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第15話:騒乱 下

 タルシス4-Ⅱの各学区に置かれたジュニアスクールには大型の避難シェルターが併設されている。緊急時にあっては児童を速やかに退避させるよう教員たちには訓練が義務付けられており、今回もその成果が出ていた。


 レオナ・ウォーターズにとって、教師になってから初めてのシェルター退避だった。


 思春期を戦時下で過ごした彼女は、同世代の他の社会人たちと同じように避難慣れしていた。コロニー全体にサイレンが鳴り響き、セクレタリー・バンドや校内のあらゆるディスプレイがエマージェンシー・サインを発出した時はさすがに驚いたが、それでも身体は自然と動いてくれた。


 素早く大気濃度の情報を確認し、最短ルート上にあるシェルターをいち早く検索する。あとはそこまで無事にたどり着くだけだ。



 ただし、彼女が受け持つ35人の児童全員を引き連れて逃げなければならない。



 レオナ自身、警報発令直後は冷静だと自認していた。彼女ひとりだけであれば何の問題も無く逃げ切れただろう。


 だが、児童と一緒に逃げる場合、その場から立ち去るのは絶対に自分が最後でなければならない。


「みんな落ち着いて! いつもの避難訓練通りに、廊下に出て、二列に並んで!!」


 ちょうど帰りのホームルーム中で、受け持っている生徒は全員が教室内に揃っていた。


 その子供たちに向かってレオナは声を張り上げ、一部はその通りに動いてくれた。


 しかし大多数の生徒が動かない。むしろ廊下と反対側の窓に張り付いて、コロニーの各所で瞬いている爆発光に引き寄せられていた。


「あっ、また光った!」


「どこどこ?!」


「ミシェルのおうちがァ……」


 泣く子供、叫ぶ子供がいる一方、早く逃げろと怒る子がいる。


 持ち物に執着しない子もいれば、お気に入りのブランケットを持っていこうとして机に引っ掛かる子もいる。


 窓からクラスメートを引き離そうとする子もいれば、逆にふざけて相手を突き飛ばす子もいる。


 しかし実態としては、誰もふざけているわけではないのだ。


 ただ、自分たちの住む世界が燃えるという非日常が、彼らに解き難い魔術をかけていた。


「みんな……! みんな言うことを聞いてッ!! 早く逃げないと死ぬわよ!!」


 ほとんど怒声と変わらない声を上げながら、レオナの頭のなかで「どうしてこの子たちはこんなに馬鹿なのか」という考えが鎌首をもたげた。


 秩序を乱す行為、欠如した危機意識。それらがもたらす結果が分からないのかと、埒も無い考えがぐるぐると渦を巻く。


 しかし、分かる子もいれば分からない子もいる。個々人の、しかも未成熟な年齢の子供たちである。認知力の差もばらばらであり、そのうえ賢明な子の妥当な行動が必ずしも正解とはならない状況。


 事態を収拾できず、逃げるどころか教室から出ることすらままならない現状に、レオナの冷静さとやらは熱湯に放り込まれた氷のように儚く融けていった。


(どうしてどうしてどうして!!)


 頭蓋の裏側で怒りがぐらぐらと煮立っている。


 そこから生じた蒸気が理性の蓋を吹っ飛ばして、彼女をパニックに陥れようとしたその時だった。


 教室の照明が全て消えた。


 窓に遮光スクリーンが降りて、外界の景色を子供たちの目から隠した。


 瞬間的に室内が暗くなる。全く見えないわけではない。廊下には普通に照明がついている。


 何のことはない、教室の入り口に立った年配の女性教頭が照明やスクリーンの操作をしただけだ。



「みなさん!! もう他のクラスの子たちは廊下に出てますよ! このままだとビリですよ!!」



 教頭が手を叩いて大声を上げた。パァン! パァン! と巨大な風船が割れたかのようだった。


 スクリーンが降り、室内の状況が一瞬で変わったことで、子供たちの神経がわずかだが張り詰めた。その緊張状態が解ける前に音と指示が飛び込むことでクラスの全員の意識が避難に向けられた。


「ウォーターズ先生、バイック君の手を引いて廊下に出て。隊列を組んだら7番シェルターに退避しますよ」


 レオナはハッと我に帰った。ただ、気づくとすでに身体が動いていた。



 まっさらになっていた頭のなかに、教頭からの指示プロンプトが流水のように染み渡っていた。



「は、はいっ」


 恐怖で立てなくなっている少年の肩を揺らしながらレオナは答えた。


 今の今まで、恐怖のあまり竦んでいる子がいることにさえ気づいていなかった。自分の現状把握力の低さに頬が熱くなる。冷静などとんでもない。自分もパニックを起こしていた一人だったのだ。


 四苦八苦しながらなんとか児童を廊下に並ばせ、そのままシェルターに向かった。


 不思議なことに、教室にいた時はあれほど統率のとれなかった子供たちが、隊列を組んで歩いている間はほとんど騒がなかった。依然としてコロニー全体を揺らすようなサイレンが響いているが、注意が逸れる様子は無い。


 拍子抜けするほどあっさりシェルターにたどり着いた。縦20メートル、横8メートル程度の広さしかなく、高さも2.5メートルとかなり息苦しさを感じる。だが、内部は白い穏やかな光で満たされていて、外部の音は通信機を使わない限り入ってこない。


 代わりに、シェルター内に設けられた二基のスクリーンには、人気アニメ『ワンダー・フライヤー』が上映されている。しかし、そちらを向いている子はほとんどおらず、友達同士で話をしたり、怖さがぶり返したのか泣いている姿が目立った。


また、シェルター内には簡易トイレがひとつしかないため、そちらにできた列も整理しなければならない。逃げおおせたがレオナに休んでいる暇は無かった。だが、今はむしろそのことが有難かった。


 一緒にシェルターに入った教頭は、泣きじゃくっている生徒の間を回って静かに慰めている。


 少しなかでの騒動が落ち着いてから、レオナは教頭にたずねた。


「どうして子供たちは、教頭先生の言うことに従ったのでしょうか……私は、全然だめだったのに……」


 普段から強面で知られていて、自分にも他人にも厳しいと恐れられている女教頭が、ふと相好を崩した。


「それはね、ウォーターズ先生。あの子たちは好き好んで窓に張り付いていたんじゃない。入ってくる情報が多すぎて、それに溺れていたのよ」


「溺れていた?」


「そう。人間の頭なんてそんなに強くないですからね。ましてや、まだ十分に経験を積んでいない子供たちですよ。世界で起きている何もかもを、素直でまっさらな頭で受け止めてしまう。


 だから必要な情報とそうでないものを、我々教師は見分けて教えなければならないの。あの時も、それの簡単な応用をしたまでですよ」


 いつもなら書類の出来が悪い、授業の組み立てが甘いと叱ってくる相手だった。


 レオナは気づいた。自分より30も年上のこの女性から見たら、自分もまだまだ「素直でまっさらな」子供と同じなのだと。


 そして、そうじゃないと言い切れるほどの根拠がないことも、レオナは自覚していた。


 それが自覚できるのは、彼女が大人だからだった。


「……いつか……教頭先生みたいになれますか? 私……」


「それは知りません」


 ぴしゃりと教頭ははねのけた。狼狽するレオナを見て「ふふ」と笑ってから、付け足した。


「生き延びましょう。戦争の生き延び方を教える必要が……悲しいけれど、私たちにはあるでしょうからね」


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