玉串を下ろした紅凛が、ふぅっと息を吐くと、部屋中を舞っていた金色の小さな光の粒は、消えて行った。
「蒼汰くん、大丈夫? 泣きそうな顔してる」
「あ、ごめん……。うん、大丈夫だよ」
「蒼汰くんは霊気を取り込んで、記憶を視ちゃうから、しょうがないよ。あの人と、お話をしたんでしょう?」
——分かるんだ……。すごいな、紅凛ちゃんは。
「うん。あの人は美奈さんのことを大事に想っていたから、このままじゃ美奈さんが死んでしまうって言ったら、離れることを選んでくれたんだ」
「そっか。私も祓うのは好きじゃないし、成仏してくれて良かったね」
「うん。ありがとう、手伝ってくれて」
「良いよ! また一緒にお仕事しようね!」
紅凛は首を少し横に傾けて、にっこりと微笑んだ。
——本当に、ありがとう。
霊媒師になる気はないけれど、いつか紅凛が困るような事態が起こった時は、手を貸してあげたい。
「二人とも、お疲れ様でした」
満面の笑みを浮かべた御澄宮司が、部屋の中に入って来た。そういえば彼は、どこにいたのだろうか。
「ねぇ、何してたの? 蒼汰くんが追いかけられてたんだけど!」
紅凛が、上司のはずの御澄宮司を睨みつける。
「私はまた逃げられないように、結界を張っていたのですが、なにか」
「そのまま、こっちに追い込んで来たら良かったじゃない!」
「それができなかったから、一ノ瀬さんにお任せしたのですが?」
「蒼汰くんは私より大きくても弱いんだから、可哀想でしょ!」
——あ、そんな風に思われてたんだ……。
本当のことだが、八歳の子に言われるのはつらい。
「大丈夫だよ、蒼汰くん。私が守ってあげるからね!」
「あ、うん……。ありがとう……」
紅凛は「ふんっ」と鼻を鳴らして、御澄宮司に玉串を押し付ける。御澄宮司の眉間には皺が寄っているが、何も言わなかったので、言い合いにはならなかった。
——まぁ御澄宮司の方が大人だし、ね。
僕の前まで来た紅凛は、巫女装束の袖から、白い札を取り出した。札には、漢字にも絵にも見えるような、読めない文字が書いてある。いつも見る御澄宮司の魔除けの札よりも、随分と歪な文字なので、紅凛が作った札なのだろう。
彼女が腕を大きく振り上げると、札はパリパリッ、と音を立てながら波打つように動く。
「全部終わったから、祓ってあげるねっ!」
そう言いながら紅凛が、僕の胸に札を、バシッと叩きつけた。
「ぐっ……! ゲホッ、ゲホッゲホッ!」
「どお? スッキリしたでしょう?」
満面の笑みを浮かべられては、もう何も言えない。本当は札を叩きつけられた部分が、ズキズキと痛むが——。
「う、うん……。さすがだね、紅凛ちゃん。ありがと、うっ……ケホッ」
「いつでも祓ってあげるから、言ってねっ!」
「頼りに、してる……」
「んふふっ」
紅凛は満足げな表情をして、何度も頷いた。
「あ、そうだ。美奈さんは——」
僕がそう呟くと御澄宮司は、ベッドに横たわっている美奈さんを覗き込んだ。
「気を失っているようですが、霊気は残っていないので、もう大丈夫でしょう。でも、身体はだいぶ弱っていますね。もしかしたら入院することになるかも知れません」
「そうですか、なんとか間に合って良かった。ただ……美奈さんが目覚めた時のことを考えると、少し心配になります……。さっき暴れていたのは霊気のせいではなくて、美奈さんの意思だと思うんですよね。目覚めた時には、少しは気持ちが落ち着いていると良いんですけど……」
「まぁ、我々の仕事はここまでです。冷たいようですが、立ち直れるかどうかは、彼女次第ですよ」
「……はい」
儀式の後片付けは、神社の人たちが行うと聞いた。御澄宮司と紅凛はそれが当たり前のように、何もせずにスタスタと玄関に向かって歩いて行く。
やはり紅凛は御澄宮司と同じように、特別な待遇になっているようだ。まだ八歳なのに、それを受け入れている紅凛は、本当にすごいと思う。周りは大人ばかりなのに、よくあんなに堂々としていられるものだ。すぐに怯えたり、他人に気を遣ってしまう僕とは、全然違う。
『蒼汰くんは私より大きくても弱いんだから、可哀想でしょ!』
紅凛の言う通り、僕より紅凛の方が、ずっと立派な大人に見える。
——紅凛ちゃんや御澄宮司みたいに、桁違いにすごい人とは、比べようとも思わないけど……。でも僕も、もう少し、しっかりしないとな。
美奈が目覚めるのを待たずに、僕たちは山里家を後にした。
1ヶ月後——。
退院した美奈から、男がいた洞窟に連れて行ってほしい、という依頼があったそうだ。美奈は毎日のように通っていたが、山の中を歩いている時の記憶は曖昧だと聞いた。
御澄宮司は一応、道を覚えているつもりだが怪しい。ということで、僕も同行することになった。