目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第18話:宇宙港脱出 下

 セレンが撃たれた。


 目の前に飛び散った鮮血を見た瞬間、カラスの脳内を衝撃が駆け巡った。


 彼女は封鎖突破船という鉄火場にいながら、いつもどこか呑気な雰囲気を漂わせていた。士官学校を出ているという話も嘘ではないかと思えるくらいにのんびりしている、どこまでも普通の女性だった。


 およそ銃で撃たれることが似つかわしくない人だった。


 自分でも意識しないまま叫び声をあげ、彼女を撃った敵に銃を向ける。そしてそこで二度目の衝撃に襲われた。


「美羽……!」


 相手の少女も、カラスの顔を見て一瞬だけ動きが止まった。


 しかし逡巡に使った時間はカラスよりも遥かに短かった。下がりかけた銃口がすぐに向けなおされる。最初の発砲を避けられたのは幸運以外の何物でもなかった。


 冷静な行動でないと自覚しながら、カラスは両脚に力をこめて一気に少女に飛び掛かった。強化された筋肉の生み出す瞬発力が、再照準の先を行った。


「美羽、やめろッ! どうしてお前がこんなことを……!」


 両腕を掴まれた少女が、不意にかけられた言葉に首を傾げた。まるで人形のような動きだとカラスは思った。


「美羽……っ!?」


 カラスの腹に膝がめり込んだ。強化されているとはいえ、内臓に伝わる衝撃までは消せない。ましてや相手の方もカラス同様の強化手術が施されている。その威力は決して軽くない。


 だが、カラスも少女の腕を離さなかった。これを手放せば彼女は自由になった手で武器を振り回し、セレンを撃ったように他の人間も躊躇なく撃ち抜いていくだろう。


 そんなことをさせるわけにはいかない。


「やめてくれ……お前は、そんな……!」


 口をついて出た言葉が、少女の動きをぴたりと止めた。


 だが、それは彼女の心に届いたからではなかった。


「そんな、何だと言うのかね?」


 言葉は間違いなく少女の口から出ていた。音の響きも年相応のものだった。


(違う!)


 カラスは直感的に違和感を、それも嫌悪感に近い何かを覚えていた。


 これは美羽の頭から出てきた言葉ではない。


「感情に訴えて兵士の士気を下げるのは卑怯だ。つまらない真似はやめたまえ」


 相手の顔を覗き込むわずかな仕草、心の襞に直接触れるような口調、その全てが少女のものとは思えない。


 カラスのなかに少女と過ごした記憶はほとんど無い。そんな自分が、妹の口調を云々するのも滑稽かもしれない。


 しかし、美羽の頭の中に入り込んでいる何か・・は、決定的に異質な存在だった。


「美羽、いや……お前は……?!」


 唐突に美羽が頭を振りかぶり、頭突きを喰らわせた。手が緩んだ一瞬のうちに抜け出され、体勢を立て直せないまま銃床で横腹を殴られた。


「ぐっ!」


 続け様にもう一度顔を殴られる。両足が地面から浮き、カラスは近くのコンテナに叩きつけられた。


「……うん。大佐ならきっとこう言う」


 少女が銃を構え直した。そのまま引き金を引くことに一切抵抗は無かっただろう。


 だが、真横から襲いかかった銃弾が、彼女にとどめよりも回避を選択させた。


「カラス、退避しろ!!」


「船長!」


 桟橋の下に現れたギデオンが、襲撃者に対して銃を向けていた。あともう一度斉射すれば美羽を仕留めていたかもしれない。


 その危険性を察したからか、美羽は特にとどめに拘ることもなくその場を離れた。


「美羽……」


 一瞬、追いかけようとする衝動が生まれたが、カラスはそれを捻じ伏せた。


 すぐにセレンの身体を抱き寄せる。額に脂汗が浮いていた。弾は左腕および左肩を貫通している。傷口から血が溢れ、服が吸いきれなかった分が小さな水風船のように宙に散っていた。


(応急キット、どこだ。船の中? 間に合うのか?)


