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第73話

 大丈夫ですか、と声をかけようとしたが、ずっと無言で登っている後ろ姿を見ていると、なんだか声をかけづらい。


 崖を登り切って振り返ると、明るい空が広がっていた。山の中はずっと薄暗かったので、少し眩しく感じる。


「わあっ。見て下さい、御澄宮司! やっぱり景色が良いですね!」


「そうですね……」


 僕は、ぐるりと周囲を見まわした。木々が生い茂っているので、地面はほとんど見えない。


 僕たちが来た方向、左側を向くと、遠くに総合公園が見えた。木が全くない場所は、おそらく広場だ。アスレチック場らしきものもある。動いている小さな虫のようなものは人間だと思う。


 そして正面を向くと、随分と先の方に町があった。あれは、移動している時に通った町だ。


 振り向いて遠くを眺める。すると、海が見えた。


「御澄宮司、海がありますよ。ほら、向こうに」


 僕が指差すと、御澄宮司も海がある方へ身体を向けた。


「やはり海が……。あの辺りにも、子供たちに憑いていたものと、同じ霊気が漂っているのでしょうね」


「こうやって見ると、かなり範囲が広いですね。霊力を持っている人間じゃないと、気付けないことだとは思うんですけど、こんなにも穢れた場所があるのに、どうして誰も気付かなかったんでしょうか」


「総合公園は、最近できたと言っていましたよね。長い峠道を登って辿り着きましたし、以前は人が入ってくるような場所ではなかったんだと思うんですよ。だから誰も近付くことはなく、被害が出ずに済んでいたのに、最近になって広い総合公園ができてしまった。そのせいで子供たちが、霊気に憑かれてしまうことになったのでしょう」


「なるほど……。でも、子供たちを喜ばせるために作った場所で、子供たちが悪い霊気に取り憑かれてしまうなんて……なんか、うまくいかないものですね」


「公園を作る前には、ちゃんと調査が行われたはずですが、霊力を持った調査員がいなければ、霊気に気付けませんからねぇ。作ってしまったことはまぁ……仕方がないかと」


「そうですけど……」


 子供たちのことを考えると文句を言いたくなるが、作った人たちは全く知らなかったことなのだから、責めるのもおかしい気がする。


 ——うーん。なんだかなぁ……。


 モヤモヤとした気持ちで、まだ見ていない、総合公園とは逆の方向へ目をやる。


 すると、今いる崖よりも高い山が目に入った。


 そんなに遠い場所ではない。

 その向こう側には町がある。

 あの町は、おそらく古寺や美奈の家がある町だ。


「……あの高い山って、古寺と総合公園の、ちょうど真ん中にあるんですね……」


 僕が呟くと、御澄宮司が前へ出て来た。山を、じっと見つめているようだ。


 その時——。


 ひゅうっ、と音を立てて、高い山の方から風が吹いて来た。風が吹く度に木々が揺れて、風と一緒に木の葉がこちらの方向へ飛んで来ているのが見える。


「あの風に乗って、霊気がこっちへ流れて来ているんだとしたら……」


「私も、それを考えていました。山の周りは平地に見えますし、山から吹き下ろした風に乗って来たのだとすれば、洞窟はあの辺りにあるのかも知れませんね」


 御澄宮司が指差した場所は、山の手前だ。そして右側には、川があるのが見える。美奈に憑いている男が、その反対側から歩いて行ったのなら、川に辿り着く前に、洞窟に落ちたということだ。


 ——それなら、川があることに気付かなかったのも分かるな。


「一ノ瀬さん、行ってみましょう」

「はい」


 僕たちは崖を下りて、高い山がある方へ向かった——。




 しばらく歩くと、地面の上に飛び出している木の根が、一気に多くなった。巨大な蛇の背がいくつもあるようで、歩きづらい。


 まるで山が意思を持っていて、僕たちの行く手を阻んでいるかのようだ。


 鬱蒼とした山の中は、風がほとんど吹かないせいか湿気が多く、涼しいはずなのに、歩いていると汗が滲んでくる。


 なんとなく樹海が脳裏に浮かんで、携帯電話の画面を見ると、圏外になっていた。


 ——本当に樹海みたいだ。出られなくなったらどうしよう……。


 あまり良いイメージがないので、電波の状況を確認したことを後悔した。


「もうすぐ、高い山の麓に着きますね」


 御澄宮司の声で顔を上げると、先の方が暗くなっているのが視えた。古寺の裏山と同じだ。


「あぁ……。やっぱり、黒いですね……」


 嫌な記憶がよみがえる。ここにも、あの目しか視えない黒い影がいるのだろうか。それとも、子供たちに憑いていた白い手の方だろうか。


 思い出すと、吐き気を催してくる。


「一ノ瀬さん。札は手に持っていて下さいね」


「もう握ってます……」


「そうですか。それなら良いのですが」


 何が良いのか、全く分からない。古寺の裏山では、札を握っていても、恐ろしい目に遭ったのだから。


 無意識に、呪具の数珠をつけている左手に力が入った。


 ——ん? いつもより、数珠があったかいような……。


 霊力を込めると反応する数珠は、いつもはほんのりと温かくなる程度だ。しかし今は、はっきりと温度を感じるくらい、温かい。


 ——あ、そうか。紅凛ちゃんが霊力を込めてくれたから、こんなに温かいんだ。やっぱり、紅凛ちゃんはすごいなぁ……。


 紅凛は幼くても、大きな組織のトップである御澄宮司が認めるほどの力を持っているのだ。やはり僕なんかの弱々しい霊力とは、全く違う。


 ——嫌だなぁ。行きたくないなぁ……。


 よくない霊気のせいで暗くなっている空間の前で、大きく息を吸うと、前を歩く御澄宮司も、深いため息をついたのが分かった。


 二人同時に、今までよりも暗い空間に足を踏み入れる。すると——。




 ねっとりとした粘り気のあるものが、全身に纏わりついて来たように感じた。


 重いものに上から押しつぶされているような圧迫感のせいで、呼吸もしづらい。

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