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開幕

 小路の鉈が、立った蛞蝓のような悪霊の中程を断つ。魔力を纏った重い刃によって致命傷を負ったそれは、灰となって消えた。


「こちら小路。祓魔完了」


 インカム型の無線機を通じて報告する。


「魔力反応の消失を確認。帰投しろ」


 昴の指示を受け、黒い結界から出た彼はパトカーの後部座席に入った。


「間さん、もう慣れたものですね」


 運転手の若い男が言った。


「そうだな」


 いつ蓮が仕掛けるか、ということを常に考えている小路の返事は、暗いものだった。あれから二日。動きは察知できていない。


 ヴィジョンを使わない祓魔。単純な紋を強化するためにヴィジョンを使わない選択をした彼は、魔力を纏った斬撃や、一般/上級魔術を軸に戦うしかなかった。


 幸い人並み以上の魔力を有していた彼にそれは難しいことではないが、悪霊の垂れ流す体液が手にこびりついてしまわないか、という恐れが付きまとう。


「小路、次だ」


 車両の無線機。


「二級相当の悪霊が出てきた。晴香を先に向かわせている。共同して当たれ」

「了解」


 自分を当てるということは、自信をつけさせるための踏み台にせよということだと彼は解釈した。ならば、主役は晴香だ。


 現場まではおよそ五分。サイレンを鳴らしながらかっ飛ばしていたために、到着は晴香と同時だった。


「センパイと一緒に戦えるなんて、私幸せ者ですね!」


 車から降りるなり、彼女は燥いでそう言った。


「敵を見ろ」


 相手は錆びたプレートアーマーを纏ったような男。背丈は百八十センチほどだ。右手には刃毀れしたクレイモアが握られ、左手にはカイトシールドだ。足元では一人の女性が胴体を真っ二つにされて死んでいた。


風鎖かざくさり!」


 彼女の右手から、半透明の鎖が現れる。片方の端は手の中に、もう片方は槍のように尖っていた。それを回転させ、投げ放つ。物理法則を無視した勢いで飛んで行ったその穂先は、盾に突き刺さった。


 悪霊は雄叫びを上げながら晴香に向かって走り出す。長い剣の一閃をバク転で躱した彼女の次の一撃は、鞭のようにしならせた鎖で頭を打つことだった。


 だが、鎧越しにダメージを与えるには至らない。


「出力を上げろ!」


 小路が声を発する。


天裂雷鳴あまさきらいめい!」


 彼はその勢いで雷の上級魔術アッパー・マジックを放った。左手から飛び出した稲妻は真っ直ぐに突き進み、兜に穴を開けた。


「そこ!」


 そうやってできた急所に、晴香の鎖が飛び込む。ぐちゃり、という気色悪い音と共に刺さったそれを、悪霊は盾を捨てて掴む。ガァァッ、と悲鳴なのか掛け声なのかわからないものを吐き出しながら剛腕が振るわれると、晴香の小さな体は宙に舞った。


「センパァイ!」


 銃で腕を落とそうと小路は考えるが、あまりに激しく動き回る鋼のかいなを撃ち抜くことは、そこに繋がっている後輩を殺すリスクが大きすぎる行為だ。


 地面を踏みしめる。身体強化に上乗せしての加速で、跳ぶ。斬れなかった。だが、衝撃を与えて晴香を手放させることには成功した。


 自由になった彼女は鎖を引き抜き、今度は首に回した。


「このまま──」


 絞め殺す。その一心で、蜷局のように巻き付いた鎖をきつくしていく。


「無理だ!」


 その前に着地した小路。相手の強度が明らかに一級相当であることに苛立ちながら、頭を回す。


「鎧を削っていくしかない。できるか?」

「やりますよ」

「頼もしいことだ」


 風を切って回転する鎖が、駆け出した。


「あれの鎧、一級相当の魔力で構築されている。気をつけろ、俺なら破れるが、晴香は──」

「私、強くなったんです。センパイのことしっかり援護しますよ」


 悪霊の等級は、防御と攻撃で言えば後者を重視して判定されることが多い。基準が何人殺せるか、という点であることもそれを裏付けている。しかしながら、殺傷力はn級相当でも、耐久力がn+1級相当であることもある。この騎士は、間違いなくその一例だった。そうなった時、できることは苛烈な攻撃を仕掛ける以外にない。


「稲番・二ノ番・驟!」


 小路の周りに雷の矢が無数に現れ、一斉に悪霊へと襲い掛かる。貫通力と弾速に優れる一般魔術コモン・マジック『稲番』を強化した上級魔術アッパー・マジック『二ノ番』を、同時に多数生成したのだ。


