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第17話:人造プロンプター

A.D.2160 5/12 16:17

タルシスⅣ-Ⅱ

緊急連絡通路



 クェーカーの邸宅からひたすら地下へと逃げ続け、三人はコロニー外壁部へとたどり着いた。


 途中で何度かハッチを閉めて追手を妨害してきたが、敵の気配は依然として迫っている。直接目視したわけではないが、背中から炙られるような焦燥感は常に付きまとっていた。


 それだけに、緊急連絡用のトラムが見えた時はさすがにギデオンも安堵した。外壁部の点検や非常時の応急処置に使われるもので、乗り心地は全く考慮されていないが、この際リクライニングなど求めていられない。


「やあやあ、VIPの家の地下ともなるとこんなものまであるんだね。私も仕事がひと段落ついたら真似してみるか」


「五月蠅い。とっとと乗り込め」


 実際に鄭の大きな尻を靴の爪先で蹴り飛ばし、簡易ステーションの操作機器に銃弾を撃ち込んで破壊してから、ギデオンはトラムに乗り込んだ。先に乗車していたクェーカーがコンソールを叩く。空き缶状のトラムが急速に走り出した。


 小さな窓ガラスの向こうにはひたすらコロニー外壁部の配管や多種多様な機械類が流れている。車内の照明は赤い非常灯のみで、閉所恐怖症の者ならば叫び出しそうなほどに狭苦しい。ショック・アブソーバーの性能が悪いのか、時々振動が下から突き上げてきた。


 そんななか、クェーカーは真剣な面持ちでセクレタリー・バンドを操作している。ギデオンも小さなホロディスプレイを出して、乗員たちからの情報を逐一集めていた。


「……接続が悪いですね」


「攻撃されてるな」


「当然だね。初手で電波妨害を行うのは定石中の定石だ。あれだけ派手な攻撃をしておいて、何の下準備もしてないなんてバカな話は無いよ」


 鄭はライフルの銃身で肩をトントンと叩いた。「しっかし、揺れるなぁ。これなら月のGの方が快適だ」ギデオンとクェーカーは無視した。


「幸い、屋敷の使用人たちは全員無事に逃げられたようです。ですが……」


「何が引っ掛かっている?」


「外部と通信できないとなると、『カサンドラ』の自壊命令が出せません」


「そう、それだ! ずっと気になっていた!!」


 ずいっ、と鄭顕正が身を乗り出してきた。ギデオンとクェーカーは揃って顔を見合わせた。両者ともに「今からこいつを蹴り出せないか?」と表情に言葉が浮かび上がっている。


 だが、二人とも理性的であるだけに、その選択肢をついに採ることができなかった。


 クェーカーは諦めて溜息をついた。



「……カサンドラは、私の一族が作り上げ、そして独占してきた情報統制システムです」



 硬い背もたれに上体を預けて、クェーカーは言った。


「こいつはまた。独裁国家のお約束だ……おっと失礼、君らの国は一応民主主義国家だったね」


 月の僭主の軽口に苛立つ一方で、ギデオンもさすがに驚いていた。しかし驚愕というほどではない。薄々ではあるが、そうしたものが戦争を後方から支えているであろう事実は察していた。


「驚かないのですね、ギド」


「21世紀以降の戦争ではもはや常識です。タルシスにもあって当然だ」


「……そうですね。程度の差こそあれ、戦時下の国家は情報統制に血道をあげるのが歴史の常です。ですがカサンドラはシープ現象、ならびにプロンプターの存在を前提に構築されました」


 またか、とギデオンは口のなかで呟いた。プロンプターという単語が出るたびに胸の奥のあたりが強張るのを感じた。


「スペースコロニーは人類のフロンティア、新たな生活圏として建造されました。


 ですが、もとより宇宙は人間の住む空間ではありません。水も無く、空気も無く、重力も無い場所に、一から全てを揃えていく。大気中の酸素濃度が僅かに変化するだけで、全住民が容易に死亡することもあり得る。


 たとえ認知していないとしても、我々の肉体は常にそのプレッシャーを受けています。


 言い換えるなら、我々の身体は、常に宇宙に対して怯えている。この恐怖が集団的に表出することをシープ現象と言います」


「マリアが言っていた。極限環境下での心理的バランスが崩れると、集団内でのストレスが押さえられなくなって多発的なパニックに至る……」


「恥ずかしながら思い当たる例は我が艦隊でも見られたな。戦場ではよくあることだが、まさか名前がついていたとは」


 ギデオンと鄭は戦場を経験している。人間にとって最悪の環境下で壊れていく戦友を何人も見てきた。


 人類が宇宙で戦争を始めるはるか以前、地上戦をしていた頃にも同様のパニックは多数見られたはずだ。それゆえ、シープ現象はわざわざ名前をつけて恐ろしがるようなものではない。ギデオンはそう考えた。


