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警察と医者

 永良は小さな公園に立っていた。キィキィと音を鳴らしてブランコが揺れていた。


「どうして?」


 五歳ほどの女の子が彼に話しかける。


「えっと……どういうことかな?」


 なるたけ優しい声を作って応えた。


「どうして、助けてくれなかったの?」


 その子の首が、突如として現れた四つ腕の悪霊によって引き抜かれる。


「お前のせいだ」


 何の変哲もない女子高生が詰る。


「お前のせいだ」


 看護婦が詰る。


「お前のせいだ」


 パン屋の店員が詰る。


「お前のせいだ」


 頭蓋骨の中身を空にされた誰かが詰る。


「やめてくれ……」


 呻く。


「やめてくれ!」


 そう叫んだ時、覚醒した。少し散らかった部屋に差し込んでくる月光。青いタオルケットは、エアコンから出る風で冷えている。やけに冴えた意識で枕元のスマートフォンの電源を点ける。時刻は午前四時。


(俺だって、頑張ってるよ)


 自己擁護も嫌悪に塗れて消える。何かできたはず、と思う度に自分ではどうしようもなかった、と言い訳をする。震える手で携帯を置き、トイレに向かう。


 リョウの部屋の前を通る。光は漏れていない。


 供華は脱走した。衰弱してこそいたが、十分に動ける体力を残していた彼は、三人ほどの一般警察官を殺害して咲と合流、姿を消した。その原因となったのは、歪火の想定を超える成長。小路曰く、糸を引いている黒幕がいるということだが、それを語る顔はあまりに暗く、そして疑念に満ちたものだった。


 SMTに入ってから、永良も少し四条事件について勉強した。二十年前、四条蓮が百体近い悪霊を以て抹香町を襲い、二百人ほどが犠牲となった事件。その最前線に立ち、蓮を殺したのが小路だった。少し奇妙な点がある。小路は蓮の最期を自殺だと言っていた。しかし、インターネットにある情報では小路が殺害したことになっている。


 その矛盾が何を意味するのか、と問おうとして何度もやめた。頭がいい自覚はないが、踏み込めば徒に心の傷を抉るように思えたからだ。その判断はきっと正しいのだと思う。


 眠る気にもなれなくて、着替えた彼はつっかけを履いて外に出た。明るくなり始めた青黒い空に、雲が流れている。風が強い。イヤホンを取ってくればよかった、と後悔しながら誰もいない、死んだような街を歩く。


 ランニングをする女性とすれ違った。会釈。


「おい」


 と背中から来る、聞き慣れた声。


「杉林」

「殊勝なことだな、朝から散歩か」


 京助は白いランニングシャツを着ていた。


「嫌な夢、見てさ」


 明るさも元気さもない声音を聞いて、彼は一つ溜息。


「このまま朝飯に行くぞ。奢ってやる」

「いいって」

「辛気臭い面を見せられる身にもなってみろ。こっちまで暗くなる」

「悪かったな」


 永良に口を尖らせるような余裕はなかった。


「何が食いたい」

「別に」

「全く……」


 走り出した京助を追って、永良も自然と足を速めていた。


 入ったのは二十四時間営業のファミリーレストラン。客も少なく、閑散としていた。適当に選んだ卓には、『いらっしゃいませ』と表示している小さな魔導紙が置かれていた。


「モーニングのハンバーグプレートと……豚汁定食、玉子焼きで。あとドリンクバー二人分」


 京助が注文する。


「勝手に頼むなよ」

「腹が減っている時と、寒い時。それが、人間がネガティブになるタイミングだ。何に悩んでいるかは知らないが、まずは食え」


 二人は飲み物を取りに席を立つ。テーブルに置かれた魔導紙の表示が『お食事中』に変わっていた。


「お前、朝から甘いの行けるタイプなんだな」


 メロンソーダを注ぐ京助に向かって、紅茶を注ぎながら永良が言った。


「逆に、お前が紅茶飲める口だとは思っていなかった。ガキ舌だと」

「最後のは余計だコラ」


 料理が来ると、何故だか永良の瞳から涙が零れた。それを隠すように手を付ける。五分ほどで完食した彼は、ぽつりと、


「……救えなかった」


 と零した。


「たくさんの人が死んだ。俺の目の前で。どうすれば、よかったんだろうな」

「……魔術法では、何の被害も齎さない霊を祓うのは違法となっている。それが人間にとって益のあるものである可能性が存在するからだ。そして、悪霊とわかっても魔術教育を受けていない人間が中途半端な祓魔を行えば魔力の拡散を招くから、それも違法だ。つまり、俺たちは出動した時点で手遅れなんだ。全てを救うなんてことはできない」

「長えよ」

「すまない」


 思った以上に真面目な返答を受けて、彼は少し笑みを見せた。


「医者と同じだ。病気にならないように色々と情報を発信するが、結局は病気になってしまった人間を助けるために動く。助けられる確率を上げるために、早く病院に来るよう伝える。そういうことだ」

