「艦隊全艦は正面に集中砲火ッ!! 一人も生かして還すな!!」
鄭の明瞭簡潔な指令は一切の遅滞なく全軍に伝わった。
驀進する地球軍第四艦隊の各艦が、突撃する槍騎兵軍団の如く砲身を振り翳す。追い詰められ死が眼前まで迫っていた恐怖、そしてそこから抜け出さんとする生への渇望。その二つが合わさった時、突撃の衝撃力は2倍にも3倍にも膨れ上がる。
旗艦『ディグニティ』が発砲するのと同時に、地球艦隊は目の前の障害物に向けて一斉に光の剣を投げつけた。
漆黒の宇宙の上に、ピアノの弦のように光の線が迸った。
光線が向かう先には地球を焼くために出撃準備をしていたバレット・フライヤー部隊が遊弋している。爆装した宇宙戦闘機にとって最悪の状況だった。戦艦や巡洋艦の砲撃など、掠めただけでも致命傷である。瞬く間に十数機が破壊された。
護衛の巡洋艦が応射してくるが、焼け石に水だった。むしろ自らの位置を知らせる結果となり、地球艦隊の容赦無い反撃によって瞬く間に焼けた鉄の塊へと変えられていく。その周囲ではバレット・フライヤーが爆発の余波に巻き込まれてばらばらと叩き落とされていった。
推進剤や爆薬を満載していた空母がレールガンの直撃を受け、一際巨大な光華となって弾け飛ぶ。
その光芒の裏に下がろうとする敵旗艦を、鄭は見逃さなかった。
「一人も生かすなと言ったぞ! 絶対に逃がすな、全て殺し尽くせ!!」
唾を飛ばしながら鄭は肘置きを何度も叩きつける。司令官の怒気は部下を委縮させるどころか一層の闘志を掻き立て、それが各艦の砲門より数千度の熱光線と化して解き放たれた。
護衛艦を全て喪い、敵旗艦を守る者はもはや全く無い。
そう思われた時、地球軍前衛の数隻が火を噴いた。『ディグニティ』の仮想艦橋が眩い光に包まれる。鄭はわずかに顔を顰めたが、小太陽のなかを飛び過ぎていったいくつかの影を確かに認めていた。
「バレット・フライヤー!! どこまでも忌々しい小蠅が……!」
『前衛のエクスマス、ブリタニア両艦撃沈。スプレンダー、グランジャー及びセレニティ大破、戦列より脱落します。敵編隊は11時の方角で回頭中、20秒後に再度接触するものと推定』
フィオドラが淡々と報告する。鄭は「這ってでもついて来させろ!」と怒鳴り返した。
万が一の事態を想定してか、敵は護衛用のバレット・フライヤーをいずこかに配置していたらしい。こちらの突撃に合わせて横合いから殴りつけ、勢いを殺そうと踏んだのだろう。
だがその程度の事態は鄭も予想していた。沈められたり被害を被った艦はすべて損傷艦である。先んじて逃がす振りをしていたのは、この段階で確実に相手を仕留めるためだ。もちろん乗員は全て退避させており、単純な自動操艦で動かしている。
囮にはこの程度の仕込みで十分。
第一陣が横撃を喰らおうとも、本命はその後ろに控えているのだから。
「第二戦列はただちに増速、敵旗艦にとどめを刺せ。左翼部隊は弾幕だ、蠅どもを近づけるな!」
損傷艦の列を割って前進した無傷の艦艇が、持てる全ての火力を前方に集中する。もはや単艦の防御性能では抗しきれない。
同時に左翼にいた艦艇が対空砲火を盛んに打ち上げ、バレット・フライヤーの接近を拒む。旋回中の敵が何機か火の玉に変わったが、それでもなお向かってこようとする。実際に迎撃の火砲を潜り抜けて間近にまで迫ってくる機体もあった。
だが、BF部隊の防御よりも先に敵旗艦が限界を向けた。
集中砲火によって艦前部が破壊され敵旗艦は戦闘能力を喪失した。レーザーに焼かれた箇所は灼熱し、その熱は狭い船内を一瞬で煉獄へと変貌させる。もはやあの艦は棺桶同然だと鄭顕正は考えた。
(しかし、確実にとどめを……!)
