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第8話:月面にて 中

『戦争はまだ終わっていませんよ、ギド。我々は進み続けるしかない。たとえどれほどの犠牲を払ったとしても』


 マリアがそう言っていた。


 ギデオンは即座に反論した。犠牲を払うのは自分たち大人の役目だと。子供たちに負わせて良いものではないと。


 だが自分がいくらそう考えたところで、戦争という事象は大人も子供も隔てはくれない。皆例外なく不幸にする。自分ひとりの力で全ての戦災孤児を救うなどと考えることも、所詮思い上がりに過ぎない。現にギデオンにはそこまでの力も権限も無く、ただ目の前にいる兵士たちを生き延びさせてやることしかできなかった。


 機械のように戦い続ける彼らは、どれほど改造を施されていようと生身の人間。死神の鳥の黒い羽が、至る所に撒き散らされていた。



「大佐が道を示してくれました。


 だから我々は従うのです」



 いくら問い掛けても諭しても、返ってくるのは同じ返事ばかりだった。


 彼らとマリアはすでに一心同体と化していた。脳の命令を実行する手足そのものだった。


 ただ、グリフォンだけは少し違うことを言っていた。


「俺たちが何か考えたところで、何か意味があるんですか?」


「俺はこれでいいですよ。なんで迷う必要があるんです?」


 グリフォンには己が強化人間であることの屈託が一切無かった。明らかに彼だけが、ギデオンの見てきた全ての兵士のなかで異質だった。



「この身体になってからすごく調子が良いんですよ。BFに乗ってるともっと気分が良い。頭の奥の方から痺れるような汁がどんどん湧いてくる感じがする。脳内麻薬って言うんですかね? 


スロットルを全開まで叩き込んで、機体をギュンギュンぶっ飛ばすたびに、何か……身体が千切れそうになるたびに、人工臓器に骨が潰されそうになるたびに、頭のなかでビリビリした味がするんです。


 俺の脳味噌なんて、そんなもんで良いんじゃないですかね?」



 グリフォンは舌を出しながらそう言い、笑った。浮かび上がっているのは紛れも無い愉悦と多幸感。


 強化人間はそのような表情を決して見せない。


 彼に施された手術レベルは4。重度の洗脳と催眠処置によって恐怖を感じる感覚が麻痺させられ、必然的に機械同然の状態になる。


これ以上の強化になると、そもそも人間としての肉体を残せないレベルになる。その状態に適応できる脳髄も無く、タルシス軍全体を見渡してもレベル5まで強化された人間は数例しか無い。


 だがレベル4のままであっても、グリフォンは容易にレベル5の生体パーツたちを圧倒するだろう。


 指示を必要とするのは彼も同様だ。しかし彼の場合「楽だから」そうしているのであって、他の強化人間たちのように「必要だから」求めているのではない。


 彼ならば、他者からの指示など無くとも躊躇なく敵の首筋を嚙み切るだろう。


 きっと昨夜の突撃の際も、砲撃の嵐のなかで全身を潰されるような重圧に襲われながら、コクピットのなかで笑っていたに違いない。ギデオンには、彼の表情が容易に想像できた。


(奴も、あの後死んだのか……どこに消えた……?)


 母艦を失った宇宙機に待っているのは、緩慢な死である。あれほどの戦闘機動を繰り返したのだから、推進剤も枯れ果てただろう。


 グリフォンとマリアが死んだという事実に、どこか安堵している自分がいる。それを自覚するたびにギデオンは慄然とした。



 自分が異質と感じた彼らと、一体何が違うと言うのか。



 不幸な子供たちを戦いに駆り立て、裏切り、死なせ、今なおのうのうと生きている。


 積み上がった事実のひとつひとつに意識を殴りつけられるようだった。


 ギデオンの胸に鉄の塊がぶつかった。架空の感覚ではなく、現実だった。


 拳銃が、月の重力に引かれてゆっくりと膝の上まで落ちていた。




「どうかね。今すぐ死にたいかね?」




 目の前の男が、生身の声で問うた。


 鄭顕正は拳銃を放り投げた手を返して、人差し指を真っすぐにギデオンへと伸ばした。


 膝に落ちた拳銃の不気味な重さを取り除くように、ギデオンはそれを手に取った。弾倉にはしっかり弾が装填されている。鄭は銃口が自分に向かないことを確信している。その魂胆が分かるだけに、いっそ撃ち殺してやろうかとギデオンは思った。


