「よう、小路」
長身痩躯、真っ赤な瞳。小路は、間違いなく目の前の人物を四条蓮と認識していた。
「何をしに来た」
浅くなる息と揺れる眼で彼は問う。
「この町を終わらせに来た」
「……そうか」
二人は手を叩く。小路の手に剣鉈、蓮の手に刀だ。
「お前は、ここで殺す」
同時に地面を蹴った親友同士は、無情にも斬り結んでしまった。
「酷いだろ、数か月ぶりの再会で言うことがそれかよ!」
「殺す前に聞いてやる。俺がいれば、お前はSMTを離れなかったか?」
「鏖殺はしなかったかもしれねえ。だが、いずれこうなってたさ。俺にはわかる」
「……なら、なら、俺もお前を否定する」
村の人間を虐殺し、方々の親戚を皆殺しにした。それを必然と語るのであれば、小路は、せめて自分の手で葬ってやることしかないと判断したのだ。
「だが、今日の目的はお前じゃねえ!」
左手で彼の襟を掴んだ蓮は、勢いよく投げた。
「刔爪!」
現れたワイバーンの腕が、叶の両脚を奪う。
「貴様ァァ!」
空中で自身に加速を掛けた小路が突っ込む。カン、カンと激しく打ち合いながら恋人に近づいていく。蓮は大きく飛び退き、左手を相手に向けた。
「炎番・二ノ番!」
顔ほどもある炎の矢が小路を襲う。が、容易く躱され、すぐに近接の間合いとなる。彼は剣を絡め取り、上に弾き飛ばした。
「吹き飛べ!」
左拳を敵の腹にめり込ませ、加速。一瞬にして彼方へ消え去る──と思われた蓮は、すぐさま大翼天を生成して方向転換した。
小路は銃を抜き、弾丸をばら撒く。それら全てが四級にも満たない小型の悪霊を用いた弾幕に掻き消される。
(近接しかないか!)
悪霊を生成する余裕を与えない猛攻こそが勝ち筋。そう判断した彼は跳んだ。加速を乗せて、鉈を投擲。ゴミのような悪霊を切り裂きながら飛翔したそれは、蓮の頭上三センチの所を過ぎて行った。ワン・クラップ。鉈は彼の手に戻る。
少し落ちた体を再加速させようとした時、無数の蠅めいた悪霊が津波のように襲い来る。肉体にダメージが入ることはない。しかし、視界を塞がれたほんの僅かな間に、蓮は叶の傍に立っていた。
「触れるな!」
着地した小路の叫びも空しく、蓮のヴィジョンがその頭に触れる。
「小路くん、助け──」
彼女の口から、青白く、尾を引く球体が出てきた。魂だ。それをヴィジョンは腹に納めた。
「クク……ハハ、ハハハ!」
叶はもう動かない。痙攣すらも起こさない。虚ろな瞳孔、開いたままの口。
「ありがとよ、これで俺は過去を完全に消し去れる」
「何が目的だ!」
「教えるわけねえだろ。ま、ここでお前を消せなかったことは残念だが……どうにでもなる。あばよ」
蓮がのっぺらぼうのような仮面を着ければ、小路から彼は認識できなくなった。大翼天の飛翔する風だけを感じる。
「叶、叶!」
呼びかけても反応はない。千切れた脚から流れる真っ赤な血が、彼の心にナイフを刺す。体の力が抜ける。震える指が、そっと彼女の頬を撫でる。
簡単な話だった。叶の持つ魔力のことを知っている蓮が、彼女を狙わない理由はなかった。そこに思考が至らない──いや、あり得ないということにして目を逸らし自分の心を守っていた愚かさに、彼は涙する。目の前の物言わぬ躯に涙する。
「小路!」
駆けつけた鏡磨に、彼はぐちゃぐちゃになった顔を向けた。
「鏡磨、叶が、叶が殺された」
「誰に!?」
「蓮だ。帰ってきた。あいつは、叶の魂を持っていったんだ」
「そんな……」
彼女は同僚の手を握って引き上げる。
「蓮はどこ」
「認識阻害を使って逃げた。もう、俺たちには認識できない」
俯いたまま固まった彼の肩を、鏡磨は叩いた。
「しっかりしなさい。あの子の魂を手に入れたってことは、何か行動を起こすつもりよ」
