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第14話:カサンドラ

「あり得ない!!」



 ほとんど反射的にギデオンは怒鳴っていた。クェーカーが驚いたように彼を見やる。感情的になることはあれど、ギデオンはそれを抑制できる人物だ。


 そんな彼らしからぬ激情、あるいは拒否反応を見せたことが、あまりに意外だった。


「奴は死んだ。いや、俺たちで殺したはずだ」


「そのはずだったんだけどねえ。こればかりは私も不手際だった。しかし、赤熱化した艦から無事で脱出できるはずもないが……ともかく私が掴んだ範疇でのタルシス過激派の動きは、明らかにマリア・アステリアの影響が見て取れる。何らかの形で関与していると考えるのが妥当だろう」


 鄭顕正は身を乗り出してギデオンの顔を覗き込んだ。



「奴は、今度も地球を潰すつもりか?」



 普段は飄々とした態度を崩さない地球側の提督が、今は明確に怒りの色を浮かべていた。彼の怒りは瞳の奥で暖炉の熾火おきびのように燃えている。決して激しくないが、容易に消えることもない。


「……俺にも分からない」


 ギデオンの返答に対して鄭は即座に「嘘だ」と断じた。


「君は彼と最も近しい立場にいた軍人だ。一体どんな戦略構想で奴は動いている? 私には推測できない。情報があまりにも足りていない。奴と言葉を交わしたこともない。


 君はそのどちらも持っている」


「奴は腹の読めない男だった。徹底的に秘匿して、そして一撃を入れる。奴が使うとしたらその戦術だろう」


「すると何だ、一発殴られるまで奴の出方は分からないということかね?」


「出方が分かるなら俺たちでとうに対処している。分かることといえば、連中がもう一度戦争を始めたがっていることだけだ」


「たまらんな……」


 はあぁ、と鄭顕正は露骨な溜息をついた。


「連中が何かをやらかす前に計画を進めなくてはいけないが、君らのやり方は言った通り迂遠だ。そのうえ絶対に先手を取られるときている。このままやりあったら負けかねないぞ?」


「承知している。だが……」


 鄭に指摘されるまでもなく、マリア・アステリアが生き延びていて、何らかの悪事を企んでいる状況というのは非常に危険である。


 前回はギデオンに計画を漏らしたせいで失敗した。マリアは自分に対してだけ、明らかにガードを下げていたとギデオンは見ている。造反の意思を参謀本部に通報されることも、鄭顕正の艦隊に爆撃部隊の座標を密告されることも、マリアの意識には無かったはずだ。


 だから今回は絶対に失敗しない。彼が同じ轍を踏むとは思えない。


(マリアが本当に生きているなら、だが)


 暗い記憶のなかに、星のように美しかったかつての戦友の姿が、一瞬妖しく揺らめいた。




「ひとつ、よろしいでしょうか」




 クェーカーの声が、ギデオンのなかに浮かび上がっていた幻影を断ち切った。歴戦の軍人二人は反射的に声の主の方を向いた。人間の意識を引きつける鮮烈な響きだった。


「何ですかな、お嬢さん」


 呼び方こそ気安いが、鄭はわずかに居住まいを正していた。同時に警戒のレベルも引き上げたようだった。彼の軍人としての嗅覚が、クェーカーの声の響きに混ざっていた異様さを嗅ぎ取ったからだろう。


「マリア・アステリアが存命だとして、本当に目的は地球の破壊なのでしょうか?」


「現に前回、奴は核ミサイルで地表を焼き払おうとしたんだぞ」


「焼いて、それからどうするのでしょう?」


「何?」


 ギデオンも鄭も、彼女が投げかけた意外な問いかけに不意を突かれた。


 二人とも軍人としての経歴が長いだけに、どうしても思考は「戦争の勝利・敗北」に吸い寄せられる。


 実際、マリアがやろうとしていた核爆撃が成功すれば、地球統一政府は完全に継戦能力を喪失して降伏するしかない。それは地球軍の提督である鄭顕正が最も恐れるところだ。



 だが、戦争に勝利することが目的ならば、そもそも核爆撃など過剰である。



 核戦力を揃えるところまでなら、恫喝というカードとして考えられる。しかしマリアは実際に核のボタンを押すことを躊躇しなかった。結果的に妨害されただけで、それさえなければ地球の大都市はことごとく焼き尽くされていただろう。


「確かに、マリアは地球を憎んではいなかった」


「動機も無く核で何万も殺すだと? さすがに私も正気を疑うぞ」


「もとよりあいつが正気だったころなんて……」


 無かったわけではない。


 ギデオンの記憶がそう囁いた。


(そうだ、あいつはあの日までは普通の人間だった。俺という同胞がいると知るまでは)



「あるいは、全ての人間を狂気に墜とし込むことが目的だとすれば、核爆撃も手段のひとつとして考えられるのではありませんか?」



 クェーカーが言った言葉は、ギデオンの脳裏にひとつの単語を想起させた。




「……シープ現象?」




 ギデオンはクェーカーを見やった。


 自分とマリアの他には限られた人間しか知らないはずの言葉。鄭顕正は首を傾げている。だが、クェーカーは彼と視線を合わせたまま、静かに頷いた。


「ご存じだったのですね、ギド」


 知っていたのか、という驚きはさほど無かった。


 この女であればタルシスのどんな秘密を知っていてもおかしくない。


「俺も言葉として知っているだけです。ですが、貴女は……」


「ええ。全て知っています。シープ現象、プロンプター、そしてタルシスの戦争の根幹を支えた仕組みについても」


 鄭顕正がソファの上で身じろぎした。両手の指を組み「ほう」と漏らす。


「良いのですかな? 私としては非常に興味深い話ですが」


「仕方がありません。今後のことを考えるなら……それに、マリア・アステリアの先を行くためには、『カサンドラ』についてお話する必要があります」


「はっはっ、こいつは意味深な単語が出たな! いいでしょう、ぜひお聞かせ願いたい! そのカサンドラとやらについ」


 台詞の途中、ギデオンはそれ・・の気配を感じた。


 そこからは身体の反射に任せた。


 クェーカーを抱き寄せ、鄭顕正に飛び掛かり、ソファごと真後ろにひっくり返す。


「っおぅおあ??!!」


 ペースを乱された鄭が頓狂な声を上げるが、それ以上の大声でギデオンは目を白黒させる二人に怒鳴りつけていた。



「伏せていろッ!!」



 二人の頭のすぐ横に、黒いひとつ眼の鳥がたたずんでいた。


 直後、その鳥の気配は火薬の臭いとして具現化した。


 爆風が部屋の扉を吹き飛ばした。

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