続け、ヘルブレイズが一瞬でも早く動くことを願う。
……だが。
「あーあ。……年貢の納め時、かしらねー……」
ルティは耳をピクンと動かして、億劫そうに身を起こし。
地面に血の跡を残しながら、身構える。
その直後。
格納庫の上半分を吹き飛ばし、悪夢の新型が現れる。
「クソがっっ!!」
ヒューガは画面のシステム起動ログを睨み、吠える。
あと20秒。20秒あれば、ヘルブレイズは動き出せるのに。
ルティはその足元で、ブルースターを見上げて。
「ナメんな、小僧共……!! 人間共!! そう何度も……好きに、させるかぁっ!!」
叫び、手を天に突きあげて。
ヘルブレイズに魔術をかける。
数分前と同じ感覚を味わい、ヒューガはハッとする。
ハッチの外には青空。
モニターを見回し、現在の位置の手掛かりを探す。
間違いない。
最後の20秒のために。自らを残し、ヘルブレイズとヒューガだけが飛ばされた。
現在位置、上空3000メートル。
「ルティーッッ!!!」
ヒューガは絶叫した。