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第6話:艦隊転進

A.D.2158 10/29 00:16

地球低軌道

防衛衛星『熾天使』建造宙域



 日付が変わった直後、統一政府宇宙軍第四艦隊は撤退するかのような動きを見せた。


 すでに地球側にとっては最終防衛ラインであり、完成していない防衛衛星『熾天使』の主砲までも用いて抵抗を続けている有様である。とても下がるなどという選択肢はとれない局面だ。


 しかし第四艦隊は、損傷した艦艇を囲い込むように戦艦を並べ弾幕を形成。タルシス艦隊ならびに襲い掛かるバレット・フライヤー、ドローン・フライヤーを迎撃しながら、損傷艦の反転を援護し続けた。


 この間、旗艦『ディグニティ』はタルシス軍の猛攻に曝されながら囮役を完遂。敵の一部を引き込み、その側面から戦闘機や無人機、高速艦を叩きつける簡易的な機動防御戦術で一時的にタルシス軍から優位をもぎ取る。


 すでに勝利はコロニー側に傾いていたこともあり、この苛烈な反撃はタルシス軍の進撃を躊躇させた。勝ち戦が決まった状況での損害ほど馬鹿々々しいものはない。タルシスの艦隊司令がそう考えたのは至極まっとうである。


 だが、鄭顕正司令が狙っていたのはまさにこの躊躇の瞬間であった。


 タルシスの動きが止まると同時に、地球軍第四艦隊は損傷艦を一斉に移動させた。外側を固めていた戦艦部隊や、横撃を加えた機動部隊もダメ押しの火力を吐き出してから反転。タルシス軍の目からは完全に逃げの一手と映った。



 しかし、その進路は撤退と真逆の方向に向けられていた。



 第四艦隊の進路は地球とは逆の月方面。そちらに槍の穂先を向けて、全艦が一斉に加速をかけた。


 巨大な絵筆を引いたかのように第四艦隊各艦のスラスターノズルから白い光が放たれる。軍事に通じた者ならば、追いつめられた軍の悪足掻きと見ただろう。


 しかし全長数百メートルの巨艦や巡洋艦が一斉に突撃の構えをとって舳先を振り回す光景は、突撃する側の将兵から一時的に不安を取り除く。


 そして突撃される側の軍には、あたかも重装騎士の群れがサーベルを振りかざして向かってくるような重圧を与える。


 タルシス軍にとって完全に想定外の動きだった。しかも一部の将校は、第四艦隊の標的が何であるかを即座に理解した。


 軌道エレベーターのリング裏に隠れた特殊攻撃部隊。核兵器を爆装したバレット・フライヤーとその母艦群は全くの無防備である。とても艦隊の突撃に耐えられる状態ではない。


 しかし、反転して後を追おうとしたタルシス軍の前に別の地球軍艦隊が立ち塞がった。


 立ち塞がった、というのは正確ではない。


 渋滞に巻き込まれたと言うのが正しいだろう。


 何しろ第四艦隊の転進は、他の地球艦隊に全く伝えられていなかったのだから。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――




『敵の追撃部隊、脚が止まりました』


「結構結構!!」


 戦場の全てを見下ろす仮想艦橋の最上段で、鄭顕正は大袈裟に両手を打ち鳴らした。


 座席からぐいと身を乗り出して後ろを見る。無数の砲火が虚空のなかで泡のように弾けていた。その光の泡から徐々に距離が離れていく。


 追い縋ってくるタルシス艦艇もあった。味方が単装砲の光条に真後ろから串刺しにされ爆散した。逆に、投下した爆雷に引っかかってつんのめるように沈んでいく敵艦もある。


 破壊された艦艇は鋼鉄の装甲を灼熱させ、宇宙空間に鮮血のように自らの船体を撒き散らして沈んでいく。まだ冷えていない鉄が返り血のように『ディグニティ』の装甲に張り付いた。だが戦艦は、古代の軍馬たちが敵兵を踏み潰して進んだ如く、戦場を驀進する。


 鄭顕正は戦場に二つの混乱の種を放り投げたまま飛び出してきていた。


 ひとつは第四艦隊による単独突撃という、タルシス側に向けた一撃。


 もうひとつは他の地球艦隊に向けて放った広域通信。



「本艦隊はこれより敵艦隊の包囲を突破して月へと向かう!