「……そうだな。これが終わりである筈がない」
夕陽に、雲がかかった。
◆
「まあ、随分と……」
ポニーテールの女が、会議室でそう言った。
「それ、何を根拠に策定したんです?」
彼女は続けて尋ねた、その名前は
「彼奴の目的がSMTを叩くことと仮定した場合に、どのような行動をとるかというシミュレーションを行った。その結果だ」
昴は淡々と語る。
「だが、関係各所への通達と、それに伴う諸々のロスを含めて最低でも一週間は必要になる。それまでに彼奴が動けば……」
集められた抹香町小隊の面々は唾を飲んだ。
「厳戒態勢だ。オウル部隊もフル稼働させている。一人の死者も出してはならない。いいな!」
「了解!」
皆一斉に叫んだ。
「マジだと思う?」
ブリーフィングを終えて、自動販売機の横にあるベンチに座った小路に、ミサが話しかけた。
「マジでしょう。あいつが過去を消すなら、俺を、そしてSMTを殺さない理由はない。それだけです」
「ウチは前線に立てるわけじゃないからアレだけど……四条くんは隊長に任せなよ。辛いでしょ」
「だからこそ、俺がやります。あいつを止めるのは、俺じゃなきゃいけないんです」
甘ったるい缶コーヒーを飲みながら、彼女は少し考える。
「……ウチは、多分民間人の保護の任務に回る。晴香ちゃんと一緒にね」
「晴香は──まだ、精神面が未熟ですよ」
「人手が足りない。治安出動も検討されてるくらい。それでも、国防軍から何人魔術師が送られるかわからないんだ」
「青井さん、晴香を頼みます」
小路の瞳は相手を見ていない。組んだ指を見つめていた。
「あれは、まだ死ぬべきじゃない」
「……任された。民間人を守りながら援護までできるかはわからないけどね」
今の彼は、あっという間に十年老けたような顔をしていた。眼に光はなく、眉間には皺が寄っている。それでも進まなければならないと、己を叱咤し続けている。
「無理はするべきじゃない。キミも、生きるんだよ」
空き缶をゴミ箱に入れて、ミサは去った。ただ一人、彼はひたすらに視線を落とし続ける。涙は枯れた。白目は赤くなり、指先は小さく震えている。時刻は午後八時。この世の全てが崩壊し、足を置くところがなくなったような心持だ。立ち上がる気力も湧かない。
小路の生い立ちは、それなりに暗いものだった。母親が妊娠している間に父親が不倫、出産直後に離婚した。女手一つで育ててくれた母も、彼が中学生の時に強姦され精神を病んだ。生まれ持った紋を見抜かれて魔術科に入れなければ、人生は詰んでいただろう、と彼は思っている。
故に、蓮との出会いがなければ荒んでいた。魔術を制御しきれずに家族を皆殺しにした蓮と小路は、心の傷を舐め合うように距離を近づけていった。
(結局、俺はあいつにとって何だったんだろうな)
親友などという言葉も、今では一つの諧謔でしかない。蓄積した闇を消し去る手伝いもできず、苦しんだ時に救いを求められることもなかった。そんな人間が、どうして親友を名乗れようか。
「風呂に入れ」
鬱屈とした感情に沈み始めた彼に投げかけられる、低い声。顔を上げれば、昴がいた。百九十センチにも及ぶ浴衣姿の巨体から、フローラルな匂いが漂ってくる。
「そういう気分でないんです」
「だからこそ入れ。震えているぞ」
彼は再び下を見る。
「別れは、誰にでも訪れるものだ。俺も同級生を一人失った。こんな仕事だ、ありふれている。だがな、お前はまだ立ち止まるつもりはないんだろう?」
「……ええ。ここで進むことを放棄すれば、叶が化けて出ます」
「なら、小さい前進を積み重ねろ。風呂に入るのはその一つだ」
カランコロンと下駄を鳴らした昴が、曲がり角に消えた。小さい前進。立ち止まらない。そのために、彼は腰を上げた。