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第15話:騒乱 中

 タルシスⅣ-Ⅱは同時多発的に発生した爆発のために大混乱に陥っていた。


 最初の標的はトラム、バス等の公共交通機関。同じタイミングで通信妨害ならびに地下に隠された有線の予備回線を爆破。


 全市民はセクレタリー・バンドに依存して生活している。個人間の通信が切断され、直接爆発に巻き込まれなかった者たちの胸中にも、恐怖の種が植えられる。


 しかし、タルシスⅣ-Ⅱの全ての通信機能が失われたわけではない。


 被害発生直後にコロニーの行政庁舎は迅速に情報収集と対応に動いた。戦後一年半、まだ有事の記憶は新しい。地下の通信システムにも手は及んでいなかったため、タルシスⅣ-Ⅱの全市民に向けて即座に避難指示が飛ばされた。


 コロニーの道路は人間の利便性を第一に考えて造られている。地球上と違い、全てが人工の大地であるスペースコロニーでは地形に余計な凹凸が生じることはない。従って最も効率的に大衆を移動させることができる。


 だが悪意をもって観察すれば、移動のうえで生じるボトルネックも分かりやすいということだ。


 そして、そのポイントを潰してしまえば、混乱の度合いは加速度的に悪化する。


 行政庁舎からの避難命令で動いていた大勢の市民が、多数の交差点で同時に発生した爆発に巻き込まれた。地面が吹き飛び、ビルが倒れ、暴走したバスが数十人単位で人間を撥ねる。


 黄金の逃げ道を潰された人々のストレスは最高潮に達し、目の前で繰り広げられるいくつもの惨事のために、パニックは水に垂らされた油のように広がっていった。


 それは本来人々を助けるための警察や消防も例外ではない。


「糞ッ、どこもかしこも人で埋まってやがる!!」


 消防車の窓から上半身を乗り出して一人の隊員が怒鳴った。


 消防士としてベテランであり、戦時中は艦隊勤務もこなしていた。乗艦が被弾した際には命懸けでダメージコントロールも行っている。


 だが、軍艦に乗り込んでいるのは訓練を受けた人間ばかりだが、市民はそうではない。


 彼が部下たちとともに乗り込んだ消防車は、道路を埋め尽くした人間の波に呑まれて、ろくにアクセルも踏めない状態だった。


「隊長、本部から新たに爆発があったと通信が……!」


 後部の通信席に座っていた部下が蒼褪めた顔で報告する。


「それを今俺に言ってどうなる、えぇ?!」


 隊長は車体を拳で叩きながら怒鳴り返した。その声も、自分たちが鳴らしているサイレンと、それ以上に逃げ惑う人々の悲鳴や足音に掻き消されてしまう。


 飛んでいきたいのはやまやまだが、まるで身動きがとれない。ただただ焦燥感を募らせるような報告だけが連続して舞い込んでくる。


「進めない以上仕方がない、とりあえず避難誘導だ! このままじゃ群衆雪崩でもっと死……っ!」


 彼自身は混乱のるつぼのなかにあって理性的な判断を下そうとしていた。


 だが、急に車体がぐんと動いたために、窓枠で腰を強く打ち付けることになった。必死に上体を起こすと、隣席の若い消防士がハンドルに齧りついていた。足がアクセルを踏み込んでいた。


「止めろ!」


 その言葉が実際に言えたのかは定かではない。


 ただ、彼が焦燥感に囚われてアクセルを踏んだこと。その結果車体が急発進し、目の前を走っていた数人の人間を轢いたことは分かった。


 ごん、ごん、と車体前面で鈍い音が鳴った。音が鳴るたび、運転席の消防士がびくりと肩を震わせた。ハンドルから手を離したいが、皮膚が焼きつけられたかのように剝がれない。


 そういえばこいつ、ハイスクールを出たばかりだった。戦時中も第一線に立っていない。経験が浅く、したがって危機的状況にも慣れていない。


 部下のプロフィールが瞬時に頭をよぎった。


 戦争で死んだ同僚がいてくれたら、こうはならなかったはずだ。どうにもならない後悔が沸き上がるが、それでも身体は部下を運転席から引き剝がすために動いていた。


 そして、それが成功する前に、車体は近くのビルに頭から突っ込んでいた。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 コロニー内において破滅的状況が現出した時、真っ先に急増するのは車両関係の事故である。


 コロニーで使われている車両は全て電気自動車である。全車両に安全運転支援システムDSSSが標準装備されており、普通ならば大惨事に至るような事故はほぼ生じない。


 複数の車両が玉突き事故を起こすようなシチュエーションでも、車両間の緊急制御システムが同期して周囲の車両が同時に急停車する仕組みとなっている。


 しかしカルナバル・イヴ以来、人類は人工知能に対して一歩距離を置いたまま歴史を積み重ねてきた。


 緊急時においてAIが必ずしも最適な回答を弾き出せるとは限らない。事実、三次元において五感という多角的なセンサーを用いる人間に、AIは危機察知の点で劣る部分がある。


 すなわち人間の勘。AIは要所でそれを見落とす。この時代を生きる人々にとって、その考え方は基本的なフォーマットとして刷り込まれている。


 だからハンズフリーで動かせて、事故もほとんど発生させない自動車であっても、自動制御や事故防止機能を手動で解除する仕組みが設けられている。


 そしてパニックに陥った人間は、普通はやらないはずのDSSS停止をやってしまう。逃げる時に邪魔になるからだ。


 必然的に路上で事故が多発した。システムを作動させている車両は当然その場で停車するが、フルマニュアルで暴走している車には何の関係も無い。追突が追突を生み、被害は連鎖的に広がっていく。



「ドライバーの方は車両を停止させてください!! 全員すぐに降車して徒歩で避難してください!!」



 人でごったがえすボトルネックにたどり着いた警察官が拡声器で怒鳴っている。


 しかし、誰の耳にも届いていない。


  コロニー生まれコロニー育ちの彼は、地球で発生する津波や洪水という自然現象を知らないまま育ってきた。しかし生物としての本能は、それら危機的事象に向き合った際と全く同じ恐怖を呼び起こしていた。



 これは死ぬ。



 溢れかえる人の流れを前にして、恐怖の直感が彼の脳と心臓を貫いた。


 拡声器は投げ捨てられ、彼は波の一部となった。その流れの行き場を誘導するものは何も無い。


 そして濁流を突っ切るようにして、新たな事故車両が飛び込んできた。


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