 頭のなかでぐらぐらと思考が揺れる。


「撃たれたのか?!」


 撃退したにも関わらずカラスが動かない。まさかと思い桟橋の上まで飛び上がったギデオンは、そこで血まみれになったセレンと、彼女を抱きかかえて呆然としているカラスを目にした。


「セレンか……! セレン・メルシエ、聞こえるか!?」


 耳元で怒鳴るギデオンに対して、セレンが薄っすらと目を開けた。激痛と失血のせいで動きは緩慢だが、目線はしっかりとギデオンを捉えている。まだ何とか意識はある状態だが、止血しなければ危険だ。


「カラス、手伝え!」


 カラスの肩をぐいと掴み、強引に揺さぶる。我に返った彼に対して、すぐに上着で彼女の銃創を押さえるよう指示する。


 カラスはすぐに命令に従った。クリーム色のパーカーを脱いで両手で彼女の傷口を押さえる。パーカーの色が赤く変わっていく。余計な吸着をしないように磁気靴のスイッチを切り、ペティが確保してくれていた『天燕』のハッチを目指す。


「ギド、やっと来たか!」


 ペティが飛び出してきて、三人をかばうような位置取りで銃を構えた。敵の動きは鈍くなっているがまだ安全とは言えない。


「ああ、それよりセレンだ! イム・シウ、応急キットを持ってこい!」


 ハッチの後ろにいたイムが、片手にバックを下げて現れた。


「もうあります、船長」


「なら後は任せた」


「了解!」


 やや表情を引きつらせながらも、イムは慣れた手つきでキットを開封する。手始めに止血スプレーで傷口を凍結させて医務室へと運ぶ。急いで輸血しなければならない状態だ。


 だが、イムにはそれ以上指示をしなくても、自発的に問題を解決できるだろう。ギデオンはペティに向かって、一緒に来ていた二人がどうなったかをたずねた。


「クェーカー嬢だろう!? あともう一人、変な奴もいたがとりあえずゲストルームに突っ込んでおいたぜ!」


「それで良い。マヌエラ、機関始動だ! 出航するぞ!!」


 セクレタリー・バンドのホロディスプレイに向かって怒鳴りつけると、通信機の向こう側から殴り返すような勢いで『あいよ!!』と返事が来た。即座に『天燕』のメイン・ジェネレーターが唸り声をあげる。


「他の船の連中にも退避しろと伝えろ。ゲートはこっちの合鍵・・でこじ開けたら良い。俺もすぐにブリッジに上がる!」


 他のクルーたちがギデオンの指示に従って迅速に動き出す。一度行動指針が決まれば、すぐに最良の形で実行できるのが『天燕』の強みだった。


(あとは……)


 セレンをイムに託して、やることを失ったカラスに向かってギデオンは命じた。


「カラス、すぐにパイロットスーツを装備しろ。フェニクスで出撃してもらう」


 カラスがハッと顔を上げた。


 普段の彼らしくない反応だった。


「……どうした、お前もやられたのか?」


 立ち止まっている余裕などないが、それでもギデオンは聞いた。セレンほどの傷は無いが、顔には殴られた痕がある。しかしそれ以上に、目の前で同僚が撃たれたことがショックだったのだろう。バレット・フライヤーのパイロットでも、生身の銃撃戦などまず経験することは無い。ましてや近しい人間が撃たれるところを目の当たりにすれば、ショックを受けて当然だ。


 ギデオンは、そう考えた。


 それは決して間違った見立てではない。実際にカラスはショックを受けていた。


 だがその衝撃の度合いを大きくしているのは、セレンが「美羽に」撃たれたからだ。



 そしてカラスは、その事実を口にせず、腹の底に押し込めた。



「……問題ない。大丈夫だ、船長。いつでも出れるようにしておく」


 そう口にしたカラスの肩の上に、死神の鳥が留まっているのが見えた。


 しかし鳥が教えてくれるのはあくまで死の可能性に過ぎない。目の前の相手の胸中までは決して教えてくれない。


 普段のギデオンであればカラスの違和感にも気づいただろう。それを解きほぐす時間も作れたかもしれない。


 だが『天燕』を、そしてタルシスⅣ-Ⅱそのものに迫った危機を前に、数あるクルーのうちの一人であるカラスにそれ以上の時間をかけている余裕は、今のギデオンにはなかった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?