身を乗り出し命令しようとした時、『ディグニティ』艦内に鋭い警報が鳴り響いた。敵機接近を知らせる警告。艦長が即座に反応して迎撃を開始するが、距離が近い。
左翼部隊を抜けてきた敵がいるのだ。
「なんだあの機体は……?!」
思わず声が漏れていた。
滅多に狼狽することの無い鄭でさえ、その機体の機動には目を奪われてしまった。
モニターに映し出された一機のバレット・フライヤーが、まるで荒馬のように跳ねまわりながら接近してくる。パイロットの負荷を無視した急加速で強引に機体のベクトルを捻じ曲げ、迎撃の弾を避け続けている。動きはあまりに荒々しいが、現に地球艦隊の弾はかすることさえ無かった。
「化け物が」
タルシスの強化人間に向けて鄭は思わず毒づいた。
そして彼以上に、モニターから戦況を見ていたギデオンが動揺していた。
「グリフォン……!」
旗艦護衛の各艦が対空砲火を撃ち上げる。数えられないほどのレーザー機銃を向けられながら、しかしその機体は突撃の意思をいささかも緩めない。
照準が合う前に加速、さらに加速、加速、加速。火を噴くスラスターにマシンのフレームが置いていかれそうになってもまだ加速をかける。
そして、強引に機体速度を上げ続けて戦列をこじ開けた。
パイロットには激大な負荷が連続して掛かったはずだ。だが、狙い澄まして発射されたレールガン『エグゼキューター』の一撃は、護衛艦の機関部を完璧に射抜いていた。『ディグニティ』の左舷30キロの位置にいた艦が吹き飛び、大量の残骸が撒き散らされる。
デブリの雨は散弾のように僚艦に襲い掛かり、深刻な二次被害を連鎖発生させた。高速で飛び去った『ディグニティ』は無傷だったが、後ろに続いていた小型艦が数隻巻き込まれる。
『スリンガー、アミアー撃沈! パンチャー航行不能、ビーガム操舵不能!』
『敵の03タイプ、第二戦列を抜けますっ!!』
オペレーターが悲鳴じみた報告を上げた。
(ふざけるなよ、単騎突撃など!)
鄭は
しかもそれをたった一機のバレット・フライヤーにやられるなど、あまりに
敵機はこちらの混乱に乗じて矛先を変えた。すなわち旗艦『ディグニティ』を討ち取る構えだ。機首を左旋回させ地球艦隊を追いかけようとする。自分一人だけで軍隊も潰せると言わんばかりの動きだった。
(……不敵だ、あの機体のパイロット)
鄭にはバレット・フライヤーの動かし方など分からない。どのような操縦方法が正解なのかも知らない。
だが20年以上軍人として生きてきた彼には、直感的に敵パイロットの表情が思い浮かんだ。
笑っている。まず間違い無く。
若い男、あるいは少年かもしれない。無鉄砲で生意気で、それ以上に傲慢である。およそ怖さというものを知らず、スリルを快楽として捉えている。近代以降の国家では、およそ兵士としてふさわしくないタイプ。
そんなものが、羊を追いかける牧羊犬のように後ろから噛みついてくる鬱陶しさは、とても不愉快という言葉には収まらないものだった。
「撃ち落とせ!!」
顔を歪めつつ鄭は命じる。言われずともすでに各艦の対空砲火がその機体に照準を合わせていた。
だが、迎撃は散発的なものとなってしまった。
『敵機、本艦と味方艦の間に入り込んでいます!』
『
『連鎖爆雷を使え! 敵を足止めしろ!』
『し、しかし敵機の進路が予測できません!』
『ええいっ、糞!!』
上手く事が進まないのは『ディグニティ』だけではない。
仮想艦橋の後方に映し出された味方艦が爆散した。背後に回った例の敵がレーザーキャノンを連射して護衛艦を撃沈したのだ。
広がった巨大な炎の幕に姿を隠して、暗殺者が近寄ってくる。際どい手だった。下手をすると自分も爆発に巻き込まれるか、飛散したデブリに潰されるかもしれない。
しかしそのバレット・フライヤーには恐怖という感情が完全に欠落しているようだった。爆発のすぐ間近を翔破して強引に距離を詰めてくる。すぐそこにいると分かっているのにろくな対抗策が打てない。旗艦のみならず僚艦までも翻弄されている。あまりにもどかしい状況に、鄭は両手の指先で肘掛けを連打した。
「な、に、を、やっ、て、い、る……!!」
全員まとめて怒鳴りつけそうになった時、隣のウィンドウから声が聞こえた。
『5時の方向、俯角マイナス50度です』
