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第12話:セレン・メルシエのガイダンス

A.D.2160 5/12 14:55

タルシスⅣ-Ⅱ

公共トラム第三路線上



 港湾区の寮に戻る間、カラスはトラムの座席に腰掛けたままぼんやりと窓の外を眺めていた。


 トラムはコロニーの壁面に敷設された線路上を走っている。車窓からは大きな波のように反って広がる人工の大地が見渡せた。


 そこから視線をさらに上げていくと、空の上からいくつものビル群が降ってきているような光景が広がっている。積極的な緑化が推奨されていることもあって、高層建築のひとつひとつが巨大な森のような様相を呈していた。


 途中、トラムは学校を通り過ぎた。ハイスクールだろうか、グラウンドでカラスより一つか二つ年下の子供たちが走り回っている。


 学校の姿はすぐに遠く離れて見えなくなった。


 カラスは身体の左側に置いていた封筒を引き寄せた。手が隣に座っていた客に触れた。その客が何気なく顔をあげて自分の方を向いたので、カラスも軽く会釈した。


 だが、隣に座っている青年の両目が機械であることに気づくと、客の顔色がさっと変わった。ちょうど駅についたこともあって、客はそそくさと立ち上がり逃げるようにトラムを出て行った。


「……」


 ふと周囲を見渡すと自分の周りにだけ人がいない。車内は決して空いているわけではないが、一人ひとりの顔が見える程度には少ない分、カラスの真紅の光彩の異様さはより浮き立っているのだろう。


『天燕』では誰もこんな風に自分に接したりはしない。


 だが、こんな冷ややかな視線を受けることの方が、世間では当たり前なのだ。


(傷痍軍人、か)


 日常生活のなかで特に困りごとを覚えないため自覚が薄かったが、世間から見れば自分はそういう扱いになるのだ。


 戦争があった後の国だ。決して珍しい存在ではないはずだ。にもかかわらず、人間は他者が負った傷跡を無遠慮に眺めまわし、本人と目が合うとすぐに逸らそうとする。


 自分は、そういう目で見られる側の人間なのだ。


 そう思うと、心臓が緩やかに締め付けられるような気持ちになった。


「あれぇ? カラスさんじゃないですか!」


 素っ頓狂な声が聞こえた。はっと顔を上げると、肩に大きなトートバックをかけたセレン・メルシエが立っていた。


「セレン……」


 船に乗っている時は、いつも軍学校時代や管制官時代を思わせる制服めいた格好をしている。


 飾り気のないジャケットやタイトなスカートでいることが多く、地球の軌道侵入時に至っては宇宙服で全身をすっぽり包んでいるので、船員の誰もがあまりファッションに興味が無いのだと思い込んでいた。


 ところが今のセレンは、いつもの固い格好とはかけ離れた明るく活動的な服装だった。


 白いクロップド丈のトップスにジーンズを合わせて、肩には空色のシアーシャツを羽織っている。耳にはクローバーを模した鮮やかなイヤリングを着けていた。


 普段、顔と手以外の素肌をほとんど見せないセレンが、こんなに大胆な格好をしていることにカラスは気圧された。義眼が彼女の白い肌や臍に吸い寄せられそうになる。キュイッ、と目のなかのフォーカスリングが回る音がして、それが嫌に大きく響いたような気がした。


「珍しいですね、そんなにお出かけしない人だと思ってました……よっ、と。ふぃー……」


 セレンは特にことわりもせずカラスの隣に腰を下ろした。よほどバックが重かったのか、腰を反らしたり肩を叩いたり、老けたような仕草を繰り返している。今の彼女の恰好があまりに若々しいだけに印象の落差が激しかった。


 カラスは何となく腰を浮かせてもぞもぞと座りなおした。場所を詰めてくれたと勘違いしたセレンが彼の方に身体を詰めた。シャワーでも浴びてから出かけたのか、彼女の髪からサボンのさっぱりとした香りが漂ってきた。汗の浮いた首筋に髪が張りついていた。