 たとえ心のなかがどれほど荒廃していても、ギデオンの答えは決まっている。



「……いいえ」



 ギデオンは銃を静かにテーブルに置いた。鄭顕正は笑みを崩さない。


「使わないのかね。楽になれるよ?」


「そんな資格は自分にはありません」


「これも責任の取り方のひとつだと思うがね」


「閣下は地球軍の提督でいらっしゃいます。小官に自決を唆すのはやめて頂きたい」


「もっと素直に言って良いよ」


「……いい加減に口を閉じろ」


 鄭顕正はいよいよ唇の両端を釣り上げ、椅子に背中を押し付けるようにのけ反った。芝居がかった仕草は明らかにギデオンを茶化していた。


「どうだい、私を撃ちたいかね?」


 鄭はひらひらと左手の指を躍らせながら、右手でミルクティーを一気に流し込む。


「そんなことをすれば、柱の影にいる副官が俺を撃ち殺すだろう。自殺と何も変わらない」


 バレてるや、と鄭は目を左右に動かした。


「死ぬのがそんなに怖いのかい?」


「死は数えきれないほど見てきた。俺にはまだ、それに甘んじる資格は無い」


「ああそうだろうね。君はそう答える。私には分かるよ」


「……」


「戦争はまだ終わらない。舞台が第二幕にうつっただけだ。たとえ役目が終わったとしても、カーテンコールまでは道化の恰好のままでいなければ……いや、道化の恰好のまま、君はもうしばらく踊っていなければいけない」


「俺を挑発して、あんたに何の得がある?」


「なぁに、気に入った人間はちょっと苛めたくなるのさ。君は見どころがあるよ。非常に。統一政府軍という利権と格差でゴチゴチに凝り固まった組織のなかで中将・・まで上り詰めた私の見識だ、信頼してくれて良い」


 ギデオンは僅かに目を細めた。鄭の襟元の階級章は少将のままだ。


 その視線に気づいた鄭が、階級章のついた襟をひらひらと振って見せた。


「さきほど辞令が出ていてね。案の定、統一政府は私に中将の位と月基地司令官の役職をくれた。お偉方にしては迅速な判断だ」


 おかしくてたまらないと言うかのように鄭は肩を揺らし続けている。


「これだよ……自分たちの身の安全が脅かされれば、すぐにこれだ。まあ私が率先して恭順を誓ってやったこともポイントだろうが、今現在、地球を守れる戦力は建造中の防衛衛星と我が艦隊以外に無い。軌道エレベーターの港も破壊された以上、地球が他の艦隊を揃えるのに早くても5年はかかる。


その間、コロニーの反乱軍に対して強気に出れる戦力はどれだ?」


 ここだろ。鄭は匙の柄尻でトントンとテーブルを叩く。


「君が送ってこられた理由も承知している。


 諸君らは地球と戦争するだけの力は手に入れたが、相当に身を削っただろうし、これ以上戦う力も残っていない。地球に強行着陸して地上戦をするなど論外だ。かといってマリア・アステリアのように戦略爆撃でも企もうものなら、地球との貿易回復は絶望的になる。


 だから当初の戦略目標である独立を達成した以上、なあなあで手打ちに持ち込んで国力回復に専念したい。こんなところだろう?」


「俺に答える権限は無い」


「君の答えなんかどうだっていいよ! この私の見立てだ、どうせ全部当たってるから!」


 この自意識過剰と自信過剰は一体どこから来るのだろう、とギデオンは呆れるのを通り越していよいよ感心し始めていた。確かにこれだけ強烈なメンタリティが無ければ、タルシス以上に巨大な組織のなかで成り上がることは出来ないのかもしれない。


