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ワンフレーズ

「最近多いな」


 討伐を終えた昴は、その厳つい面構えに似合わずイチゴミルクを食堂で飲んでいた。テーブルの向かいにいるのは、亜麻色の髪をオールバックにした若い女。内石うちいしかえでだ。


「しかも段々強くなってる。怖いですねぇ」


 楓の方はロイヤルミルクティーを手に持って、テレビを眺めている。


「一般職員の間で噂が流れていてな」


 昴の発言に、彼女は顔の向きを変える。


「四条蓮が帰ってきたのではないか、と」

「まさか。そんな堂々と活動しませんよ」


 彼女はプラスチックのカップを傾けた。


「もし帰ってくるにしても、もっと慎重にやります」

「慎重?」

「ええ。こんな分かりやすく悪霊を出して、本気なわけないですよ。これは偶々人の悪感情が溜まってるだけ。最近不景気じゃないですか」


 甘い液体を喉に流し込み、昴は少し苦い顔をした。


「私があの子なら……いきなり三桁の悪霊を放ちます。飽和攻撃ですよ。こちらの処理能力を超えた量を放てば、必ず民間人に被害が出る。簡単な話です」

「なるほど。一理あるな。だが、それは彼奴の目的を無差別殺人としていることが前提になる。それ以外の、例えば──」





 所は変わって、地上。無慈悲な陽光が陽炎を生み出す中、小路は一人の女性と道を歩いていた。背丈は百五十センチほど。緩くカールがかかったセミロングだ。


「変わりないか?」


 彼女の名前は椿つばきかなえ。色々あって、SMTの監視下にある。十七歳。


「うん。小路さんも元気?」

「『さん』付けはやめてくれって言ってるだろう」

「ふふ、冗談だよ。行こっ、映画見るんでしょ?」


 彼女は小路の手を取り走り出す。


「まだ早いぞ、二時間ある」

「ならその分長くいようよ。小路くん、どこ行きたい?」

「どこ、と言われても……」


 答えに悩むその黒い目を、彼女はじっと見つめていた。


「じゃあさ、買い物行こうよ。アクセサリー見たいんだ」

「わかった。君の言うことは絶対だからな」

「悪霊の子、だから?」


 悪霊と人間の間に生まれた、莫大な魔力の持ち主。それが叶だ。飽くまで普通の人間として過ごすことを望む彼女のために、SMTはこうして警護の人間をつけている。小路は、偶々恋に落ちただけだ。


「関係ないさ。君だから、君の望むように生きてほしいと思っている」

「ありがとね。そういうところ、好きだよ」


 固まった彼の胸を、叶は叩く。柔らかい表情を前に、彼は静かに頷いた。


 抹香町にもショッピングモールはある。人口四万人に満たない土地ではあるが、歴史あるこの町に拘る人間も少なくない。そんな人々の需要に答えるために、アオンモールは存在する。


 二階に上がるエスカレーターで、きつく握られた手の体温を小路は感じていた。


「私ね、小路くんに会えてよかった、って心から思ってる」

「急だな」

「だって、一緒にいてくれる人がいないと寂しいじゃん。厳密には人間じゃないけど……小路くんは私を一人の人間として見てくれる。だからさ、ずっと一緒にいてよ。どんな形でも」

