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第零部 四条事件

二十年前

 二十年前、冬。高校卒業間近の間小路は、大学には行かずそのままSMTに加入することを選んだ。


「よっ」


 ガラケーを見ながら食堂でコーヒーを飲んでいた彼に、長身痩躯の少年が話しかける。日本人らしくない、真っ赤な瞳が目立つ。


「蓮」


 黒地に赤いラインの制服は二人に共通しているが、線の細い蓮は袖を捲っていた。彼はそのまま向かいの席に座り、携帯を取り上げる。


「誰とメールしてんだよ」

かなえだよ」

「アツいねえ」


 彼は口笛を吹いて囃し立てる。『来週なら時間がある』と答えたメールを見て、小路に返した。


「お前もSMTに入るんだろう?」


 小路が空になったコーヒーカップを見ながら問うた。


「ああ。力があるなら、それを活かさない手はないだろ」


 少し影のある笑みを浮かべながら蓮は言った。


「精霊を生み出す魔導式、か。いいよな、無限に手数がある」

「悪霊だよ、ありゃ。精霊なんて綺麗なもんじゃねえ。まともな知性なんて持ってない。俺の制御がなきゃ殺人にしか使えねえよ」


 腕を頭の後ろで組み、背凭れに体重を預けた彼は天井の灯りに手を翳した。醜いものしか産めない彼の魔導式を、彼自身忌んでいる。幾度となく濡れ衣を着せられた。悪霊を祓えばマッチポンプを疑われ、人を助ければ近づけるなと言われた。だが、小路は違う。正面から自分を評価してくれた小路を、彼はいつしか親友だと思うようになった。