 その嵐は鎧を削り取り、内側に潜む肉を穿っていく。逃げようとした悪霊は片足を鎖で引っ張られ、派手に転んだ。


「止めを刺せ!」


 その声に応じて、晴香は鎖を何本にも分裂させ、鋭利な先端で悪霊の全身を貫いた。翠の体液を吹き出しながら、騎士は灰となって消えていく。へたり、晴香は腰を落とした。


「よくやった」


 小路の手が差し伸べられる。


「私、邪魔じゃなかったですか?」

「そんなことはない。十分やれてたさ」


 立ち上がった彼女は尻についた汚れを払う。


「こちら小路。祓いました。次の指示を」

「了解。帰投しろ。よくやったな」





「やあ、呪影じゅえい


 抹香町の外、M市の廃ビルにて。蓮は黒いスーツを着てそう言った。目の前にいるのは人を喰らっている、長い黒髪の人型だった。黒影と呼ばれたそれはヌッと立ち上がる。細い四肢は長く、頭頂高で言えば百八十五センチほどだ。


「魔力の貯蔵は十分かな?」

「ええ、幾らでも殺せます」


 赤い肌の中にある青い目を光らせながらその悪霊は宣言した。


「魔導式を持った悪霊が手早く作れればいいだけどね。今の私では、魔導式を付与するためには、追加でもう一つ魂を消費しなければならない……」


 口調も一人称も変えた。それは過去の自分を殺すため。同時に、少しでも正体が露見するのを防ぐため。仮面型の悪霊で、彼は全くの別人になり、真っ赤だった目も紫色に変わっている。


「さあ、やろうか。私の心の故郷を、徹底的に破壊する」


 彼の傍に、爛れた肌の女が現れる。その腹にぽっかりと空いた穴から、無数の悪霊が吐き出される。黒、赤、青、緑。犬めいたもの、鳥めいたもの。どれも腐ったような見た目をしていて、体の一部を欠損している。


「蓮様も、向かわれますか」

「そうだね。殺したい奴がいる」


 蓮は窓から飛び出す。ベルトに差した刀が確かにそこにあることを確認して。


「行こう、全てを覆すんだ」





 九十六体の二級悪霊、三体の一級悪霊、一体の埒外悪霊が抹香町に侵入した──その第一報が入った瞬間、SMTは出動した。国防軍への要請で五十人から成る魔術師部隊も派遣された。


「一級は小路と鏡磨、乙素で何とかしろ」


 昴からの指示を受けながら、小路は鏡磨を抱えて明るい空を飛んでいた。乙素は地下通路を通って移動中である。


「何とか、って……相手の魔導式もわからないのに⁉」

「こちらは楓と組んで埒外を相手にする。終わり次第合流するつもりだ。地下通路を通じて民間人を避難させている……それが完了するまで時間を稼げ」

「三体ですよ、三体!」


 ギャーギャーと腕の中で騒ぐ彼女は、そうしながらも魔力探知を行っていた。


「時間を稼げばいいと言っただろう。民間人が安全圏に脱した後、結界で全て閉じ込める。無人の町で少しずつ削るんだ」

「……はいはい、了解。三人で一級を抑えます」


 そこで通信は途切れた。


「見つけた、あれの魔力がでかい」

「わかった。二人で当たるか?」

「悩ましいね。三体いるなら、別れた方がいいかも……」

「そうしよう。隊長も言っていた通り、抑えればそれでいいんだ。無理はするなよ」

「リョーカイッ! 行ってくるね!」


 飛び降りた鏡磨は、空中で太刀を抜く。二級がぞろぞろと進む中、一体、巨大な車輪然とした悪霊がいる。錆びた鉄のような質感だ。


「ゴハン、ゴハン……」


 ”それ”は譫言のようにそう言いながら回転している。上部にはロケットのエンジンのようなものがついており、黒煙を断続的に吐き出していた。


「ご飯じゃなくてごめんね、祓わせてもらうよ」


 車輪のエンジンに火が点いた。瞬間的に時速三百キロまで加速したそれは、全隊員中最大の身体強化出力を持つ鏡磨と押し合った。


「パワーには……自信があるもんでね!」


 力任せに横倒しにする。空しく回り出す。そこで驚く。車輪の中には人型の悪霊がいたのだ。そこが核──と確信した彼女は刃を突き立てんとするも、黄色い防御壁に阻まれた。


「ハハーン……パワーじゃどうしようもないかも?」


 背後から忍び寄ってた二級を斬り祓う。


「ま、付き合ってあげるよ。おいで」


 一方で、小路もまた、敵と対峙していた。

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