目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第13話:「ちょっと軍閥作ろうと思ってさ」

A.D.2160 5/12 15:15

タルシスⅣ-Ⅱ

クェーカー邸宅



「やあやあやあやあやあ!! 久しいなギデオン・ブランチャード少佐!!」


 艶々としたスリーピースのオーダーメイドスーツに身を包んだ四十男が、ソファの上でふんぞり返っていた。


 なぜこの野郎がここにいるのだ、とギデオンはクェーカーの方を見やった。女主人はややげっそりとした表情で首を振った。滅多に感情を読ませない彼女の顔に「心底うんざりしましたわ」と書いてある。


「……なぜ、というかどうやってここまで来た。鄭顕正」


 げんなりとした顔でギデオンは言った。そんな彼の嫌そうな表情を見て気を良くしたのか、鄭顕正は出された紅茶にどぼどぼと砂糖とミルクを追加しながらにやりと笑った。


「つれないなあ元少佐。一年半ぶりの再会なんだ、もっと喜びたまえよ」


「はぐらかさないでもらおう」


「口の聞き方もなってない。私のところに来た時は、軍人としてもっと折り目正しい振る舞いができていたはずだがね。良いかい私は中将だよ?」


「ここはタルシスだ。密入国者のあんたに階級も糞もあるか」


「密貿易船の船長が言うと重みが違うねえ?」


 砂糖まみれのティーカップを掻き回すたび、ざらざらと音が鳴った。ギデオンのプロフィールなどとうに知っているという風だった。


(その程度の調べはついている、か)


 この男が何の下準備も無いまま乗り込んでくるはずがない。彼の不遜極まりない態度は、相手が自分の存在を嫌がりながら、それでも交渉せざるを得ない状況を作れているからだ。以前もそうだった。


 いかに飄々と振る舞おうと、停戦中とはいえ敵地のど真ん中に乗り込んでくるのはまともではない。つまり、そこまでしてでも達成したい目的があるということだ。


「現役密貿易人の君なら分かるだろ。金さえ積めば何でもやるって手合いは、どこの組織にだっているものさ。


 合流予定地点を示し合わせておけば、救難の名目で拾い上げてくれる。それをタルシスの航宙局に報告するも良し、しないも良し。つまりはそういうことさ」


「……手口は分かった。しかし、一体何を考えている?」


「おいおい、一体いつから尋問官になったんだい? ままっ、座りたまえよそこに。そこの美人さんも、ほら」


 ギデオンとクェーカーは立ったまま一歩もその場を動かなかった。


 今のギデオンにとって立場などどうでも良いので、これ以上鄭顕正がふざけた振る舞いを続けるようなら一発殴り飛ばすこともやぶさかではない。


 冗談が通じる雰囲気ではないと察したのか、鄭も芝居がかった仕草で肩を竦めるにとどめた。


「膝を突き合わせて話し合いたい、重要な中身なんだがね」


「さっさと言え」


「ああはいはい。いやね、ちょっと艦隊ごと地球から独立しようと思ってさ」


「……は?」


 草野球のチームを作ろうと思うんだ。そんな気軽さで鄭顕正は言った。


 地球軍の提督が不意にぶちあげた言葉があまりに衝撃的だったため、一瞬ギデオンは聞き間違いかと思った。クェーカーも同様で、微かに目を見開いている。


 そして二人ともすぐに目を細めた。


 これは虚勢でもなければ法螺ほらでもない。


「まあ正確には国家として独立するというより、月艦隊をまるごとひとつの事業体として扱おうと思うのさ。もちろん総責任者はこの私だ。半死不活の地球人どもには到底任せられないね」


「事業、とおっしゃいますか」


「ああ。事業の中核は三つ。


 一つ目は月で採れる水、チタン、鉄、ヘリウム3等々の戦略物資の採掘と交易。


 二つ目は月面という大地を利用した各種プラントの建築。


 そして三つ目は、月艦隊による安全保障任務。


 どうだい、結構魅力的だろう?」


「利点だけ見れば、そうですわね」


 形の良い顎に片手を当てたまま、クェーカーが相槌を打った。ギデオンも内心では彼女と同じ評価を下している。


 現在、タルシスは月という巨大な要衝に対してほとんどアクセス権を持っていない。月の裏側にわずかに前哨基地があるばかりで、それらについても本格的に稼働しているとは言えない状況だ。


 言うまでも無く月面で採取できる戦略資源には計り知れない価値がある。しかも、鄭は月の土地そのものを利用してプラントを建てることまで提案している。


「……プロジェクト・キュベレーのことも、調べはついているか」


 ギデオンはあえて名前を出した。クェーカーが「危険ではないか」と目で訴えてくるが、そもそも鄭が狙いすまして自分たちを直撃してきた時点で、全て割れていると見るべきだ。