 友軍艦隊諸君は生き残りたくば我に続け!」



 すでに包囲下で殲滅されつつあった地球艦隊にとって、その言葉はまさにアリアドネの糸だった。


 救いの一手には違いない。しかしその糸には、致死性の毒がべったりと塗り込められている。


 一部の将校のなかにはその危険性に気づいた者もいたが、もはや踏みとどまって戦うことに大して意味も無い状況だ。


 かくして主戦場の地球艦隊は完全に戦線崩壊を起こした。指揮系統は意味を失い、各艦が独自の判断で行動を始めた。第四艦隊の突撃に追従する者、あくまで元の戦場に固執する者、あるいは降下艇で地球に脱出しようとする者。


 タルシス軍としては一挙に掃討戦に移る好機だったが、第四艦隊の突撃に対処することに追われてそれどころではなかった。最前線の混乱ぶりは地球側と大差なく、艦対艦の一騎打ちじみた戦いがそこかしこで展開された。


 戦場は大混乱の渦と化し、そのなかから辛うじて突破してきた艦艇は、鄭の率いる第四艦隊に合流した。


「聡い連中は気づくはずさ。サラミスの海戦から今日まで、国家にとって艦隊とは木の砦であり続けてきた。


 持つ者は生き、持たない者は滅びる。


 だからこそ負け戦で使い潰すなんてもっての外なのさ」


 突撃の直前、鄭はフィオドラに対してそう語っていた。


 銀髪の怜悧な副官は言った。


「普通に叛乱です。ヤバいですよ」


 鄭顕正は笑いながら肩を竦めた。


「博打に負けたら首を括るさ。もっとも、括る首が残っていればの話だがね」


 そして今、月へと進路を向けた地球軍第四艦隊は、前方に未発見の敵戦力を補足していた。


『前方に敵別働隊を補足! 戦艦1、空母2、巡洋艦5、その他バレット・フライヤーを多数確認しました!』


 オペレーターからの報告を受けた鄭は、それがギデオンのもたらした情報と全く同じ内訳であることを確認する。


 手元のボタンを押し、彼が隔離されているエリアと仮想艦橋を繋いだ。鄭のすぐ隣にギデオンの姿が現れる。


「やあやあようこそ! 前方を見てくれたまえ、君の誠実さはこの通り証明されたようだ!」


『……』


 画面の向こうのギデオンは直立不動のまま、目の前に現れているであろう戦場の光景を見据えていた。表情を動かさないよう意識しているつもりかもしれないが、眉間に深く刻まれた皺や後ろに組んだ手の震えは彼の内心を明確に語っている。


 鄭は肘掛けに肘を置いて、頬に片手を当てた。笑みで歪んだ頬に指が沈み込んだ。


(虐め甲斐があって最高だな、こいつ)


 タルシス軍の軍人はいくら虐めても構わないと鄭は思っている。


 捕虜虐待だの拷問だのはエレガントでないから行わない。しかし彼のような高潔さや能力故に悩み苦しんでいる人間を一層締め上げるのは、権力を握った人間にのみ解放される極上の娯楽である。


 権力を持つ者は他者の運命を差配できる。逆に権力を奪われるということは他者に運命を弄ばれるということである。古来何度も繰り返し言われてきたように、力の無い正義は無力であり、正義の無い力は圧政的なのだ。


 その意味では、コロニーが地球に反旗を翻したことは正しいと、鄭も認めている。


 地球による圧政を跳ね返すには、それ以上の力をコロニーが示さなければならない。戦いを挑むのは生き物として当然のことだ。


 問題はその蜂起が成功するか否かであり、鄭は否定する側の人間だった。


 コロニーの独立の意思は認めるが、独立という事実は決して認めるわけにはいかない。


 だが、戦争は地球側の無能な指導者たちのおかげで予期しない方向に進み続けてきた。散発的な攻撃や政治的な不和、安定しない補給線に戦略方針。半分は自滅に近い形で、地球は追いつめられた。



 しかしもう半分はマリア・アステリアのせいだ。



「地球に仇なした報い、存分に受けてもらおう」


 ギデオンにさえ聞こえないほどの小声で鄭は呟いた。


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