「つーか、それより卒業試験の方が問題だぜ。俺、ワンチャン学科で落ちるかもしれねえんだよ」

「ああ、馬鹿だったな」

「てめっ……まあそこはいーんだよ。俺も認めてるし。なあ、勉強見てくんね?」

「嫌だね」


 顔をしわくちゃにして蓮は抗議を示す。


「俺も余裕があるわけではない。一年の乙素にでも頼め。あれは賢いぞ」

「後輩に教えを乞うくらいなら死んでやるぜ」


 そんなことを言いながら彼は携帯霊話機を取り出す。


「まだ書いてるのか?」

「おう。定年になったらケータイ小説で飯食ってくつもりだからな」

「やめとけ。お前に文才はない」


 またもや皺々の顔。


「それもやめておけ。嫌われるぞ」

「お前にしか見せねえからいーの」


 三文小説を書く彼を見守っていると、小路は背中を叩かれた。


「勉強しなよ」


 低い声でそう言ったのは班目鏡磨。ショートカットの彼女もまた、高校卒業を間近に控えていた。


「こんなところで油売ってる余裕ないんでしょ?」

「うっせ」


 男子二人組は同時に言った。


「あのねえ、学科試験に落ちて留年なんかしたら、私同期いなくなるんだよ? あんたらはそれでいいの?」

「おう、二人で留年するから俺らのことは心配するな」


 蓮は心底相手を馬鹿にした顔で笑う。


「あのねえ……」


 彼女は額に手を当てて溜息を吐いた。


「小路センパーイ!」


 そんな三人に駆け寄る女生徒の姿。快活な印象の顔立ちだ。右手には綺麗なノートが握られている。


「こないだ言ってた授業のまとめ、できましたよ!」

晴香はるか! 助かった!」


 小路は晴香と呼ばれた彼女の所に歩いていき、ノートを受け取る。


「あんた、後輩こき使ってんじゃないわよ。晴香、こいつの事は金輪際無視していいわ」

「でもぉ、小路センパイかっこいいじゃないですかぁ、渋くて」

「こいつが? ハッ、あんた男見る目ないね」


 心底呆れた、という感情を鏡磨は隠そうともしない。


「とにかくこれは没収。未来の隊長候補さんは自力で頑張りなさーい」


 と言って彼女は小路からノートを取り上げた。


「ちょ、おい!」


 そう叫んで立ち上がった彼を置いて、鏡磨は食堂から去った。


「加速しろよ」

「こんなことに魔力使うわけないだろ」


 深く息を吐き出しながら彼は再び座った。その隣に晴香。


「必要ならもう一冊作りますよ?」

「……やめておく。多分隊長に告げ口するだろうしな、あいつは」


 そう言って笑い合っていると、放送が始まった。


「四条蓮、隊長室に来い」


 腹に響くような低い声。


「じゃ、そういうことで」


 サムズアップを交わして向かった蓮を待ち構えていたのは、単独任務だった。


「卒業前に単独って、俺のこと信用しすぎっすよ」


 当時、S県警察特殊魔術部隊抹香町小隊は、一つだけだった。その隊長の名は赤城あかぎすばる。角刈りの、威圧感を溢れさせる巨漢だ。


「これを成功させれば、学科試験を免除してやる」

「……へえ。俺のこと甘く見てます?」

「ああ、若造には荷が重いか?」

「やりますよ、で、どんな任務です?」


 蓮は赤い絨毯の上に置かれた黒革の椅子に腰掛ける。


「S県西部、黒巫くろみ村にて連続して悪霊が原因と思わしき失踪事件が発生している。その原因を探り、必要とあらば封印ないし祓魔してほしい」

「マジで一人なんすか?」

「村長が余所者を入れたがらない。村人からの支援はまともに受けられないと思え」


 そんな風に釘を刺された蓮は、二日後、黒巫村を訪れた。冬の澄んだ青空の下に、収穫を終えた田が広がっている。細い道路を挟む家々の間を通り抜け、小高い丘の上にある村長宅の戸を叩いた。


「誰じゃ」


 出てきたのは六十代の女性。髪は白くなりきっていた。


「抹香町から派遣されました、四条蓮です」

「……入れ」


 渋々、という言葉がよく似合う態度だった。


「モモ、茶を出してやれ」


 モモと呼ばれた少女が台所に駆けて行った。結構な美人だった。


「本来なら、わしとモモが解決するべき事案じゃ。余所者の手を借りるなど、全く……」


 ぶつぶつと言いながら婆は座布団に座った。


「わしは黒巫トメ。村長じゃ。魔術師でもある」

「どうも。よろしくお願いします」

「おぬしのような若造の手を借りずとも、時間をかければわしらの手でどうにかできていた。だが、村の若い衆がうるさくての。仕方がなく呼んだ次第じゃ」

「ハハ……」


 愛想笑いを見せながら、彼は頭の後ろを掻く。


「何がおかしい」

「うっす。それで、悪霊の等級はどれくらいですかね。俺の探知だと……二級くらいな感じがするんすけど」

「等級?」


 そこまで話して、失敗に気付いた。等級はあくまで人間が定めたもの。国や自治体といった、正規のルートで魔術を学ばなければ縁のないものだ。


「どれくらい強そうか、ってことです。場合によってはトメさんの協力も必要かと」

「協力? わしが、おぬしに?」


 自惚れるな、とでも言いたげな瞳に射抜かれる。


「まあ、モモを使え。ひよっこだが、役に立たんことはない」

「モモ、というのは?」

「わしの孫じゃ」


 緑茶が運ばれてきて、蓮は何の断りもなく口を付けた。それを見たトメの顔に幾分かの不快感が浮かんだが、彼はそれを気にしなかった。


「しばらく調査させてもらいますね。寝泊まりできる場所はありますか?」

「二階の部屋が一つ余っておる。好きに使え」

「ありがとうございます」


 会釈。


「じゃ、早速調べてきますよ」

「待て、禁足地を説明しておらん」

「そんなもの関係ありませんよ。というか、力の強い悪霊というのは往々にしてそういう所から発生するものなんです」

「なっ……貴様、氏神様が悪霊に転じたとでも言うのか!」

「かもしれませんね」


 淡々と蓮は語る。


「人に害を成すなら祓う。それだけの話です」

「神殺しになるつもりか」

「神も霊の一形態に過ぎません。そういうものから人々を守るのが魔術師の役目でしょう?」


 反論を待たず、蓮は外に出た。堆肥の臭いが漂ってくる。


(さて、どこから見るかね)


 この村に入ってからというもの、強力な魔力をビンビンに感じていた。


ラピスのお人形ドール・オブ・ラピス


 その一言に応じて、彼の横に肌の爛れた、青い瞳の女性めいたヴィジョンが現れた。彼女の腹には大きな空洞があり、そこから小鳥然とした悪霊が現れた。魔力探知を得意とするものだ。


「行ってきな」


 紫色で、所々にイボのある小鳥は飛び立ち、空に消える。


(魔力探知……引っ掛かるか?)


 自分に依頼が来るということは、悪霊を発見できていないということ──蓮は役立たずの魔術師を内心嗤った。それを踏まえた上での探知だが、当然何もわからなかった。ただ、この村全体に魔力が充満していること以外は。


「あ、あの……」


 後ろからか細い声で話しかけられた。


「モモちゃん?」


 彼はヴィジョンを消して振り向いた。


「お、お手伝いをと思いまして……」

「……じゃ、氏神様の祠まで案内してもらえるかな」


 なるたけ明るい表情を作った彼にとって、これは最初の単独任務であり、そして、最後の任務となったのであった。

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