 案の定、鄭は余裕綽々といった風に肩を揺らした。


「戦争が始まる前から、タルシスには結構な人数のスパイが潜りこんでいる。その諜報網が良い仕事をしてくれたよ。地母神計画とは、ずいぶんぶち上げたじゃないか」


「俺たちのこともそのスパイ網に調べさせたわけか」


「戦略上当然だろう? まさか卑怯とは言うまいね?」


「あまり良い気分ではありませんわね」


 苦笑混じりにクェーカーが言った。


「ですが、かえって話が早いかもしれません。計画のことをご存じなら、我々コロニーの人間が何を望んでいるかもご承知のはず」


「ああ。戦争の遠因、食糧自給問題の根本的解決策。戦争で崩壊したコロニーを再利用して農業プラントを建造する。妥当ではあるが迂遠だね」


「地球側が食糧自給を認めていれば、そもそも戦争は起こらなかった」


「仰せの通り地球の強欲な資本家どもに責任がある。が、私に凄まれても困るよ」


 鄭はおどけたように片手をひらひらと振った。


「今の君たちに必要なのは食糧を作るための土地そのものだ。宇宙では何よりもそれが貴重だ。


 そして私が統治する月には、活用できそうな土地がいくつもある。もちろん建材に使えそうな資源は採掘しても良いし、水やレゴリスも良いように使ってくれて構わない。


 これだけの好条件だ。深く考える必要は無いと思うが?」


「確かに好条件ではあるな」


「ですが、信用できませんね」


 二人の意見は揃っていた。


「ほう、何故だい?」


「あんたは信用ならない。タルシス側がもちかけた話とはいえ、あんたは自分が生き残るために低軌道会戦で他の地球艦隊を見殺しにしている」


「まるで自己紹介みたいじゃないか、元少佐」


「承知しているさ。だが、今は俺たちが話を受ける側で、売り込む側はあんただ。信用の無いセールスマンから物を買おうとは誰も思わんだろう」


「ふむ」


 鄭はソファに深々と背中を投げ出した。取引をあしらわれたことより、ギデオンが挑発に乗らなかったことの方が面白くない。


 そんな彼に向かってクェーカーが「それに」と追い打ちをかける。


「今のお話を伺う限り、明らかにコロニー側にとって都合の良すぎる内容です。仮に提督、貴方の計画通りに事が進んだ場合、月の駐留艦隊は完全に地球と敵対することになります。反逆者の汚名を着てまで、貴方は一体何がしたいのです?」


「……なに、単純な話ですよ」


 ふんぞり返ったまま、鄭はさらに脚を組んだ。革靴の爪先が机の天板を軽く突いた。


「独立が成功すれば、私は月で王様になれる。当然月艦隊、いや、最後の地球艦隊という絶対権力も私のものだ。私の権力の及ぶ範囲で、やりたいことは何でもできる。


 前にも言ったかな、元少佐。力は全ての正義を裏付けると」


「下種が」


「人間は所詮、有限なリソースにたかる虫みたいなものだ。私は権力という名の餌が欲しくて欲しくてたまらない。何せ、そいつは食べたら食べただけ強くなれるものだからね。


 どうだい。私は正直だろう?」


「……そういうのは、露悪的と言うのですよ」


「私のことは如何様にも嫌ってくれて結構。ま、君たちもまさか二人だけで計画を回しているわけじゃあるまい。資料等々は私の方で準備した。あとは君らの方でそれを見て評議にかけてくれたら良い」


 そう言いながら、鄭顕正はテーブルの上に書類鞄をどかりと置いた。


 どうする、とギデオンはクェーカーを見やった。


 鄭顕正本人は極めてふざけた人物である。しかも権力欲を公言してはばからない危険人物でもある。


 そんな男の言うことだが、しかし冗談で持ち掛けられるような話ではない。この男のことだから資料とやらも相当詳細に作り込まれているのだろう。ギデオンはそう判断した。


「ああ、そうそう。もうひとつ判断材料を、というか促しをしておいてあげようか」


 鞄に手を伸ばしかけていたギデオンが遮るように、鄭が言った。


「君らはタルシスが地球に対して優位を築いていると思っている。実際それは間違いじゃない。


 しかし諸君ら穏健派とも言うべき一派には、あまり時間が無いんじゃないのかい?」


「どういう意味だ?」


「穏健派がいるということは、過激派もいるということさ。いるんだろ? 実際」


 問い詰めているような格好だが、明らかに鄭はタルシスの内情を把握している。彼の表情から容易にそれは読み取れた。


「私と君たちの目的は表面上一致している。月艦隊が独立すれば地球は抗戦可能な唯一の戦力を失い、講和のテーブルに着かざるを得ない。タルシス優位のままでね。


 ところがそうなっては困る輩がいる。


 地球を徹底的にぶっ壊したいと渇望している、狂った怪物がね。たしか前にも同じことをしようとした奴がいただろう?」


 鄭の目から嘲りや余裕が消えた。刃のように薄く目を細め、憎悪と敵愾心を燃やしてその名を呟く。



「マリア・アステリア」


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?