「か、買い物か?」


 黙っていられず、駆け出すようにカラスは聞いた。セレンは「はい」といつも通りに答える。


「仕事が終わった後って、なんだかホッとしちゃって。次があるか分からない仕事だから、どうせなら自分へのご褒美ってことでパーっと使うことにしてるんです」


「そうなのか」


「カラスさんはしないんですか? 買い物」


「……無くはない」


 そう言いつつも、最近買った物は何だっただろうかと記憶を掘り返した。咄嗟に振った話題に、かえって彼自身が困らされている。


「へぇー。例えば?」


「大したものじゃない。経口補水液とか。フェニクスのコクピットで飲むための……」


 自分で言っていて流石におかしいだろうと思った。


 案の定、セレンはちょっと呆れていた。


 だがかえってカラスらしいと思ったのか、くすくすと笑った。


 そういう反応を返されるのは、それはそれでカラスとしては心外だった。


 ふと、昔の自分なら何を買っていたのだろうという自問が頭をよぎった。カラスは無意識のうちに封筒を引き寄せていた。


 セレンが、彼が手元に何かを持っていることに気づいた。


「カラスさん、何か用事があったんですか?」


「ん……うん」


 いつも無表情な青年が、珍しく困ったような笑いを唇の端に浮かべているのを見て、さすがにセレンも違和感に気づいた。


 思えば今朝『天燕』から降りていく時も、どこか浮き足だったような雰囲気があった。


「らしくないですね。いつもはもっと歯切れの良い喋り方なのに」


「そうなのか?」


「歯切れが良過ぎて、時々ロボットみたいですよ」


「……そうか」


「今のカラスさんは、なんだか悩める青少年って感じです」


 時々セレンは露骨に自分を歳下扱いする。


 実際そうなので間違いではないのだが、とはいえ一歳か二歳離れている程度だ。先輩風を吹かされて少しムッとすることも無くはない。


 ただ、自分が体験しなかった何かを彼女が経験してきたことも確かなのだ。


「セレン。士官学校って、どうだった?」


 急な質問で少し驚いた。


「どうって、そうですねぇ」


 あまりにざっくりとした聞き方だから、答えるのも難しい。


 しかしもしかすると、彼が求めているのはその「ざっくりとした」答えなのかもしれない。半年の付き合いで、セレンもそう察せられるようになっていた。


「うー……ん」


 ただ、彼が聞きたいことを察したところで良い回答ができるわけではない。セレンは腕を組んで唸ってしまった。


「正直、私も食べるために軍学校に通ってましたから。モチベーションなんてご飯以外にありませんでしたよ」


「食事のことだけで軍人になろうと思ったのか?」


 カラスが少し驚いたような口調で言った。


「大事なことですよ。だって、普通の食べ物なんてどんどん減ってましたから。うちには弟たちもいたし、私くらいしか外に出ていける人間がいなかったから、仕方なかった面はあるんですけどね」


「姉弟がいるのか」


「言いませんでしたっけ? 五つ下だから今年からハイスクールだったかな。しばらく実家に帰ってないから、全然会ってないですけど……ちょっと話が逸れちゃったな。そうそう、学校がどうだったか、ですよね?」


「ああ。何か好きな勉強とか、やりたいこととかあったのかなって」


「軍学校ですからねえ。それに、戦争後半の切羽詰まった時期だったから、私たちの教育だってかなり大ざっぱでしたよ。それでも宇宙船の使い方とか、宇宙港の仕事が一通りできるようになったのは大きかったかなぁ。資格も取らされましたし」


 セレンは指を折りながら在学中に取らされた資格を次々と挙げていった。


 戦中ということもあってやや取得難度が下がっていた面もあるかもしれないが、それでも二級航宙士や管制官資格を取れたのは本当に大きかった。


 もちろん彼女自身の勤勉さや能力あってこそだが、セレン本人は詰め込み教育の成果だと思っている。


「これさえあれば宇宙で仕事ができますからね。食いっぱぐれにはなりませんよ」


「じゃあ、宇宙船の船長にもなれるのか?」


「小型船なら一応できますよ。でも天燕ぐらい大きな船になると、一級航宙士レベルの知識と技術が無いとそもそも動かせないです」


(船長は持っているのか)


 元はセレン以上のキャリアを積んだ軍人である。ペティやマヌエラ曰く佐官まで進んでいたということなので、当然持っているだろう。



「……も、取れるかな」



 自分自身にもほとんど聞こえないような声でカラスは呟いていた。


 言い終わってから、そんな言葉が口をついて出たことに驚いた。


「え?」


「あ、ああ、いや……」


 気恥ずかしくなってカラスは手を振った。セレンは不思議そうに首を傾げて彼を見ている。


 それから、ふと相好を崩した。


「やりたいこと、見つかりました?」


「……少しだけ」


 カラスも彼女の微笑につられて少しだけ笑った。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 先にトラムを降りたカラスは、出て行く人の流れに押されながら振り返った。閉じたドアガラスの向こうでセレンが小さく手を振っていた。カラスは肩の上ぐらいまで右手を上げた。


 駅はこれから港に向かう人々と、反対に仕事終わりでトラムに乗り込む人々で溢れていた。この時間はいつもこうなるのだ。今から出航を控えていたり、夜間勤務のために出て行く労働者たちがけだるげに身体を揺らしている。


 勉強をするなら紙の問題集や参考書を買った方が良いとセレンに言われた。紙は貴重品だが、頭に知識を詰め込むには手を動かした方が良い。そのアドバイスに従って、人の流れから外れて書店に向かおうとした時だった。



 カラスの隣を、一人の少女が通り過ぎて行った。



 背の低い少女だった。短く切りそろえられた黒い髪が、カラスの肩に微かに触れていった。


 まるで電撃に打たれたかのようにカラスは振り返った。少女の姿はすでに雑踏に紛れて消え去っている。


 だがすれ違う一瞬、微かに視線が合った時、カラスは確かにその顔を見ていた。


 記憶が、いつかどこかで見た顔だと告げている。


 そしてその顔のなかに、自分と同じ紅い虹彩の義眼が嵌め込まれているのを、カラスは確かに見た。

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