「ずっと、か。手は尽くす」


 破顔した恋人を愛おしく思い、強く握り返す。


「でも、小路くん進学しないもんね」


 アクセサリーショップでウィンドウショッピングが始まる。


「任務を熟しながら受験勉強をするのは無理だからな。仕方のないことだ」

「あーあ、急に魔力がなくならないかなあ」

「そしたら護衛任務も終わってしまうぞ」

「任務なんてなくても会ってくれるでしょ?」


 二、三度彼は頷いた。


「そうだな。きっとそうだ」


 夕方。ありふれた感動的なストーリーの映画も終わり、強すぎる西日に二人は目を眩まされた。


「エリちゃん……」


 だが、叶は泣いていた。はっきり言って理解しかねるというのが小路の感想だが、それを取り繕う社会性はある。


「食べて帰るか?」

「うん、そうする」


 漫画もゲームも映画も、それなりに楽しんできた自覚が彼にはある。故に、これ見よがしに涙を誘うようなものはあまり受け付けなかった。


 ファミリーレストランに入る。そう待つこともなく案内された。


「……やっぱり、まだ吹っ切れない?」


 メロンソーダを口に運んだ彼女は、ゆっくりとそう問うた。


「何がだ」

「四条君のこと」

「……吹っ切れる、というのがどういうことなのかはわからない。ただ、あいつが帰ってきた時、親友として責任を取らなければならないと思ってる」

「責任?」


 小路は一口水を飲む。


「あいつは、どこかで俺に対しても一線を引いていたんだろう。だから、他人への信用のようなものをなくした時、俺に相談もしてくれなかった。もっと信頼を勝ち取れていれば、俺が繋ぎとめることも出来たのかもしれない……たらればだ。下らない、たられば」

「ましかばまし、だね。反実仮想」

「……実を言うとな、SMT内部で、あいつが帰ってきたかもしれない、という噂が流れているんだ」

「だったら、ちゃんと話がしたいな」

「話、か」


 夕立がやってきた。


「俺も、話したい。一方的に別れを告げられたのは、納得がいかない。腹を割って、全てを曝け出し合いたい」

「でも、殺しちゃうんでしょ」

「……そうだ。あいつの精神回路を無力化することはできない……その場で処刑する」

「そんなの、おかしいよ。ちゃんと裁判しなきゃ」

「魔術法に示されている。罪を犯した魔術師は、精神回路をズタズタに引き裂かれるか、殺害されるかの二択だ。前者は二度と魔術を扱えなくなるが、強い魔術師になればなるほど難しくなる。だから、基本的に後者なんだ」


 叶はそっと外を見る。襲い来る驟雨が、町を覆い隠していく。


「四条君は、何がしたいんだろう」

「過去を消す、と言っていた。抹香町に帰る時は、全てが終わるとも。上層部は大量の悪霊による無差別殺人だと見ている」

「違うよ」


 俯き気味だった小路は、恋人の一声で顔を上げた。


「君は、小路くんはどう思ってるの?」


 面食らって、暫く黙ってしまう。


「……あいつは、俺たちを殺したいんだと思う。あいつの過去を知る全ての人間を殺そうというのなら……俺たち抹香町のSMTを壊滅させなければ、絶対にそれは達成できない」

「だから、戦う?」

「ああ。戦う。そうでなければ、俺は俺でなくなってしまう」


 ハンバーグプレートが運ばれてくる。


「一つ、提案があるんだ」


 小路は料理に手を付ける前に口を開いた。


「君が専門学校を卒業したら……結婚しないか」

「気が早いよ。もう少し考えさせて」


 笑って応じる彼女だが、本心が見抜けないことに彼は隔靴掻痒の思いをする。


「でも、前向きに検討するね。私、君なら……」


 続く言葉を期待して、彼は酷く緊張してしまった。


「なーんてね。焦る男は嫌われるよ」

「全く、揶揄うな……」

「もし、その時まで一緒にいられたなら、改めて言ってよ。それなら考える」

「長生きしなければならないな」


 一級悪霊の単独討伐を成し遂げて、彼はそれなりに自信がついた。そうそう自分は死なないだろう、という確信なのか希望なのか判然としないもので心を満たしながら、ゆっくりと食事を進めた。


「ごちそうさま!」


 小路の奢り。そこに抵抗はなかった。雨も去って、僅かな陽光が差し込んでくる。


「じゃあ、帰るとするか」

「よろしくね」


 叶に対して悪意のある者を寄せ付けない結界が張られた家まで連れ添うのだ。そんな結界があるならそれで日本を覆ってしまえばいい、と彼女は言ったことがある。それに対して小路は、人は少なからぬ悪意を持った存在であり、特定個人に対するものに限定しなければ誰もこの世にいられなくなってしまう上、その個人を指定する結界は対象が増えれば指数関数的に必要な魔力が増える、と説明した。


 閑静な住宅街に入る。夕日も沈みそうな、赤い光の中を歩く。そこで照らされた者の人相に、小路は絶句した。目の前にいるのは、線の細い、真っ赤な目をした長身の男。


「蓮……?」

「よう、小路」

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