「で、だな。このあとどう転がっていくかだが、我々は互いに微妙な力関係を維持したまま戦争の次の段階を戦っていくわけだ。


 それは艦と艦がぶつかり合う単純な力比べなどではない。


 麻雀のように狙いの牌を引いていって、より強力な国家という役を完成させる、そういう戦いだ。すでに君たちには大三元ダイサンゲンなり四暗刻スーアンコーなりを揃える目算が立っているのだろう。


 そのプレイヤーとして諸君らタルシスは地球統一政府! あの半死不活の輩ではなくこの私! を卓に招いてくれたわけだ」


「……タルシス上層の考えは知らんが、俺は後悔し始めているところだ」


「はぁっはっは!! うははは! いいよいいよ、どんどん言ってくれ! 権力者たるもの野次の一つや二つぐらい笑って受け止めるものだよ」


「結局、あんたの目的は権力か。反吐が出るな」


「逆に聞くが、権力なくして一体何が成せるというのかね?」


 さきほどまでの呵々大笑を完全に消し去って、鄭顕正がテーブルに身を乗り出してきた。急に仮面を付け替えたかのような変貌ぶりに、さしものギデオンも空恐ろしさを覚える。しかしそれを表面には出さず、じっと地球軍の提督を見据えた。


「あんたは僭主そのものだ。力の裏付けが武力しかない」


「力は全ての正義を裏付ける。パスカルもそう書いているだろう?」


「僭主が引用する『パンセ』ほど安っぽいものは無いな」


「それが安っぽく聞こえるのは、それだけ真理に近いからさ。真実というものはたいてい退屈極まりないものだ。時に残酷ですらある。世の中、力を持った者の差配が全てだなんて誰も信じたくはないだろう」


 しかし、と鄭は再び匙の柄尻でテーブルを叩いた。


「私は真実から目を逸らさなかった。だからこうして力を手に入れた」


「タルシスのお情けで得た力でもか?」


「そうだね。しかし君たちは、君たち自身のなかにあるマリア・アステリアという力に対して全く無力だった。だから毒をもって毒を制する理屈で私を使った。おあいこだろう?」


「……」


「とはいえ、だ。コロニーより圧倒的に力を持っていた地球は勝てなかった。そう、タルシスは戦略目標を達成した。どう見ても我々の負けだ、ここまではね」


 鄭は残った鹹豆漿シェンドウジャンに全てのトッピングをぶちこむと、ザラザラと音を立てて啜り切った。さらにミルクティーのカップを逆さまにして流し込むと「うっぷ」と小さくゲップした。


「失敬失敬。ぼちぼち良い時間だ。君との語らいは非常に愉しかったが、私にはこれからやらなければならない仕事が山のようにあるのでね。これで失礼しよう」


 俺は一切楽しくなかったがな、と表情に出しているギデオンに笑いかけて、鄭は席を立った。


「さっきも言ったが、戦争はまだ終わってはいない。ここから先は冷戦だ。互いの持久力にものを言わせた意地の張り合いになる。そういう局面こそ、艦隊は権力としてより大きな意味を持つだろう。


 ギデオン・ブランチャード少佐、せいぜい君は君の戦争を完遂することだな。それ以外の生き方などできんのだろう?」


 ギデオンは答えなかった。


 癪だが、鄭の言う通りだったからだ。


 自分には狂うという選択肢も、自決するという無責任も許されてはいない。


 戦争はまだ終わらない。真の意味での平和が戻るまで自分は戦い続けなければならないのだ。たとえそれが、どれほど見通しの立たない戦いであるとしても。


鹹豆漿シェンドウジャン、最後まで食べておきたまえ。冷えているなら温めさせれば良い。君を散々にからかいはしたが、そいつは私の故郷の味だ。嘘も毒も混ぜてはいないよ」


 最後にそう言い残して、鄭顕正は去っていった。


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