「お前ってわかりやすい話できるんだな」

「……俺、そんなに難しいことばっかり言っているのか?」

「さあ。俺馬鹿だからさ、わかんねえことばっかりだ」


 そう言いながらも、彼の泪は止まらない。


「共感はできる。俺とて命が散る様を見て気分がよくなるわけじゃない。だがな、進んでいくしかないんだ。立ち止まれば、それだけ救えない命が増える。だから、前に向かうことで全てとはいかなくとも手の届く範囲の人を救うんだ」


 手の届く範囲。決して体の大きくない永良にとって、それは小さいものだ。


「忘れろとは言わない。それでも進め。一人でも多く助けるために」

「……ありがとよ。なんか楽になったよ」


 陰のある微笑みを見せて、すぐに俯く。


「小鳥遊、お前、白鳥に惚れてるだろ」


 唐突な話題の転換についていけず、永良は少し戸惑って返答ができなかった。


「……悪いかよ」

「護衛対象だということを忘れるな、と言いたいんだ。私情を持ち込みすぎると辛いだけだぞ」

「辛いって、何が」

「任務に失敗した場合だ」

「この話終わり! じゃ、俺は帰るぜ」


 強引に会話を打ち切り、彼はレストランを後にする。風花は守る。守らなければ、ならない。





 魔術師が銃を使わない理由は、その構造の複雑さにある。魔力を伝達させて弾丸の威力を増す時、複数のパーツを通る過程で必ず少なからぬロスが生じる。従って、刀剣類が主要な武器となるのだ。


 例外は小路。魔力消費を増大させるルールによって、直接触れなければならない加速の魔導式を、銃身の中の弾丸に適用している。


 だが、だからといって無敵超人になれるわけではない。事実、歪火のような並外れた身体強度を持つ相手には、マッハ五の弾丸もあまり役に立たなかった。


(PDWではなく、アサルトカービンを使うべきか?)


 PDW──個人防衛火器。第二次魔導大戦の後、大国の影響力が弱まり、対テロ戦争が主軸となる中、狭所での取り回しの良さと制圧力を両立した火器が求められるようになった。結果生まれたのがPersonal Defence Weaponである。小路の持っているものはドイツで設計され、日本でライセンス生産されている機種だ。


 アサルトカービンを使えば、弾丸の威力も増す。だが、近接戦闘が軸になる以上、やはりカービンと雖も大きすぎるのではないか、という思いもある。


 隊長室の高い椅子に沈みながら、色々と思案した。結論としては、現状維持。使い込んだ銃をテーブルの上に置き、眼を閉じる。


 永良に対して向けた、死に慣れろという言葉がそのまま返ってくる。好きだった漫画が打ち切りになり、ニュースで戦争が始まったことを知り、フライパンに肉がこびりつく。そういう小さなことの一つ一つを経て成長したのだと思っていた。だが、床を埋め尽くさんばかりの子供の死体を見た時、とても冷静ではいられなかった。


(俺も本質的には、永良と同じなんだな)


 死を一つの事象として淡々と観測することができない、若さ。まだそれが内側に眠っていたことの良し悪しは、彼には判断しかねた。それを噛み締めながら、目薬を差した。女性の写真は相変わらず置かれている。


「ノックノックモシモ~シ」


 扉を叩く音と共に、そんな声が聞こえてきた。


「入れ」


 眠そうな顔の乙素が入ってきた。


「郭から報告書を預かってきたぜ」

「読んだか?」


 と問いながら小路は小さなメモリを受け取る。それを机の上のタブレット端末に差し込んだ。


「複数の魂が併存することによる人格面の汚染は皆無、ってところかな。そっちはそっちで魂の出所は見当ついてんだろ?」


 乙素が応接椅子にどかりと座る。


「永良と面談をした。そこで浮かび上がったのは、木田壮士という少年だ。永良の親友だったそうだ。それが死に際にヴィジョンを授けた……そこで魂ごと移ったのではないか、という仮説が立てられる。それも限りなく一つの魂に近い形で」

「何の拒絶反応も起こらなかった理由は?」

「無二の親友であるが故に、無意識下でその存在を受け入れた、と推測している。……これは永良にも言っていないのだが、彼に何らかの魔導式が眠っている可能性がある」


 それを聞いた乙素は、ぴくりと耳を動かした。


「紋を二つ持ってる、ってことか」

「ああ。イレギュラーだ。可能な限り目に魔力を集めて魂を観察した結果、それらしきものを発見した」

「どんな式だ」

「さあな」


 がっくりと彼は肩を落とす。


「ちったあ繕えよ」

「わからんものはわからん。だが、潜在能力が目覚めれば、これ以上ない戦力になるかもしれないと踏んでいる」

「問題はどうやって覚醒させるか、だな」

「ああ。何かこう……ギリギリに立たされた時に力を得るかもしれない」

「根拠は?」

「勘だ」


 鼻で笑った乙素が立ち上がる。


「んじゃ、俺は帰るよ。若草買うの忘れんなよ」


 バタム、と閉じた扉を見送って、小路は僅かな微笑みを浮かべる。今日ばかりは、平和だった。

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