 その考えを上書きするように、クェーカーは続ける。


「この現象にはもうひとつ別の側面があります。すなわち、極限環境下でパニックにならない人間を浮き彫りにすることです。


 前後不覚に陥り、どこに進むべきか、何をするべきかを見失った人々を導く存在。それがプロンプターです」


「……その話も聞いている」


「では、プロンプターとしての資質を人為的に発生させ、かつその者にシープ現象下の人々を操作させる仕組みがあれば、どうなると思います?」


 ここまで話されて、その先が分からない者はこの場にいない。


「正体見たり、だな」


 鄭が呟いた。


 タルシスは宇宙で生きる人々に必然的に生じる心理現象を把握して、それを戦争に利用していた。


 そして情報統制を行う権限をプロンプターと目された人々に与え、不可視のエリート主義的な体制を築いてきた。


 クェーカーが言っているのはそういうことだ。


「カサンドラはタルシスの全コロニーを同時に観測して、内部のストレス増減を記録し続けてきました。


 住民の不安が広がっているコロニーには、不安材料となる情報を徹底的に遮断、見通しを与えるような明るい情報を選別して流し込む。


 反対に厭戦感情の高まっているコロニーには、憎悪を煽り非戦論者を攻撃するような説論を流し続ける。


 肝心なのは、情報の流入が住民のストレス値と紐付けられていることです。抑えるべき時には抑え、反対に爆発させたい時は爆発させる。全て思いのままです。


 それこそ、わたくしたちに攻撃を仕掛けてきた相手の大元、再びコロニーと地球を戦争状態に陥れたい者たちにとって、これ以上便利なツールはありません」


 クェーカーの説明を聞いていたギデオンは、表情が歪むのを抑えられなかった。


「マリアがやっていたことと何も変わらない」


「まさにマインドコントロールを国家単位で行うシステムです。そして人々を支配する権利を……プロンプターに与える、極めて差別的な体制でもあります。所詮、プロンプターも人に過ぎないというのに」


「お嬢さんお嬢さん、ずいぶんプロンプターとやらについて詳しいじゃないか。まるで自分がその当事者と言わんばかりだ。ん?」


 にやけ面を隠そうともせず鄭顕正が問い詰める。


 クェーカーはもはやいささかも動じなかった。


「お察しなのでしょう? そういう言い方、下品ですよ」


「同感だ。だがクェーカー、貴女は」


「……わたくしもそのひとりです。いえ、そうなるように育てられた、と言うべきですね」


「後天的なプロンプターだと?」


「資質の差はあれど、プロンプターはさして珍しい存在ではありません。また、成長過程でよりストレスへの耐性を強めていくパターンもあります。それが人生のどの段階で発現するかを操作できれば、人為的に強力な指導者を創造できる。


 ある意味、わたくしは心理面や情緒に特化して改造された強化人間。そう考えることもできるでしょう」


「カラスの同類、か」


「彼ほどの苦難を味わったわけではありませんから。一族の後継者が、ことごとく支配者でなければ気が済まないような……わたくしは、そんな妄執の産物ですよ」


 パン、パン、と鄭顕正が大袈裟に手を叩いた。


「恵まれた話じゃないか、お嬢さん。たいていの人間は死に物狂いで権力を渇望し、そしてなお手に入らない。全てお膳立てされたうえに、特別な能力まで持たされた貴女は幸せ者だ。私などはそう思いますがね」


「勝手に思っていただいて結構です」


 いい加減に月の不埒者の扱いにも慣れてきた。鄭顕正はこういう喋り方しかできない男なのだろうとクェーカーは思った。


「……ギド。わたくしは、プロンプターなどという存在が特別に優れているとは思えません。確かに安易にパニックに陥ることはない。冷静な判断ができなくなることもない。常に理性的で、どのような危機下にあっても人を正しい方向に導くことができる。余人から見れば羨ましいのでしょう」


 余人、と言ったあたりでクェーカーは鄭を睨んだ。月艦隊の提督はにやにやと笑いながら肩をそびやかした。


「ですが、壊れないことが常に良いこととは限らないはずです。パニックを起こすことも、本来人間にとっては必要なものではないかと……それができないプロンプターは、ある側面において常人よりも辛い立場にいるのではないか。そう思うのです。


 貴方はどうでしたか、ギド?」


 ギデオンは答えられなかった。この混乱しきった状況下で軽々に返せる内容でもなかった。


 ただ、どうしてかふとマリア・アステリアの横顔が頭のなかをよぎった。まだ士官学校にいたころ、命からがら遭難事故から生還したあの日の顔だった。


(何が望みだ、マリア。地球を焼き払おうとしたあの日も、人々の憎悪を掻き立てようとしている今も、お前は何を望んで動いている?)


 トラムは暗闇のなかを走り続ける。窓ガラスの向こうには相変わらず剥き出しの機械や配管しか映らない。宇宙という海に浮かぶ、ひ弱な人間を生かすためのビオトープのような大地の基盤。あらゆるものが人工的で、だからこそ不自然な世界。


 その密閉空間のなかに、悪意と憎悪という毒を垂らそうとする元戦友の表情は、しかしギデオンのなかでいつまでも若いまま残り続けていた。


 散々に人を見下し、馬鹿ばかりだと喚いている、ちょっと優秀なだけの普通の青年。


 そんなマリア・アステリアのどこかに、この暗闇と同質のものが広がっていたという事実。


「……自分のことだって、良く分かりませんよ」


 返答のつもりではなかったが、ギデオンはそう呟いていた。


「自己覚知が足らんなあ、元少佐」


 鄭顕正がそう言ったが、ギデオンもクェーカーも無視した。



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