隣を見ると、ギデオンもまた鄭を真っすぐ見ていた。
『5時方向、俯角マイナス50度。奴は必ずそこから突入します』
「…………」
『自分は指揮官としてあのパイロットを見てきました。IMFを逆手に取ることも、最も防備の薄い5時方向から深めの角度で斬り込むことも、全て教えました。この状況下であればあのパイロット……グリフォンは必ずその手を使います』
鄭は口元に手を当て目を細めた。副官であるフィオドラには、それが上官の思考のスタイルであることが分かった。
『提督、降ったとはいえ敵の士官の言うことです。あてになりませんよ』
「……いや。よし」
フィオドラは溜息をついた。ディスプレイ越しではあるが、上官の口元が吊り上がったのが見えた。
「艦長! 口を挟んで済まないが、5時方向俯角マイナス50度に投下だ。急げよ!」
『はっ……?! 了解致しました!』
普通、艦隊司令が操艦に口を出すことは無い。しかし鄭顕正という提督はそういう型破りなことを平気でやる。
ただちに艦後方の発射管に爆雷が装填される。バレット・フライヤーは僚艦からの弾幕をすり抜けながらも着実に『ディグニティ』との距離を縮め、レールガンの照準を重ねつつあった。
だがその軌道は明らかにギデオンが示した座標へと向かいつつある。
「さあ飛び込んでこい……」
両手を揉み合わせながら、しかし鄭はあまりに馬鹿馬鹿しい状況に溜息を禁じ得なかった。艦隊司令ともあろう者が、たかが一機の攻撃機に気を揉んで、個艦レベルの迎撃指揮にまで口を挟むなど本来あってはならない。それでいて、この後の攻撃に全てが賭かっているため目を離せない。
すでに敵艦隊は無力化しており、目障りなのはバレット・フライヤーただ一機のみ。単騎対艦隊の構図である。
この賭けに負ければ、そのままこの艦にレールガンが突き刺さって、地球艦隊は総崩れとなる。すなわち地球側の全面敗北だ。
『敵機接近。5時方向、俯角64度』
すぐにでもレールガンの砲弾が飛んでくるかもしれない状況下で、フィオドラはなおも冷静な声音を崩さなかった。
バレット・フライヤーは旗艦の背後に回り込んだまま、優雅な曲線を描いて深く機首を下げる。獰猛な海獣が真下から獲物を狙う時のように、死角からこちらの柔らかい脇腹を食い破るつもりだ。
だがいつまでも調子に乗らせるわけにはいかない。
「艦長、爆雷投下だ! 投」
『っ、敵機反転しました!』
「下……あ……?」
一瞬事態が飲み込めず、口の奥から中途半端な声が漏れた。しかしすぐに我に返ってモニターを確認する。オペレーターの報告通り、こちらに襲い掛かろうとしていた敵機は機首を巡らせて彼方へと飛び去っていた。
『命拾いしましたね、提督』
「……お互いな」
どこまでも他人事のような口調のフィオドラに呆れながら、しかしさすがに鄭も脱力した。シートに深く身体を沈みこませる。握り締めた両の掌が汗でじっとり濡れていた。
宇宙の戦場に出ている以上、死は常に隣り合わせだ。どれほど堅牢な艦に乗り込み、安全地帯で護衛艦に囲まれていたとしても、流れ弾の一発で呆気なく沈んでしまうこともあるだろう。もとより鄭はそういった事態も覚悟して戦艦に乗り込んでいる。
しかし今しがた喰らいついてきた敵機には、そうした戦場の必然と何か異なるものを感じた。直感した通り、並外れた不敵さがそう思わせたのかもしれない。しかし追いかけられている時のプレッシャーは、とても向こう見ずな兵士に出せる程度のものではなかった。
何か、より異常で凶暴な性質を秘めているように感じたのだ。
(ギデオン、ギデオン・ブランチャードか。なるほど)
ボトルに詰めていた烏龍茶を一気に飲みほしながら、鄭は隣のウィンドウのなかで直立不動を保っている男を見やった。
艦長よりタルシス軍の追撃を完全に振り切ったと報告が入った。同時に各艦の被害状況や、低軌道から逃げてきた味方艦の情報が続々と届けられる。しばらく鄭はそれらを捌くことに忙殺された。
執務が本格化する直前、フィオドラに一言命令を与えておいた。
「ギデオン・ブランチャードが自決しないようしっかり見張っておくように」
全てがひと段落ついて、艦隊が月面基地に入港してから、鄭はギデオンを食事に呼び出した。